第13話 トラブル発生

 なぜ、あのときはできなかったんだろう。

 ふくらんだ気持ちが、急にしぼんでいった。

 拳をぎゅっとにぎりしめる。これだけは、絶対に、誰にも言えない。赤レンジャーであるかぎり。

 ぼくは、卑怯者だから。


 そう思いながら、トイレを出た。

 ちょうど、階段から真名子先生が上がってくるところだった。顔をそむけて教室に行こうとしたぼくを、先生が呼び止めた。

「光太郎、どうした、腹痛か?」

「ち、ちがいます!」

 振り向くと、先生が、心配そうな顔で、ぼくを見下ろしていた。先生は背が高い。最初に会ったあの日は、ひざをついて、ぼくと同じ目線でイジメ救助隊員にさそってくれたのだった。

 どうしてこんなぼくを……。


「先生」

 先生は、ぼくの言葉を待っている。ぼくはニコッとわらってみせた。

「今日も元気いっぱいです」

 自分が二つに、バリバリと引き裂かれるような気持ちがした。真名子先生の目がやさしく細くなった。

「そうか。でもな。無理するなよ」


 それからも、掲示板での救助活動は順調に進んでいた。

 コメントを入れるのは、青レンジャーの瑠子と赤レンジャーのぼくが多い。黄レンジャーの詩季は時々すごく長文コメントをしたり、全然コメントしなかったり。美遊は遠慮しているのか、みんなのコメントを後ろから見ていることが多かった。


 学校に行っていたときは、朝なかなか起きられなかったけれど、今は目覚ましがなる前に目がさめる。掲示板に書き込んだ誰かが、赤レンジャーを待っているからだ。

 朝が早いから、夜も眠れるようになり、お腹も空くようになった。


 その日の夕食はハンバーグだった。

「お母さん、ご飯おかわりしていい?」

「おかわり?」

 お母さんが、あんぐり口をあけた。

「あ、ないならいい、ごめん」

 お母さんははじかれたように立ち上がった。

「あるのよ。全然ある。やまほどあるの。ご飯がね、冷凍庫にね、冷凍してあるから。すぐよ。すぐできるから、食べて!」


 そういえば、おかわりするのなんて、いつぶりだろう。ここ一年はなかったかも。六年生になってからは、学校に行けなくなって、お腹も空かなくなって、ご飯を食べられない日もあった。

 お母さんが開けた冷凍庫には、白いご飯が一人前ずつ、いくつも冷凍してあった。

「光太郎も、もう六年生だものね。お茶碗一杯じゃ足りないわよね。お母さん、もうハンバーグいらないからあげるわ」

 お母さんは半分に切ったハンバーグをぼくのさらに入れようとした。

「いいって! いらないよ!」

「いいからいいから」


 皿を押し合って、結局、ぼくが根負けした。お母さんがニコッと笑う。

「光太郎がたくさん食べてくれるのが、一番うれしいの」

 そう言ってレンチンしたご飯も出してくれた。

「フリースクールに行って本当によかったわ。なんだか、背も伸びたんじゃない?」

「まだ1ヶ月ちょっとだし。そんなにすぐに伸びないよ」

「このぶんなら、秋から学校に戻れるかしらね」

 受け取ったお茶碗が、急にずっしり重く感じた。

「それはムリじゃないかな。学校休んでいた分、勉強遅れてるし、フリースクールの方が丁寧に教えてくれるからさ」

 口にはしなかったけれど、心の中で、それに学校になんて行かなくたっていいんだし、とぼくは思った。

 お母さんは、

「でも中学受験にはやっぱり」

 と言いかけて、ぼくの顔がこわばったのに気づいて、途中で言い直した。

「ごめんなさい、そうよね。今はまだ受験のことなんて考えられないわよね」

 お代わりしたご飯をもくもくと食べる。

「お母さんが代わりに、学校見学行ってくるわ。こうちゃんが行けそうなとこが、いくつかあるのよ。大丈夫よ。お母さん、分かってるから」


 何を分かってるんだろう、と、ぼくは頭の片すみで思っていた。そして、そういうぼくも、何も分かっていなかった。自分のことも、優斗のことも。サバイバル教室のみんなのことも。

 事件は、それからしばらくして起きた。


 朝サバイバル教室に行くと、みんながパソコンを囲んでいた。

 窓の外から、カンカンと金属音が聞こえてくる。文化センターの中で工事をしているのだ。冷房が入っているから窓は閉めてあるけれど、ドリルでけずる音もする。

「おはよう」

 ぼくの声に、みんな顔を上げた。びみょうな表情だ。

 空が「赤レンジャーが来た」とつぶやく。

「イジメサバイバル赤レンジャー登場!」

 軽口を叩きながら、パソコンをのぞきこんだぼくは、ギョッとした。


━サバイバルレンジャーはウソつきのズルい卑怯者。


 ドクッドクッと心臓の音がする。静まれ、ぼくの心臓。人に聞こえてしまう。

「な、なんだよこれ。ひどいイヤがらせだな」

 と言いながら、みんなの表情をうかがう。

 美遊は唇をふるわせている。

 空は目に怒りを浮かべてつぶやいた。

「許せない」

 力も静かに怒っている。

 瑠子の顔がいつもより青白く見える。それでも瑠子は冷静だった。

「先生に言って削除してもらいましょう」


 詩季が、パソコン画面を指さして、ぼくにたずねた。

「このズルい卑怯者って……」

「ち、違うよ!」

 自分でもびっくりするような大きな声になってしまった。詩季が耳をふさいだ。

「ご、ごめん」

「光太郎君じゃないの分かってるよ。そうじゃなくて、これって、フリースクールか不登校のことを言ってるのかなって思ったの。光太郎君こないだ、『学校に行かなくていい』って返信してたでしょ。行きたくなくても無理矢理行かされている子は、学校に行かない子はズルい、卑怯だって思ってるかもしれない」

 考えもしなかった。でも言われてみれば確かにそうだ。ぼくは、そっと冷や汗をぬぐった。


 ドアが開いて、真名子先生が入ってきた。

「どうした?」

 詩季が先生に説明した。

 真名子先生は、すぐに投稿を削除してくれた。ノートパソコンをパタンと閉じた。

 先生が顔を上げた。真剣な顔だった。

「このサバイバル教室は生徒とおれしか入れないからいつだって安全だ。でも、社会には、いろんな人がいる。誰でも見て書込できる掲示板も、小さな社会だ。いろんな人が来る。こういう投稿も、想定内だ。イジメ相談掲示板は、きみたちみんなが社会に出るための訓練場でもあるからな」

 それでもみんなだまったままだ。


 先生は、ふっと顔をやわらげた。

「ここまでみんな、よくやった。とりあえず、イジメ相談掲示板はいったんお休みにしよう。掲示板メンテナンス中にしておくよ」

 瑠子の血の気を失った顔から、ショックの大きさが伝わってくる。

 空はこぶしをにぎりしめている。

 力は、ずっとうつむいている。

 その横で、美遊が泣きそうな顔をしている。

「こわい」

 真名子先生が、美遊をなぐさめた。

「大丈夫だよ。こわがらなくていい。掲示板ではコードネームしか出してない。この現実は、安全だからね」

 文化センター内の工事の、コンクリートをけずる、キーンガリガリガリという音がひびいた。美遊が不安げに、天上を見上げた。


 国語の授業がはじまったけれど、工事の音が気になって、なかなか集中できない。

「じゃあ次、光太郎、教科書を読んでくれ」

 ガリガリガリと、ひときわ大きな工事の音がした。音に負けないように声をはりあげて読む。

 次の瞬間、ガタンと大きな音がして、詩季がイスごと倒れた。床で、うずくまって耳を押さえている。

「詩季!」

 みんなの声にも耳を押さえて、苦しそうな顔で首をふるばかりだ。

 真名子先生が詩季を抱きかかえた。

「瑠子、受付に行って、救急車を呼ぶよう伝えてくれ」

「はい!」

 瑠子がはじかれたように立ち上がった。ぼくは、床に落ちていた詩季のイヤホンを拾った。


 真名子先生がみんなに向き直る。

「おれが戻るまで、ここで、待っててくれ。空、国語の授業をお前がすすめててくれ」

「はい!」

 空が直立して返事をした。先生が美遊に向かって、表情をゆるめた。

「美遊、詩季は大丈夫だからな。詩季のためにノートをとっておいてくれ」

「は、はい!」

 つぎに先生は力に声をかけた。

「力。空と美遊が不安にならないように、しっかりサポートしてくれ」

「はい!」


 瑠子が戻ってきた。

「救急車呼んでもらいました!」

「ありがとう! あとで報告頼む!」そしてぼくに手招きした。

「光太郎は、詩季の荷物を持って一緒に来てくれ」

「はい!」

 真名子先生は笑顔を浮かべた。

「詩季は大丈夫だ。まかせろ。みんな救助隊員として、たのもしいぞ。待っててくれ」

 みんな、それぞれの持ち場で、きびきびと動き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る