第五話 裁きの作法について
「次の朝日が昇るとき、お前の首を落とす――それを以て、穢された我らが名誉を濯ぐものとする」
「――ちょっと待ってくれ! いくらなんでも早すぎる!」
慌てて格子まで詰め寄ってラガニに訴えかける。
しかし、ラガニの表情に変化は見られない。
「それに斬首って、あれは最高刑だろうが!」
「そうですね、できることなら首ではなく自ら腹を切らせていただきたい」
「ちょっと本気でややこしくなるから今だけはふざけるな腹切り原人!!」
取り乱しているのは俺だけで、そうするとこの牢の中で俺だけがおかしなことを言っているような気分になる。
だが、そんなことはない。
魔物と戦う厳しい環境で生きてきたオークにとって、人は財産だ。
そんな彼らが斬首刑を適応するほどの罪なんて、数えるほどの前例しかなかったはず。
少なくとも、今回の件に当てはまるような罰とは思えないのだ。
「裁判は先ほど執り行われた、これは我らの決定事項だ」
「裁判が終わった……? 罪人の証言も聞かずに……?」
やはり、おかしい。
オークは虐げられてきた種族。
不当な罪で裁かれてきた歴史を持つ人々だ。
だからこそ、一方的な判断を憎み、公正な裁判を行うことを誇ってきたはず。
少なくとも、俺の知るラガニという男は、そういう意味でよくも悪くも厳格な男だった。
「……なにか、焦るようなことがあるのか?」
「すまない、友よ。だが、決まったことはもう取り消せない」
――否定はなかった。
そしてこの決定に、ラガニは全面的な賛成の意志を持っていないようだ。
つまり判断を急ぐ事情が彼らにはあり、ラガニとしては不本意な流れで、集落の決定を飲み込むことになった……?
この状況を、俺は知らない。
これまでのように、経験という絵図面に当てはめて答えを先に知ることができない。
だが、ここに来るまでの旅、ラニー少年の話、そしてラガニの事情を繋いでいけば、自ずと一つの可能性が見えてくる。
……だが、まだ決め手にかける。
「ラガニ殿、私への沙汰について異論はありません」
「…………そうか」
「しかし、フロウはどうなりましょうか? 私の心残りは、もはや友の行く末のみです」
俺が思考をまとめている間に、アオイがそんなことを聞いた。
「……フロウは我らの恩人だ。無罪放免とはいかんが、必ず帰すと約束しよう」
「で、ありますか――それはよかった」
そのアオイの言葉に、ムカついた。
よかったと、そう言ったのか、こいつは。
自分の死が迫り、アオイはそれを避ける冴えた理屈も持ち合わせていない、それはそうだ。
でもこいつなら、大暴れすればうまく逃げおおせるかもしれないのに。
俺が助かるというだけで、よかったと。
それだけは言わせたくない言葉だった。
だからこそ、それを聞いて覚悟ができた。
決め手にかけようと、分の悪い賭けだろうと構わない。
ただの話し合いで、こいつらを引っ掻き回してやる。
「――ルピーヒドラが来るんだな、ラガニ」
それまでの話の流れを全て断ち切って、俺は言う。
予想と勘とはったりで固めた推論を、いかにも全てを知ったような口ぶりで。
「……ラニーがそう言ったのか?」
「いや、あの子は何も知らない。だが、ここまでの情報をまとめれば察しはつく」
そう言いながら、最初の賭けに勝ったことを確信する。
「ラニーが言っていたのは、母親や集落の女たちが集まって編み物をしていたって話だ。あの子はその意味を知らなかったみたいだが、女たちはこんな刺繍を施していたんだろう?」
地面を指でなぞり、ラニーに確かめたマークを再び描いてみせる。
「オークに伝わる、鎮魂の祈りを意味する紋章――そうだな?」
「……ああ、間違いない」
言い当てられた真実をごまかすことはしない。
ラガニは本来そういう男だ。
だからこそ、話をする価値がある。
「男たちが命をかけて強敵と戦うとき、オークの女は服や旗にこの印を縫い付ける。つまり今、この集落にはオークの戦士でも命を落としかねない強敵が迫っている、ということだ」
裁判の決定を焦っていたことから、オークにとってより重要な何かがあるのはわかっていた。
厳格なラガニが主義を曲げてでも優先すること――集落の安全、敵への備え。
この二つが合わされば、自ずと答えは絞られる。
「すみません、フロウ……先ほど名が出た、ルピーヒドラというのは?」
強敵の正体、さすがにこればかりは決め手にかけた。
しかし、それだってヒントはあった。
「――魔物だよ。おそらくはこの地域で最強の生物、オークの天敵だ」
――猛毒の竜、ルピーヒドラ。
爪や牙、皮膚にいたるまで全身が猛毒に包まれ、はては背中の噴出孔から毒の霧をばら撒く大型の魔物。
土を踏めば花を枯らし、河を渡るだけで魚を殺してしまう歩く災害。
歯向かうどころか、近づくことさえできない奴らには、天敵という概念さえない。
「数年に一度襲い来るルピーヒドラの討伐は、オークの戦士にとって何より重要な使命だ。だからその戦いに備えて、お前は俺たちを呼んだんだろう、ラガニ」
今回、俺たちがビーグッドから運んできたのは弓矢や長槍、そして――医薬品。
竜の猛毒に侵された仲間を救うための薬が、彼らには必要だった。
歴戦の勇士が集うオークたちが万全の備えをしなくてはならないほど。
そして、それでもなお女たちが愛する者の死を予期して鎮魂の祈りを捧げなくてはならないほどに。
ルピーヒドラとは、恐るべき怪物なのだ。
「だからこそ、この今だからこそ、お前にひとつ提案したいことがある」
この時期にやってきた巡り合わせがはたして幸運なのか。
そしてこの提案は、何かを変えるほどの力があるのか。
わからない、でも――。
「残穢の臨戦――アオイにルピーヒドラと戦う機会を与えてやってくれ」
「っ! しかしあれは……」
「アオイは故国において勇猛な戦士だった。なら、その資格はあるはずだ」
今は、これに賭けるしかない。
「フロウ、たびたびすみません、その残穢の……とは?」
「強大な敵にたった一人で立ち向かい、仲間をその背に庇う名誉によって罪の穢れを祓う儀式――オークの戦士に処される重い刑罰だ」
もっとも、俺の知る限りでこの儀式が行われたのはずっと昔に書かれた史料の記述の中でだけ。
現在では形骸化したと言っていいだろう。
だが、それでもこれは間違いなく、彼らオークの習わしに則った正式な儀式だ。
「しかし、残穢の臨戦は我らオークに向けられた儀式だ。それをよそ者に当てはめるのはしきたりに……」
「それを言うなら、裁判はもっと時間をかけて行うのがしきたりのはずだ。この件はもう、オークの風習から一歩踏み外しているんだよ」
「そう言われてしまうと、だが……」
言い淀むラガニ。
今が好機だ、畳み掛けるなら今しかない。
「お前も見ただろう、アオイは強い。オークの戦士にも引けを取らないほどにな。こいつが先にルピーヒドラを消耗させれば、お前たちだっていつもより有利に戦えるはずだ」
そう、ラガニはアオイの剣を受けている。
五人のオークの戦士を相手に一歩も引かないその強さは、仲間たちを守りたい今のラガニにしてみれば喉から手が出るほど欲しい戦力に違いない。
「……女……アオイと言ったか」
「はい、ツキサキ・クナイノショユー・アオイと申します」
「お前はどうする、フロウではなく、お前の意志は?」
「是非に及ばず――命ぜられるままに刀を振ること、アオイはそれしか知らぬ戦ガキゆえ」
そうだ、それがアオイなのだから、そう言う。
平時も有事も変わらない表情で剣を取る――それがアオイの生き方なのだ。
それを知っているからこそ、俺はこの話をラガニに持ちかけた。
「……わかった。もともと片手落ちの裁きであったことは確かだ」
そして、アオイの生き様は勇敢な戦士に敬意を払うオークの理念に則るもので。
厳格なラガニが拒むはずもない。
「ガラテア族の長として、残穢の臨戦を執り行うと我が名に誓おう」
ラガニがそう言うと、アオイは力強い眼差しでそれを受け、頷いた。
「――戦士アオイ、その勇ましき魂に、最大の敬意と感謝を」
膝をつき、両手を広げた姿勢で、ラガニは頭を下げた。
ガラテア族の戦士に伝わる作法、それを見て、アオイは慌てる。
「あ、頭をお上げくださいラガニ殿! 身共は沙汰を待つ身、礼を尽くされる資格などありませぬ!」
「そう言ってくれるな、戦士アオイ。これは――我らが我らたるための敬意なのだ」
「で、ですが、ですがぁ! ふ、フロウ!!」
「素直に受け取っておけ、別に悪いものじゃない」
オークは虐げられてきた人々だ。
誰よりも傷つき、尊厳を奪われる痛みを味わってきた。
だからこそ彼らは、敬意を払うことの尊さを誰より知っている。
その行いが自らの誇りを守るものであると理解しているのだ。
あたふたしているアオイをよそに、ラガニは顔を上げて立ちあがった。
そして今度は、俺の目を見る。
「俺はこれから、同胞たちに話をつけてくる――だが、わかっているんだな、友よ」
「ああ、俺が言い出したことだからな」
「そうか……では、行ってくる」
最後にアオイをちらと見て、ラガニは牢から出ていった。
俺の隣で、アオイは緊張がとけたように大きな息を吐いていた。
ラガニの言葉の意味も、自分が言ったことも、俺はちゃんとわかっている。
残穢の臨戦は、けしてアオイの罪一等を減ずるものではない。
斬首という、どうしようもない結末を避けるための苦しまぎれだ。
強大な敵にたった一人で立ち向かい、仲間をその背に庇う名誉によって罪の穢れを祓う儀式。
その罪は、勇ましく散った戦士の魂によって濯がれる。
つまりこれは、別のかたちの死刑にほかならないのだ。
俺はまだ、アオイを助けられてはいなかった。
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