第四話 アオイの服とオークの料理について
格子から差す明かりが日の光から松明の揺らぐ橙色に変わり、俺とアオイの会話が途切れて少しの時間が経ったころ。
空腹感も増してきて、せめて誰か食事くらい持ってきてはくれないかと思っていた時に、アオイが口を開いた。
「――そこの者、隠れなどせず、入って来られよ」
その言葉が向かう先は、外へと繋がる暗い扉。
何事かと思い様子をみていると、扉が開き、その隙間から小さな人影が姿を表した。
「我らになにか用ですか、坊」
「……姉ちゃんたち、外から来たのか?」
おずおずと入ってきたのは、額に小さな一本角を生やしたオークの少年。
壁際に寄って俺たちを警戒する姿勢を取りつつも、その視線はアオイに向けられている。
「ええ、ここから遥か遠くビーグッドより……恐れずともよい、もそっと近くへ」
柔らかい、落ち着いた声色でアオイがそう話しかけると、少年はゆっくりとこちらへ近寄ってきた。
相変わらずその視線はアオイ――より正確に言えば、アオイの服に向けられている。
「…………それ」
「?」
「外の奴は、みんなそんな服を着るのか?」
アオイの物腰に警戒を緩め、牢の格子の近くまでやってきた少年は、アオイの服を指さした。
「姉ちゃんたちがここに入るとき、オイラ見てたんだ……それ、きれいだ」
「……なるほど! これは、歳のわりに洒落者であったか、坊!」
キョトンとした顔を浮かべ、それからすぐにアオイは泡が弾けたように笑った。
それを見た少年が驚いて一歩下がるも、アオイは笑ったまま手招きをする。
「取って食いはしませぬよ、ほれ、もっと近くで見るがよい」
アオイは立ち上がり、少年のそばへ寄った。
少年もはじめは戸惑っていたが、興味と関心には勝てなかったのか、引くことはせず格子を手で掴み顔を近づけた。
「坊、名前は?」
「ラニー。ほんとはラニエラジ・ギリーだけど、みんなラニーって呼ぶんだ」
「そうですか、ラニー。私はアオイ、そこの彼はフロウです」
「アオイ……」
名を呼びながらも、ラニー少年の目はアオイの服に釘付けだった。
「上はコソデ、下はハカマと言います……何を隠そう、この服は虫の糸から作っているのです!」
「げぇっ! オイラ、虫は嫌いなんだよ!」
「はっはっは、ではラニーは虫を恐れる弱虫ですね!」
「だっ……! 誰が弱虫だ! オイラはガラテア一の戦士になる男だい!」
意外にもアオイは子どもの面倒をみるのが上手だった。
……というか、ラニーよ。
アオイからもっと服の話を聞き出してくれ。
俺――めちゃくちゃ興味がある。
日頃の店番や移動中にちょくちょく聞いてはいるのだが、いかんせんアオイにこっちの文化を教える重要度の方が高いため、異界の詳しい話はなかなか聞けていないのだ。
異界の服飾文化……めっちゃ気になる……!!
「うわぁ、すげえスベスベだぁ! この色も……青? 黒?」
「藍と呼びます。タデという葉が元になり、虫除けや糸を強くする効能もあるのですよ」
なるほど、ただ見た目を鮮やかにするだけでなく、服そのものを長持ちさせる染料か……。
つまりあれは日常的に着用する普段着なのだろう。
しかし、上の……コソデと言ったか、あれの鮮やかな刺繍は見事だ。
ハーフフットの飾り布だってあそこまで細かい模様入れはなかなかしない。
あれが普段着ということは、アオイのいたシモツキは思った以上に文化水準が高いのか?
いや、アオイは名誉に対する欲求が強い。
つまりはそれなりの身分であった可能性もある。
日頃から華美な服を着ることが権力誇示の意味で大きな役割を果たしていた?
ううむ、興味は尽きない……。
「……フロウ、そんなにギラギラとした眼差しで、どうしましたか?」
「兄ちゃん、なんかおっかねえや……」
「いや、俺に構わず続けてくれ」
屈託ない興味を質問に変えるラニー少年。
それに根気強く答えるアオイ。
そしてその問答を端から聞き耳を立て続ける俺。
三者三様の模様は、奇妙な盛り上がりを見せたのであった。
「そうだ、姉ちゃんたちにこれ持ってきたんだ」
会話に一区切りがついたところで、ラニーが懐から取り出したのは小さな包み。
大きな葉を縄で結んだそれを開けると、中から香ばしい匂いが飛び出してくる。
「――おお!」
「これは……リガァだな、ドーズ豆と魔物の肉の煮込み料理だ」
「うん、姉ちゃんたち、なんも食べてないでしょ? これ、食べていいよ」
格子の隙間から差し出された二つの包みと木彫りのスプーンを受け取った俺たちは、一も二もなく飛びついた。
「これは――美味い! 本当に魔物の肉ですか!?」
「だから言っただろう、オークは料理に魔法をかけると」
テンションに差はあれど、料理をかきこむ速度は同じ。
見る見る内に平らげていく俺たちの様子を、ラニーは楽しそうに眺めていた。
「なんか最近、みんな忙しそうでつまんないんだ」
「……どういうことだ?」
「父ちゃんや村の兄ちゃんたちは昼間っからどっかに出かけてるし、母ちゃんや女の人たちは編み物ばっかしてるんだよ」
おそらくは大した意味のないラニーの愚痴。
――しかし、俺はそこに奇妙な引っかかりを感じた。
「ラニーはお父上について行ったりはしないのですか?」
「オイラはまだ子どもだからダメだって、除け者にされるんだ」
「では母君と……」
「編み物をやれって!? あんなのは女のやるもんだ、オイラみたいな戦士がやることじゃねえやい!」
他種族にも見られることだが、狩猟民族であるオークは特に男女の生活が明確にわかれている。
ただその分、ラニーのような少年でも狩りや訓練についていくことが一般的のはずだが……。
「……ラニー、集落の女性たちがやっている編み物っていうのは、どんなものだ?」
「え? うーんとねぇ……」
「もしかしてそれは、こんな模様を入れてなかったか?」
指で地面をなぞり、頭の中に浮かんだ二つのマークを描いてみせる。
俺の予想が正しければ――。
「ああ、こっちだ! 母ちゃんもみんな、布や服にこれを描いてた!」
「そうか……なるほどな」
ラニーが片方のマークを指差す。
――当たった。
記憶と知識、それに状況が一致した。
まだ分の悪い賭けには違いないが、一筋の光明は見えた。
「なにか気づいたのですか、フロウ?」
「ああ、最悪の状況に対する備えが済んだってところかな」
「――そこで何をしている、ラニー」
ふいに、牢の入り口が開いた。
そこから現れたのは、ガラテア族の族長にしてこの集落のリーダー、ラガニだった。
「ラニー、誰の許しを得てここに入った?」
「あ、オイラ……その、ご飯……」
「家に帰れ、寄り道は許さん」
怯えた表情を見せるラニーにも、ラガニは厳しい態度を崩さない。
「叱らないでやってください、ラガニ殿。彼は我らに食事を持ってきてくれたのです」
「……それは事実か?」
「この二つの包みを見れば、わかることかと」
「黙れ! 俺はラニーに聞いている!」
張り上げたラガニの大声が狭い牢の中に響く。
ラニーは肩を震わせて、まともに答えられる状態ではない。
……やれやれ。
「ラニー、俺たちは大事な話をしなきゃいけない、ラガニの言うことを聞いて家に帰ってくれ、ご飯をありがとう、美味しかったよ」
「ええ、ごちそうさまでした、ラニー」
「う、うん……姉ちゃん、兄ちゃん、またね」
俺たちの言葉を素直に聞いて、ラニーはそそくさと牢を出ていった。
追い出すようなかたちにするのは申し訳なかったが……ここにいても、ラニーが聞いていて楽しい会話は始まらないからな。
ラニーを見送ったアオイは後ろに下がり、両膝をついて座った。
ここは、俺が切り出すしかなさそうだ。
「それで、戻ってきたってことは、俺たちに話があるんだろう?」
「……ああ、そうだ」
ひときわ重くなった空気に、低く沈みこむようなラガニの声はよく馴染んでいた。
ラガニは俺の目を見て、それから黙ったままのアオイを見て、それから口を開いた。
「女、なにか言いたいことはあるか?」
感情のこもらない、形式的な問いかけ。
それを受けて、アオイは考えるように少し頭を下げた。
そしてラガニを見上げ、いつもどおりの表情で言う。
「まずは深謝を――理由はどうあれ、私があなたがたの名誉に傷をつけたのは事実です」
そう言って、地面に両手の拳をつけ、アオイは背を曲げた。
「此度の非礼の責は私のみが背負うもの。私は如何なる沙汰をも受け入れましょう。ですがどうか、フロウには恩赦をお与えいただきたく存じます」
深く頭を下げて。
俺の位置からは見えないその口から出てきたのは、なんともアオイらしい、身勝手な言葉。
「っ! アオイ、ちょっと待て、お前!」
「これは私とオークの問題なれば、フロウは関係ありますまい。平に……平にお願い申し上げます」
俺の顔など見る気もないというように、アオイは繰り返す。
「……それが、お前の意志なのだな?」
「ええ、もとよりこの大地に拾われた我が命、大地に返す覚悟はできております」
「だからお前は、そうやって勝手に話を進めるな!」
慌てて肩を掴むと、アオイは動じることなく顔を少し上げた。
そうして見えたのは、自分の命を差し出しているとは到底思えない、いつもと変わらないアオイの微笑み。
「……お前」
「よいのです、フロウ。あなたが気に病むことではありません」
だから、そういうのが――。
「了承した。お前の願いは、我らの決定に背くものではない」
抗議の言葉を述べようとしたその時、俺より速く、ラガニの言葉が割って入った。
「次の朝日が昇るとき、お前の首を落とす――それを以て、穢された我らが名誉を濯ぐものとする」
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