第三部
第一話 二人の旅について
ビーグッドからずっと離れた街道を、俺とアオイは旅している。
あの街を出てからもう十日ほど。
風に乗る潮の香りが消え、テローシャの花が咲く道を越え、針葉の樹木が生い茂るハルバリー平原を抜け、次第に空は灰色の低いものに変わり、道も草より小石が目立つようになった。
疲れ知らずのアオイは今日もマツカゼの背に座って、今朝まで泊まっていた宿場の主人からもらった干し肉を機嫌よく噛んでいる。
「フロウ、フロウ! 今日こそ目的の村に着くのですよね?」
両手に干し肉を握りしめ、唇の端でもやはり干し肉を咥えたまま、アオイが振り向く。
「そうだ。三日ほどの滞在を予定してるから、ようやく落ち着ける」
「なるほどー、となれば夜暗に乗じて襲い来る魔物退治もおしまいなのですね……」
「なんで残念そうなんだよ」
「それはもう、アヤカシ退治はブシの誉れですゆえ!!」
「わざわざ敵襲を待ち望む蛮族の風習はわからん……」
「誰が蛮族ですか! 失敬な!」
しかし、アオイの見張りは大したものだった。
交代で焚き火の番をしてアオイが寝ている時も、近づいてくるものがあればすぐさま飛び起きて走っていき、魔物か野盗の死骸を抱えて戻ってくる。
いささか心臓には悪いが、護衛としては申し分ない働きだ。
いささかというか、かなり心臓には悪かったがな……。
おっさんの死体を両手に抱えて帰ってきた奴にかける褒め言葉なんてこの世にねえよ。
「今回はエルシャが忙しくて同行を頼めなかったから少し心配していたんだが、取り越し苦労だったな」
「それはもう、エルシャから気を引き締めるよう言われておりましたので!」
「なんだ、出発前にエルシャと会ったのか?」
ビーグッドにいる間、アオイには店番の時間以外は自由に過ごしていいと言っている。
だからそこで何をして、誰と会おうがそれはアオイの好きにすればいい。
…………俺が巻き込まれるような問題さえ起こさなければ。
エルシャならばアオイの制御も任せられるし、アオイにとっても街に顔なじみが増えるのはいいことだろう。
「ですが、エルシャは少々機嫌が悪いようでした」
「お前がなにか余計なことでも言ったんじゃないのか?」
「どうでしょうか、ただ『これからしばらくフロウと二人でお出かけです』と言ったとき、ほんの一瞬だけ凄まじい殺気を放っていました」
「余計なことを言いやがって……」
帰ってもしばらくはエルシャから隠れていよう……。
「しかし、別に怒られるようなことはありませんでしたよ?」
「あいつは昔から人に当たったりはしないんだよ……俺以外には」
旅のころからそうだった。
エルシャが同行していたときも、兄貴たちに何をされてもうまく流してみせるくせに、そのあと必ず俺のところへ来てなぜか俺が怒られるんだ。
それも「カイエンさまたちの不祥事は管理役のフロウにも責任がある」とかめちゃくちゃ理不尽な理由で。
それを見た兄貴たちが面白がってさらにエルシャと俺をからかい、また俺が怒られる無限のループ……。
あれもあいつなりのコミュニケーションなんだとわかっちゃいるが、もう少し優しくしてくれてもいいのにと思うのは、俺のワガママなのだろうか。
「しかし、この積荷ともこれでお別れですか」
「ああ、今回は大荷物だったからな。マツカゼもよく働いてくれた」
「そうですね、この旅の功労者です」
そう言いながらアオイが背を撫でると、マツカゼは機嫌よく鳴いた。
振り返れば、いつも使っているものに比べて二回りほども大きな荷車がある。
その中には弓矢や長槍、医療品が幌を膨らませるほどたくさん積まれていた。
「向かうのは、オークなる種族の集落でしたよね? オークというのはいかなる人々なのですか?」
「ビーグッドにもいるにはいるが、見た覚えはないか?」
「うんともすんとも」
「そう数が多いわけでもないし、そんなもんか。そうだな……だいぶ近づいてきたし、お前にも話しておこう」
「何をです?」
「オークという種族についてと、これからのことを、だ」
異界から流れてきたアオイは、良くも悪くも大陸の文化を知らない。
何もかもを知っておく必要はないが、それでも、知らなければいけないこともある。
「確認だが、アオイの国にはヒューマンしかいなかったんだよな?」
「はい、ヒューマンという呼び名も聞き覚えがありませんでした」
ビーグッドに流れてきたとき、アオイは新鮮な驚きとともにエルフやハーフフットを眺めていた。
ヒューマンしかいない国で育ったアオイには、これからの話は少々理解が難しいかもしれない。
「オークというのはな……あえて言葉を選ばずに言うが――被差別種族なんだ」
「被差別……虐げられてきた、ということですか?」
「ああ、そのとおりだ。これからするのは、そういう話になる」
オーク――泥地や荒れた山岳地帯にコミューンを築いてきた少数種族。
魔物が多く生息する地域を生き抜く彼らは膂力が強く、魔術適正に優れ、頑強な爪や牙を備える誇り高き狩猟民族だ。
しかしその歴史は大陸の闇と共にある。
「今でこそ大陸法で差別は禁止されているが、それでも一部ではまだ必需品の売買に制限がかけられたり不当に高額な価格での取引を求められたり、公平とはとても言いにくい環境にある」
「……ビーグッドでもそうなのですか?」
「いや、ビーグッドは多くの種族を受け入れることで発展した都市だからな、あそこは特別だ」
「そうですか、それはよかった……本当に、よかった」
自分の暮らす場所でそのようなことが起きているとなれば、とてもいい気はしないだろう。
それは至って当然の感情だ。
しかし、この大陸の歴史はその当然の感情を捨て去ってしまった。
これは明確な歴史の汚点であり、アオイのような外から来た人間に見せるべきではない大陸の恥だ。
「俺たちはこれから、オークが正規のルートでは仕入れにくい武器や薬を届けに行く」
「なるほど、それは……腕が鳴ります!!」
アオイは腕を組み、意気揚々といった様子だ。
オークに対する差別の撤廃運動が起こったのは今から二年前のこと。
ビーグッドをはじめ、少しずつ環境は変わっているが、それでも大きな変化にはまだまだ時間がかかるだろう。
そのために必要なのは、外からやってきたアオイやこれから生まれてくる子どもたちのような、暗い歴史と関わりを持たない次の世代だ。
だからこそ、こんなことを言うのは心苦しいが――。
「アオイ、これからオークの集落にいるあいだ、お前は口を開くな」
「なっっ、なぜです!?!!? 私とて、オークと酒を酌み交わしたいです!!」
「……うん、テンション高めの疑問をありがとう、ホントに」
明るくない話題でも気にせずトーンを保ってくれるの、こいつのいいところだと思う。
おかげでこっちも物々しくなりすぎずに済むから。
「都市に出ず集落で暮らすオークたちは強い非差別意識を持ち、特に俺たちヒューマンに対しては険しい顔をすることも多い。何がきっかけで揉め事に発展するかわからないし、俺も事前に気をつけてやれない。だからこれは予防策だと思ってくれ」
アオイはオークの歴史を知らない。
これ自体は良い面もあると思う。
しかし、それがきっかけで彼らの心を傷つけることもありえる。
そして一度傷をつけてしまえば、その行為は攻撃と受け取られる。
そうすれば、もう敵と見做されてしまう。
そのくらい過敏にならなければいけないほど、オークの歴史は厳しいものだった。
「私がダメでも、フロウは大丈夫なのですか?」
「集落には旅の頃に出会った知り合いがいる。そいつらに俺がお前の事情を伝えて話をつけるよ。そうすれば、むしろ気さくに話せる相手もできる。だからそれまでの間、少し我慢してくれ」
「むう、別に私は問題など起こしませんのに……」
「少しは過去を省みることを覚えろ」
「省みる……? またフロウがわけのわからない大陸言葉を……」
「お前ら蛮族に反省の二文字はないのか……?」
やはり、口を開かせないのが正解だ。
交流は相互の理解が進んでからゆっくりと始めればいい。
マツカゼの背で歌うアオイの鼻歌を聞きながら、俺はそんなことを考えていた。
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