第十一話 伝説の裏側について

「――それで、ミスタ・フロウ、我が商会と話したいこととは?」

「わざわざ時間を割いていただいたことに、まずは感謝を。長々と前置きするのは好まない、単刀直入に本題へ入らせてもらいます」


 ダニー鉱山から小竜で二日はかかるディーズの街。

 ビーグッドほどには及ばないものの、それなりに賑わうこの街の市場はパートル商会という組織が顔役を務めている。


 街に着いて三日、調べ物を終えた俺はパートル商会の門を叩いた。

 そして今、商会長であるロン・パートルと面会を行っている。


「ロンさん、ダニー鉱山から手を引いてください。あなたが行った違法行為の数々はすでに抑えています」

「おやおや、ミスタ・フロウ、君は商人と聞いていたのだが、裁判所か自警団から来たのかね?」

「……シャイタック商会から言伝を預かっています、これを聞いて、どうか考えを変えていただきたい」


 嘲るようなロンの笑みが、シャイタックの名を出した途端に変わる。

 やはり準備は念入りにしておくものだ。


「『リーブルの矢は三千万里を狙い撃つ』――これがどういう意味か、おわかりですね?」

「……なるほど」


 リーブルとは遥か昔にいたとされるエルフの英雄。

 数々の敵を討ち、生涯無敗を誇ったというリーブルの名を出したのは、シャイタックからロンに対する脅しにほかならない。


「明言しておきますが、私はあくまで部外者です。被害者が増える前にこの争いを止めたい、私の願いはそれだけだ」


 きっと今ごろ、ダニー鉱山ではドワーフと傭兵が戦っていることだろう。

 その行く末についてはアオイやエルシャに任せるしかないが、問題はそのあと。


 リバックはダニー鉱山を売ろうとした。

 それはつまり、ダニー鉱山を買おうとする者がいたということ。


 今回の戦いをしのいでも、大本を叩かないかぎりこの話は終わらない。

 傭兵など金さえあればいくらでも雇えるのだから。


「シャイタック商会からは、あなた方が今後ダニー鉱山と関わらないのならば無用な手出しはしないという承諾も得ています。どうか一考を」

「ふむ……ここに来るまで、随分と駆け回ったようだ」


 ロンは口ひげを撫でながら俺を一瞥する。

 上から下まで順繰りに、値踏みするような視線で俺をなぞる。


「しかし、こうは考えないかね? 我々はもともとシャイタック商会と事を構えるつもりでいた。これはただ、状況がわかりやすくなるだけの話だと」


 背もたれに体を預け、ロンが二回手を叩く。

 それに応じて部屋の左右にあった扉が開き、剣を持った男たちが四人現れる。


「……ロンさん、あなたがシャイタック商会とぶつかること自体は止めません。しかし、現状では罪のないドワーフたちを巻き込むことになります」

「生存競争とは元来そういうものだよ」


 ロンの後ろに二人、そして俺の後ろにも二人、男たちが回り込む。

 穏当な話し合いを手伝いにきたようには見えないし、つまりはそういうことだろう。


「こういう筋書きはいかがかな? 今から君には、我々が取引に応じたという手紙を書いてもらおう。そうすればシャイタックの面々は油断をする。その隙に、私と君で鉱山を乗っ取るというのは」

「そんな話に、私が乗るとお思いですか?」

「でなければ、君はこの街で不運な事故に遭ってしまう。自らの命と引き換えにするほど、あのドワーフは価値のある連中かね?」


 首元に当たる冷たい感触。

 体を動かさず視線だけを下げれば、鈍い輝きを放つ刃が見える。


 脅せば屈する程度の相手だと思われているのか、邪魔者を殺すことになんの抵抗もないのか――おそらくは両方だろう。


「やめたほうがいい。こんな手段を取っても、あなたは何も得られない」

「そんなことはないさ。いいことを教えよう、ミスタ・フロウ。交渉における最大の備えは血と制裁だ」


 ロンが口角を上げて笑う。

 愚か者に対する勝利を確信した笑みを浮かべる。


「私もこれが最後の通告だ。我々の下につきなさい」

「――俺は、戦う相手の値札も読めない奴らと組む気はない」


 俺の言葉を聞いて、ロンは大きくため息をついた。


「残念だよ、君の首はシャイタックに送ろう――やれ」


 最後の一言を合図に、躊躇なく剣が振るわれる。

 鋭い刃が俺の肉を断ち、噴き出した血が応接室の壁を濡らした。

 目眩がする視界のなか、ロンの下卑た笑みが見える。

 ロンの後ろに控えていた二人の男はやることもなく終えた仕事にあくびを漏らす。


 斬られた勢いのまま、俺の体はテーブルに倒れ、重力に従い床へ転がる。

 床を伝う血が自分の体を濡らす、気色の悪い感触。

 正直わかってはいたことだが、戦う力のない俺がアオイやエルシャを連れずに来れば、こんなものだ。


「死体を運べ、この部屋は隅々まで掃除させておくように」

「かしこまりました」


 倒れた俺を一瞥することもなく、ロンは周りの男たちに命令する。

 そして立ち上がり、部屋を出ていこうとする。


「――待てよ、ロン。まだ話は終わっちゃいない」

「…………なに?」


 ――だから、やめておけと言ったのに。


 床に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。

 手を滑らせるようなことはなかった。

 あれほど溢れ出した血はとっくに消えている。


「ひぃ! し、死体が動いたぁ!」

「勝手に殺すな、そもそも死んじゃいない」


 背後で怯える男に視線をやりながら首をさする。

 傷もすでに癒えた。


「治癒魔術……? いや、ありえない、詠唱の隙はなかった、それに消えた血は……!」

「それであってるさ、治癒魔術だ。傷を負った事実そのものを他者に移す、ユスティーアの得意技だ」

「ユスティーア……まさか、邪竜討伐の……!」


 ユスティーアは生まれつき特別な体質だった。

 あらゆる傷や呪いを受け付けない『完全なる肉体』の持ち主。

 その彼女が傷を引き受ければ、『完全なる肉体』に傷がつくという矛盾が生じて、傷を負ったという事実そのものが消失する。


 今考えても無茶苦茶な反則技だが、俺たちはユスティーアにずっと救われてきた。


 驚くロンをよそに、俺は首から下げていた魔導具を出して見せる。


「この魔導具にはユスティーアの術式が埋め込まれていて、起動中に俺が受けた傷や呪いは全てユスティーアの体に移り、消失する」

「そんな……あ、ありえない! たとえそれが事実だとして、清廉なるユスティーアの治癒魔術の触媒になりえる魔石など聞いたことがない!」


 ロンの言うとおり、魔導具に術式を埋め込む際には相応の質の魔石が必要となる。

 事象の転移はただでさえ大魔術で、さらにユスティーアの術となれば国宝級の魔石でさえ難しいだろう。


「だが、その不可能を可能にする触媒が、事実ここに存在している」

「いったい、どうやって……」

「聖竜ラグニより賜った宝牙――それが、この魔導具の触媒だ」


 ――魔導具・宝牙エルクシル。

 俺の切り札であり、邪竜を倒したあとの戦いで得た最後の勲章。

 六年を費やした旅の証。


「ラグニ……聖竜……? 嘘だ、な、なぜそんなものを、お前が……」


 予想だにしていなかった名を聞いて、動揺を強くするロン。

 そして次に聞こえてきた声が、ロンの驚きにとどめを刺した。


『――ちょっとちょっとぉ、なんなのよ、もぉ!』

「……ユスティーアか?」

『そうだよぉ、朝から気持ちよくお酒飲んでたのに、急に首がチクってしたぁ! ……って、あれぇ!? フーちゃん!? フーちゃんの声だぁ!』


 宝牙から響くのは、俺にとっては少し懐かしいユスティの声。

 たしかリノアが、緊急時の連絡手段として通信具の機能も組み込んだのだったか。

 この可能性があるから、正直あんまり起動したくなかったんだが……。


『フーちゃん、今どこにいるのぉ!? お姉ちゃんたち、すっごく探したんだからぁ!』

「なんだ、心配してくれたのか?」

『そりゃあもう、酒瓶の中とか、酒樽の中とか、酒蔵の中とかいっぱい探し回ったのよぉ』

「しばらくは見つかりそうになくて安心したよ」


 まともに探す気ないじゃねえか。

 この通信も位置まではわからないし、ここでバレたとしてもすぐに出ていくから、居場所が割れる心配はないだろう。


「またちょっとした揉め事に巻き込まれてな。心配かけて悪いけど、大丈夫だから」

『そぉ? フーちゃんってば弱っちいんだから、無理しちゃダメだよぉ』

「ああ、気をつけるよ」


 緊張感のなさ、優しい声も、あの頃と変わらない。

 ユスティの声を聞いていると、思わず口元が綻びそうになる。


「ま、まさか……清廉なるユスティーア様……本物の……!?」

『んん~~? もしかして、フーちゃんをいじめた子たちもそこにいるのぉ?』

「ひっ、ひいぃぃ!!」


『言っとくけど、フーちゃんは私たち四人の大事な弟なんだからぁ、フーちゃんにもし何かあったらぁ――あなたたち、絶対に許さないから』


「あぁ、ユ、ユスティーア様! そ、そのようなぁ!」

「……ユスティ、あんまり脅かしてやるなよ」

『はーい! それじゃあお姉ちゃんは飲み直すからぁ、フーちゃん、またねぇ~!』


 その言葉を最後に、ユスティとの通信は切れた。

 突然の乱入には俺も驚いたが、まあ、元気そうで何よりだ。


 さて……。


「ともあれ、これで宝牙については信用してもらえただろう?」

「……ユスティーアさまに、聖竜……お前は、いったい」

「俺の素性については説明を省かせてもらうが、とにかく、だ」


 ロンが腰を抜かして尻餅をつく。

 それを見下ろしながら、俺は話を続ける。


「宝牙エルクシルに埋め込まれたユスティーアの術式は、いわば後づけでな。本当の用途は他にある」


 これはあくまで、俺の身を案じたリノアとユスティが宝牙エルクシルに魔改造を施した結果に過ぎない。

 こんな貴重な品に手を加えるあいつらの神経もどうかと思うが……まあ、二人はそういう奴らだからしかたない。


 宝牙エルクシルは、全く別の目的で作られたもの。


「この大陸――聖竜王国ラグニアの王、聖竜ラグニから賜った宝牙エルクシルの持つ力。


 ――それは聖竜が持つ王権の代行。

すなわち、王国臣民への絶対命令権だ」


 絶対命令権。

 それは名のとおり、この大陸で生きるあらゆる人々を支配する力。


 邪竜討伐を完了しても俺たちには多くの敵が残った。

 英雄の誕生を拒む者、邪竜を崇拝していた者たちは、あらゆる手段で俺たちを潰そうとした。

 人間との戦いに直面した俺が、聖竜との長い交渉の果てに与えられた力。

 それが――宝牙エルクシル。


「そんな、無茶苦茶な力が……」

「もちろん、いつだって自由に使えるわけじゃない。あんたが素直に鉱山から手を引けば、使う必要だってなかった」


 エリクシルには、聖竜との契約によって定められた三つの使用条件がある。


『汝、罪なき人を虐げることなかれ』

『汝、いかなる敵も憎むことなかれ』

『汝、自ら争いに身を置くことなかれ』


 これらの条件を全て満たした場合にのみ発動する、争いを止めるための力。

 だから俺はアオイやドワーフたちと同じように戦うわけにはいかなかった。

 あくまでこの力は、戦いの外に身を置く時にしか使えないから。


「さあ、ロンさん、これで説明は全て終えた――」

「ま、待ってくれ、知らなかったんだ……!」


 宝牙をかざし、ロンを見下ろす。


「聖竜王の御名において、フロウ・ティンベルが命ずる――汝、謀ることなかれ」


 宝牙が輝き、それと同時に、ロンの額に戒めの紋章が刻まれる。

 この紋章があるかぎり、ロンは二度と人を騙したり良からぬ企みごとをすることができなくなる。


「あ、ああ、あああ……!」

「命までは取らない。あんたが慎ましく正直に生きてさえいれば、それでいい」


 契約の一つ『汝、いかなる敵も憎むことなかれ』。

 これは必ず相手に許しを与えることを定めたもの。

 どんな敵であれ、俺は贖罪の可能性を残さなければならない。


 もとより人には過ぎた力だ。

 俺に乱用する気がないとはいえ、制限が多いに越したことはない。


「ただし、命令を守らなければ聖竜の罰があんたを襲う。そのことを忘れずに、どう生きるかをよく考えるんだな」

「ま、待ってくれ、そんな、どうか……!」


 這って足にすがりつこうとするロンを気にも止めず、俺は部屋のドアへ歩いていく。

 取り巻きたちは、近づく俺から逃げるように去っていく。


 ドアを開け、部屋の外へ一歩出たところで、俺は最後に一度だけロンへ振り返った。


「――いいや、話はもう終わりだよ」





 ディーズの街からダニー鉱山へ戻る途中、俺は立ち寄った宿場でとあるニュースを聞いた。

 街一番の商会を仕切る男が、突如現れた小さな白竜の群れに食い殺されたらしい。


 やはり、話は通じなかったのだ。

 それから俺は少し強い酒の瓶を買ったあと、一口飲んで、残りをディーズへ続く河に流してやった。

 それが、俺にできるせめてもの鎮魂だった。

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