第十話 伝説を継ぐ者について

 開幕から魔導砲が放たれるまで、エルシャは役場の屋根に上って状況を見つめていた。

 気持ちとしては、今すぐにでも門を出てアオイに加勢してやりたかった。


 しかし、できない。

 エルシャの仕事は役場に隠れた非戦闘員の防衛。

 門が破られたときにここを守る者がいなくては虐殺が起きる。

 最悪の場合、エルシャが子どもや老人を引き連れて撤退戦へ移行しなくてはならない。


 エルシャは、アオイが魔導砲に立ち向かうのをただ見ていることしかできなかった。


 放たれた赤い光。

 エルシャはあれを知っている。

 あれは城塞を粉微塵にするために作られたものだ。

 人など、当たれば欠片も残らず四散してしまう。


 対してあの少女は、そんなことを知るはずもない。

 なにせ、異世界からやってきたという少女だ。


 だからあれは無謀ではなく勇気であると、エルシャは少女にせめてもの敬意を払った。


『桜天流――千手桜山!!!!』


 少女が叫び、剣を振り下ろす。

 その先には魔導榴弾。


 エルシャは知っている。

 あれを、斬ることのできないものだと知っている。


 そもそも剣とは、形あるものを切り裂くもの。

 そして魔術とは形のない力のかたまり。

 対抗するには魔術による強力な支援が不可欠だ。


 だから魔術を知らないアオイに、あれを斬れる道理はない。


『――――おお、お、おおぉお』


 しかし、エルシャはそこで違和感に気づいた。


 あれは榴弾だ。

 放たれた先でぶつかり、爆ぜて、あたり一面に破壊をもたらすもの。


 それなのに、まだ爆ぜていない。

 どころか、あれはまだアオイを食いつぶすことさえできていない。


『――――おぉおおぉおおおおおおおおおおお!!!!』


 アオイの声が、止んでいない。

 アオイの剣が、あの砲弾を止めている。


 ありえない。

 魔術が、道理が、あの少女を前に通らない。


 エルシャが瞳に施した遠見の魔術には、しっかりとアオイの五体が映っている。


『どぉおおおおりゃああぁぁああああああ!!!!」


 魔術が破れる。道理が断たれる。

 ただの肉体と刃が、魔導榴弾を二つに引き裂く。


 それはこの世界にとってありえない奇跡。

 そんな奇跡を、エルシャは二つしか知らない。


 一つは大陸を脅かした邪竜の爪。

『詠唱喰らい』と呼ばれたあの怪物には、あらゆる魔術が無意味だったという。


 そしてもう一つ、剣による切断を果たしたというなら、たった一人。

 勇者カイエンとともに邪竜を倒し、その技は魔術だけでなく、天に輝く星さえも斬り墜としたとされる最強の剣士――『星断ちのアルベル』。


 邪竜と『星断ち』――そこに今、あの少女が並ぼうとしている。


『――斬った! 斬り伏せました! やったー!!』


 とうのアオイはエルシャの驚きなど露知らず、呑気にはしゃいでいる。

 勇者一行による伝説の妙技を垣間見たエルシャはその姿を見ながら、負けてはいられないと、そう思った。


 邪竜を滅ぼした勇者一行が一人――『果てなき大魔導リノア』の弟子として、遅れを取るわけにはいかないと、そう思った。





『果てなき大魔導リノア』に弟子がいるという話は、勇者カイエンに弟がいるという話よりもよほど世間に知られていない。

 ただ一人、旅のある時期だけ同行した少女に魔術を教えた時も、リノアは少女が自身の弟子であると言うことも、自ら魔術師を名乗ることさえ許さなかった。


 ――いいかい、エルシャ。ボクに言わせれば、魔術師なんていうのはあと百年で滅ぶ連中だ。そんなつまらない名を君が背負うことはない。


 役場の屋根で腹ばいになって、特注の機巧杖を構えながら、エルシャは師の言葉を思い出す。


 ――敵を倒すだけなら、わざわざ魔力を炎や氷に変えることはない。詠唱だっていくらでも短くできる。魔術師とは、そういう見栄を捨てられない馬鹿が名乗るものさ。


 機巧杖の中央付近にある二脚杖架を伸ばし、床に固定する。

 幅広い先端部分は肩に押し当て、顔を杖に寄せて狙いを定める。


 ――ん? ボクはほら、天才だから。舐めてかかるくらいがちょうどいいのさ。ところでエルシャ、ここがどこだかわかるかい?


 方向音痴ですぐ迷子になる困った師匠を思い出し、エルシャの顔に一瞬だけ笑みが灯る。


「――身体固定、衝撃緩和、照準補正、開始」


 簡略化した詠唱を一つ呟くたびに、エルシャは自分の中に魔力が巡り、人から砲身に変わっていくのを感じた。


「――砲門展開、重ねて六つ。砲弾装填、三六、繰り返せ」


 役場の上空に、あの魔導榴弾砲よりもさらに大きな魔法陣が六つ描かれる。

 それらは明けようとしていた空の光を食い尽くし、あたり一面を宵闇に染めていく。


「――魔力増幅、高速循環、加速、加速、加速、加速」


 傭兵団の魔術師たちが四人がかりで、魔導具を頼りに作り上げた魔導榴弾。

 それよりもさらに巨大な術式を複数同時に、自身の内蔵魔力のみで展開する。


 この戦いにおいて、エルシャは支援に務めようと考えていた。

 これはドワーフたちの戦いで、領分を超えることはすべきでないと。


「照準再調整――」


 その枷を、アオイの一刀が取り払った。


「――掃射」


 誰の耳にも届かないその一言が、宵闇を解き放つ。

 上空へ向けて放たれた三六の魔導砲はドワーフたちのいる塀を超え、傭兵たちと彼らの砲台を噛み潰す。


 リノアが得意としたのは、ただ膨大な魔力を凝縮させて撃ち込むだけの攻性魔術。

 この術式はそれをエルシャが独自に改良して、指向性と拡散性をもたせたもの。


 たかだか傭兵の魔術師が扱う魔術防壁など、紙の盾にも劣る。


『――ち、ちょ! エルシャ! 何がどうなって!!!』

「心配しなくても、あんたたちには当てないように操作してるから大丈夫」

『そんなこと言われましても!! ひゃあ!!』


 体を起こし、屋根の上に腰掛けて、エルシャは通信具から聞こえてくる声に耳を傾ける。


『星断ちのアルベル』の技を使う異界の少女、アオイ。

 彼女もいつかアルベルのように、大陸に名を轟かせる戦士になるかもしれない。


「……護衛の座は取られたけど、他のは、ダメ」

『な、何か言いましたか!? うひぃ! あ、頭のすぐ横に飛んできました!!!』

「下手に走り回ると当たるかもしれないから気をつけてって言ったの」

『総員! 頭を低くして、微塵も動いてはなりません!!!』


 それでも今はまだ、エルシャはこの世界の先達として、彼女に遅れを取るつもりはない。

 エルシャは意外と、負けん気の強い女だった。





 傭兵たちが保険として用意した切り札、魔導榴弾砲。

 それは勇者一行の技を継ぐ二人の戦士によって食い止められた。


 傭兵たちも、彼女らを頼りにしていたドワーフたちも想定していなかったこと。

 さらに言えば、エルシャだってアルベルの技を使う人間がいるなんて思ってもみなかったし、アオイに至ってはそれがどれほどの偉業なのか理解さえしていない。


 傭兵たちに非がなかったといえば嘘になる。

 それでも、こんなことを予想しろという方が無理な話だ。


 ディーニックの息子、村と鉱山を売ろうとしたリバックにとっても同じこと。


「な、なんで……なんでこんなことに……」


 頼りにしていた傭兵たちは倒れ、あるいは逃げ去り。

 わずかに残った者たちは、ここが勝機と門から出てきたドワーフに追い立てられている。


「――おぉい、バカ息子」


 戦場の外れで腰を抜かしていたリバックの前に、ディーニックはやってくる。

 頑強な甲冑に身を包み、その手に大きな斧を握って。


「……親父ぃ」

「立てや、リバック。俺はお前を殺さなくちゃならねえ。立って、俺と戦え、そして死ね」

「む、息子を殺そうってのか!!」

「……そうだ、俺は手前の親父で、鉱山の長だ。息子の不始末は俺が片ぁつけにゃならねえ」

「ぐ、ぐぅ……!」


 ディーニックの手は強く斧を握りしめていたが、振り上げられることはなかった。

 その意味が、リバックにはよくわかった。


「ドワーフは生きようとする者に機会を与える。そして、ドワーフはどのような窮地でも諦めねえ。俺も、俺の親父も、祖父さんだって曾祖父さんだってそうやって生きてきた。だからおめえもそうやって生きて、そうやって死ね、息子よ」


 過酷な山岳地帯で、常に死と隣り合わせの環境にいたドワーフたちは、死と苦難を乗り越えようとする者に敬意を払う。

 だからこそ、抗えという父の言葉がリバックには恐ろしかった。


 それはなによりも明らかな殺意の表れだった。


 覚悟はあった。

 親子の縁を残すつもりはなかったし、鉱山を売ると決めたときには、こうなるとわかっていたはず。

 それでもまだ、こんなに恐ろしいとは。


「村を出るのが、都会に憧れるのが、そんなに気に食わねえかよ……。鉱山で泥と垢に塗れて生きるのが嫌だっていうのが、お前らはそんなに……!!」

「ちげえ、そうじゃあねえ」

「ドワーフなんかに生まれたくなかった! 街に行っても、着飾っても、臭くて汚え穴掘り野郎と笑われる! お前らだ、お前らがドワーフをそんな風にしたんだ!」

「…………リバックよぉ」


 ヒューマンのように背が高く長い脚があれば。

 ハーフフットのように身綺麗で、装飾の文化が育っていれば。

 ライカンやエルフのように芳しい香りの香油が似合う美しい風体であれば。


 ドワーフでさえなければ、それでよかったのに。


「親父だってそうだ、よそ者が作ったもんに憧れた! 家にある飾り布や家具だって、みんな他種族が作ったもんじゃねえか! あんたが俺を育てた、だから俺はこうなった!」

「…………」


 ディーニックは何も言わず、重い甲冑を揺らして、リバックに一歩詰め寄った。

 リバックはそれが何を意味するのか理解した。


「ど、同胞殺しだって大罪だ……俺を殺せば、親父だって……!」

「そうだなあ。だからよお、安心せえ、俺も俺の責任を果たすわい」


 ディーニックが斧を振り上げる。

 幼いころ、自分を抱えて持ち上げてくれた力強い腕が、自分を殺そうとしている。


 怯えるリバックには、腰の剣を抜く気力もない。


 父が息子を見下ろす。

 リバックが生涯見たこともない惨めな顔で、戦士の務めを果たそうとする。


 日が昇った。

 夜が明けて最初に差し込んだ日の光が斧に反射して、リバックは目がくらんだ。


「――御無礼、押し通る」


 ディーニックの背から少女の声がした。

 振り返るより先に、ディーニックの体が押しのけられる。


 現れたのは、異国の装束を纏った少女。


 顔の横に剣を構えた少女は、二人に驚く暇を与えることすらなく、迫る勢いのまま、その剣をリバックの胸に深々と突き刺した。


「……あ、ああ、っ、うあぁ」

「――小娘ぇ! てめえ、なんで……!」

「立合の横入り、御免――されどこの首、アオイが頂戴いたします」


 ずるりと、リバックの胸から剣が引き抜かれる。

 胸の穴から、リバックの血が溢れだす。

 それをただ、三人は見ている。


「血、ち……俺の血……」

「リバック! リバック!」


 斧を放り捨て、アオイを押しのけ、ディーニックはリバックに駆け寄る。

 倒れた体を支え、その顔を必死の面持ちで見つめる。


「あぁ、あぁ、いけねえ、リバック! しっかりしろ!」

「やだ、死にたくねえ……! 神さま、親父ぃ……父ちゃん……!」


 父の名を呼ぶ口からあぶくのような血が漏れて、リバックの声を奪う。

 ディーニックが甲冑の袖でどうにか唇を吹いても、血は次第に勢いを増していく。

 そして、顎を伝う赤い河が勢いをなくしたころ、リバックは動かなくなった。


「……此度の無礼、罰はいかようにも」

「なんでしゃしゃり出た、小娘……」

「戦場で敵に討たれるは名誉です。されど、爺殿はこの者の敵ではない。御味方討ちは双方の恥、ゆえに無礼を承知で横入りを」


 アオイの剣に滴るリバックの血。

 剣を振り、腰につけた手ぬぐいで残りの血を拭いてから、アオイは鞘に剣を収めた。

 その仕草の一部始終を、ディーニックは見ていた。


「……小娘よぅ、その腰の飾り布は、お前の故郷のもんか?」

「ええ、免許皆伝をいただいた折、親しい町娘からもらったものです」

「俺に、そいつを譲っちゃあもらえんだろうか……俺は、俺ぁ、そういうもんに目がねえんだ」


 ドワーフの風習において、罪人の遺体や身につけていたものは燃やされ、遺骨は砕かれ、灰と骨粉は山に撒かれる。

 山を肥やし、残された人々の糧となることで、罪は許される。


 鉱山を売り、盗みを働いたリバックの亡骸を残すことは、鉱山の長であるディーニックには許されなかった。その感情を顕にすることさえできなかった。

 それでも父として、息子のいた証をディーニックは残しておきたかった。

 手ぬぐいについた血の一滴すらも惜しいほどに。


 ――朝が来た。

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