第九話 戦のはじまりについて

 村は円形で、外周をぐるりと塀に覆われている。

 塀の周囲には堀があり、内へ入るにはたった一つの門を通るほかない。


 塀から頭を出したドワーフの戦士たちは、街道の先からやってくるリバックと傭兵団を緊張の面持ちで見つめている。

 もはやあれほど飲んだ酒も抜け、今は不安や恐怖が彼らの握りしめる剣や斧を震わせていた。


 敵はリバックと団長と思しきヒューマンの男を先頭に、三〇〇の傭兵が隊列を組んでいた。

 列の一番うしろにはひときわ大きな竜車があり、幌を外した荷台の上に、布をかけたなにやら大きな荷物を載せている。


「来た、本当に来た……!」

「見ろよ、あんなに大勢だ……」

「バカ! 縮こまるんじゃねえ!」


 敵が近づくごとに、ドワーフの不安が増していく。

 傭兵団は村から少し離れた場所で進軍を止めた。

 そして先頭を歩いていたリバックが、小竜に跨り一人こちらへやってくる。


「田舎もんのドワーフども! 鉱山を捨てる覚悟はできたか!」


 堀の手前まで来て、リバックは大声を張り上げる。

 それに答えたのは、塀に並ぶドワーフの真ん中からリバックを見下ろすディーニック。


「恥知らずのバカ息子……俺たちは鉱山を捨てねえ、お前らにも負けねえ! てめえが捨てたもんの力をとくと見ろってんだ!」


「そうかよ――残念だ、あぁ、本当にな」


 たったそれだけの会話を終えて、リバックは傭兵団の下へ戻っていく。

 その背中を見つめるディーニックの顔は、もはや誰も見られなかった。


「跳ね橋をおろせ!」


 ディーニックの哀愁をかき消すようにアオイが声を出す。

 下げられた跳ね橋を、小竜に乗ったアオイと一〇人ほどのドワーフたちが渡っていく。

 堀の外へアオイたちが渡ったところで、再び跳ね橋は上げられた。


「――各々方! まもなく戦が始まる、覚悟はよいか!」


 アオイは振り返り、ドワーフたちを見上げた。


「此度の戦、一番槍はツキサキ・クナイノショユー・アオイが承る!」


 ドワーフたちのいまだ不安げな表情を跳ね返すように、アオイは笑ってみせる。


「案ずるな、アオイが誰より先に死ぬ! 各々方はアオイの通った黄泉路を通る! されどアオイの体は大嵐も殺せぬ体、下郎にやられる謂れはなし! ゆえに各々方が死ぬこともなし!」


 荒唐無稽な話だ。

 誰もが思った。

 しかし、年若い少女が先頭に立つという事実は、ドワーフの手からほんの少しだけ震えを奪い、覚悟に変えた。


「然れども、アオイが死んだら、御免! その時は、共に黄泉路を駆けようぞ!」


「……ぶ、ぶわっはっは、まったく無茶苦茶を言いやがる」

「ひ、ひ、ヒューマンにもあんなバカがおるとはなあ!」

「おう、そうだ、あんなバカを死なせちゃならねえ」

「あんないい子を前に立たせて死なせたとあっちゃあ、ドワーフの誇りは地に堕ちる!」

「やるぞ! 俺たちで、あの子と鉱山を守るんだ!」


「うおおおおおおおおお!! らい! らい! らい!」


 堅牢に作った塀の上で声を上げ、ドワーフたちは足を踏み鳴らす。

 ドワーフに伝わる戦の前の習いを見て、アオイは微笑み、ついでその視線を敵へと向けた。


 三〇〇の傭兵がいっせいに駆け出す。

 対してこちらは、五〇と二人。


 傭兵と小竜の駆け足が砂埃を巻き上げ、空を埋めようとする。


「き、来たぞ! やるか!」

「いや、まだです! 引きつけて、引きつけて――」

「まだか! まだダメか!!」

「まだ! まだ! まだ! まだ!」


 焦るドワーフを止めながら、アオイは迫る傭兵たちを睨み、彼我の距離を図る。


「――打てぇい!!!」


 ようやく訪れた合図とともに、塀のドワーフたちが腕を振るう。

 力いっぱい握りしめた金槌が、その下に置かれた魔石を叩き割る。


 それは、ダニー鉱山のドワーフには聞き慣れた音。

 しかし傭兵たちは、その音が何をもたらすか気づけなかった。


 傭兵たちが大地を駆ける。

 その足元の大地が、轟音とともに爆ぜた。


 傭兵と小竜を巻き込んで、大石と小石が炎を纏い、高々と空へ放り投げられる。

 多くの者がその爆発に巻き込まれ、逃れた者はたじろいで足を止めた。


 傭兵団の襲来に備えたドワーフたちは、魔石を詰めた木箱を村の外に埋めた。

 詰めた魔石は二種。


 一つ目は、二つに割って片方を叩くと、もう片方にもその衝撃が伝わる共振の魔石。

 二つ目は、強い衝撃を与えると炎と爆発を生む起爆石の一種。


 本来はどちらも鉱山作業の発破に使う魔石。

 それらは今、エルシャの発案により手動起爆式の地雷へと姿を変え、鉱山を守った。


「――御見事!! 発破の仕掛け、効果大なり!!」


 アオイが声を上げてドワーフを称える。

 ドワーフたちもまた声を上げて、もうもうと上る煙を眺めた。


『気を抜かない――まだ残りがいる、来るよ』


 エルシャからアオイへ、耳につけた通信具越しに声が届く。


「はてさて、今の一撃でどれほど削ったでしょうか」

『三分の一くらい。半分以上は凌がれた』

「なんと運の良い連中でしょうか――しかし」


 アオイは刀を抜き、もう片方の手で小竜の手綱を握る。


「敵は怯んだ、今こそ好機――掛かれぇえええぇえ!!!」

「弓を射て! あの子を守れ! 鉱山を守れ!」


 アオイの頭を飛び越えて、放たれた弓矢が傭兵たちを襲う。

 爆発する大地と、天から降り注ぐ矢が傭兵たちの理性を壊していく。


 隊列はもはや見る陰もなく、しかも砂埃に視界は失われ、村はどこか、自分は今どの方角を向いているのかもわからない。


 混乱する傭兵団。

 敵は素人の、たった五〇のドワーフだったはず。

 それなのに、まだドワーフと剣を交えてもいないのに、このありさま。


 そして、混乱はさらなる混乱を呼ぶ。


「――――お、おお、おおぉおぉぉぉおおおお!!!」


 ――ぞろり、と。

 傭兵の前に、突如少女が現れた。

 砂埃を斬り裂いて、その背中に死とドワーフたちを引き連れて。


 首を取られる間際、傭兵の男は、端金でこの仕事を引き受けたのを後悔した。





「翔ぶが如く! 翔ぶが如くに駆けよ!」

「うわっはっは! こんなやたらめったら走り回るケンカは見たことがねえ!」

「何を申される、戦の功名は足で稼ぐもの! 駆けよ、疾く駆けよ!」


 一〇と一騎の小竜が一丸となり、村の外を駆け回る。

 傭兵たちからすればたまったものではなかった。

 相手をしようとすれば去っていき、さりとて無視して門を破ろうとすれば、背中からずぶりと刺されてしまう。


 塀だってそうだ。

 合金の板で頑強に作られた塀は火矢を通さず、魔術師の一撃をくらってもびくともしない。

 必死の思いで梯子をかけて乗り越えようとしても、力自慢のドワーフたちが斧で叩き割ってしまうのだ。


 もっと念入りに備えをしていれば話は違ったはず。

 せめてこちらも騎兵を増やすか、全身を覆う鎧でも纏っていれば少しは違ったのだろうが、傭兵たちは侮っていた。

 たかが五〇程度のドワーフなど恐れるに値しないと、高をくくっていたのである。

 それが裏目に出た。


 今さら後悔しても遅い。

 戦場は何人も待たない。


 しかし、傭兵たちもそこは戦場のプロフェッショナルだった。


『アオイ、気をつけて、何か仕掛けてくる』


 通信具にエルシャの声が届き、アオイはサッと背を伸ばして周囲を見回した。

 戦場の後方に、傭兵たちの竜車が運ばれてくる。


 竜車の御者が笛を吹く。

 その瞬間、アオイは潮目が変わるのを感じた。


 傭兵たちがいっせいに動き出す。

 門と竜車の間へ道を通すように二手に分かれる。


 ぽっかりと空いた道に、アオイとドワーフたちが取り残される。


「――あれは」

『……まずい、すぐに射線から離れて』


 荷台にかけられた布が取り払われて、その下にあった大型の魔導具が姿を現す。


『対物魔導榴弾砲――フロウが言ってたのは、これのことか……』


 エルシャの声は落ち着いていたが、それが戦士として動揺を抑えた結果に出たものであることはアオイにも理解できた。


「あのからくりが動けば、門は破られますか? 魔術の備えはしていたのでは?」

『した。だから街の中まではやられずに済む……だけど門と、上にいるドワーフは一網打尽にやられる。あれはそのくらいヤバいものなの』

「それは――なんとかせねばなりませんね」


 そう言っている間に、竜車に控えていた四人の魔術師が詠唱をはじめた。

 それと同時に現れた四つの魔法陣が村の門に照準を定める。


『砲台の破壊は今からじゃ間に合わない。塀のドワーフたちを逃がす、だからアオイも――』

「いけません、塀を守る者がいなくなっては、それこそ総崩れです」


 共に駆けていたドワーフたちと、塀にいる者たちの不安げな表情を見て、アオイは小竜から降りた。


『ちょっと、アオイ、何をして……』

「務めを果たします。私にはそれしかできぬゆえ」


 ドワーフと村を背に、アオイは立つ。

 その視線の先にあるのは、魔法陣の輝きを強くする魔導榴弾砲。


『バカな真似はやめて、早く逃げなさい!』

「――聞けや者ども! これなるは、戦の趨勢を定める一刀!」


 エルシャの制止をかき消すように、アオイが張り上げた声は敵味方中に響き渡る。


「私は言った! ドワーフの誰より先にアオイが死ぬと、アオイが死なぬ限りドワーフも死なぬと、たしかに言った! それを今、ここで証明いたす!」


 もはや止められる者は誰もいなかった。

 さしものドワーフたちも今アオイの前に出る勇気はなく、敵の傭兵たちも、放っておけば死ぬ相手に手を出そうとはしない。


「敵は鋼鉄の門を容易く破る大からくり! されど、アオイの桜天流も天下無双!」


 そしてアオイは一歩踏み出し、刀を大上段に構えた。


「シモツキの国が一番槍、ツキサキ・クナイノショユー・アオイ――推して参る」


 魔導榴弾砲が大きく震える。

 魔法陣の輝きは最高潮に達し、広がり、収縮する。


 開幕の爆破など目覚ましの役にも立たないと思えるほどの轟音が一面に広がった。

 そしてアオイの背丈を超えた巨大な一撃が放たれる。


 迎え撃つは桜天流、心魂の全てを刃に込める、乾坤の一太刀。


「桜天流――千手桜山!!!!」


 当代魔導の粋を集めた一撃と、無心の極みへ臨む渾身の一撃。

 決着は、ほんの一瞬だった。

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