第八話 戦の前の宴について

 ダニー鉱山のドワーフたちは、たった三日のうちに村を覆う塀を直した。

 残りの二日で剣や斧を研ぎ、足りなかった鎧は新たに仕立てた。

 もともと小さな村だったとはいえ、それでも全ての支度をこれほどまで手早く終えたのは、ひとえに彼らの優秀さゆえ。


 リバックが傭兵を率いて戻ってくるのは、次の日が昇る時。


 残された一夜をドワーフたちがどう過ごすかは決まっている。

 ドワーフは冶金鍛冶の民であると同時に、酒飲みの民でもあるのだ。


「どわっはっはっは!! おぉい、おめえら、飲んどるかぁ!!」


 酒場の戸を乱暴に押し開けて、すでにできあがったディーニックがドカドカとやってくる。

 酒場はアオイたちが泊まる宿の一階にあり、アオイとエルシャ、そしてモーンは大騒ぎするドワーフたちに交じっていた。


 店内のそこかしこからは笑い声と怒鳴り声と野太い歌声が聞こえてくる。

 床には酔っ払いが落とした空の木皿がいくつも転がっているも、気にする者は一人もいなかった。


「爺殿! ささっ、こちらへ掛けられよ!」

「うわぁ、すっかり酔っ払いですねぇ」

「ばかもん! 戦いの前にシラフでいる奴があるかい! ……なんだモーン、てめえ、飲んどらんのか、ええ?」

「僕は下戸なので、お酒はちょっと……」

「げこぉ? わけわからん言葉を使うんじゃあねえ、これだからハーフフットっちゅうのは! おら、俺の奢りだ、飲め飲め!」

「ドワーフには下戸って概念がないんですか!?」

「うるせえ、はよぉ飲まんかい! それともてめえ、俺の酒が飲めんのか!?」


 モーンの言葉通り、総じて大酒飲みのドワーフたちには下戸という概念はなく、さらにモーンにとっては不憫なことに、アルハラという言葉もなかった。


「うへえ、どうしよう、これ……」

「それ、私が代わりにいただきますよ」


 モーンに助け舟を出したのは、静かにジョッキを傾けていたエルシャだった。

 フロウが不在ですっかりよそ行きモードのエルシャは、知らない者が見ればできたライカンの娘でしかなく、モーンの緊張をほぐすのにうってつけの柔らかい雰囲気を身にまとっている。


「で、でもディーニック様にバレたら……」

「大丈夫です、もうこっちのことなんて見てないから」


 そう言って微笑みながら、エルシャはこっそりディーニックを指さした。

 見れば、ディーニックはすぐ隣のテーブルにいるドワーフと肩を組んで歌っている。


「で、ではその、申し訳ありませんが」

「はい、いただきます」


 エルシャはモーンからジョッキを受け取ると、たった一息でそれを飲み干してしまった。

 ジョッキから離した唇をペロリと舐める口元を、モーンが恐れおののいた目で見つめる。


「おお、よい飲みっぷりですね、エルシャ!」

「エ、エルシャ様は、お酒に強いんですね……」

「いえ、たしなむ程度です」


 テーブルには空き瓶がもう一〇本ほど立っているが、ほとんどはエルシャが一人で飲んだものだった。


「おお! ライカンの嬢ちゃんはええのう! あんたの魔術もえらい役に立ったし、どうじゃ、この村に嫁いでこんか?」

「遠慮しておきます。それよりも、だいぶ酔ってるみたいだけど、大丈夫?」


 エルシャの言うとおり、すでにディーニックは鼻の頭まで真っ赤になって酔っ払っている。

 このテーブルの三人は知らなかったが、今夜のディーニックはいつもよりいくぶん酒の回りが早かった。


「バカを言え! 客人より先に潰れるドワーフがおるかい! がっはっはっは!!」


 ディーニックは豪快に笑う。

 それから店の様子をぐるりと見回して、同じように騒いでいる同胞を眺めてから、椅子に腰掛けて、ゆっくりとジョッキをテーブルに置いた。


「……飲まにゃあ、やっとられんわい」


 酒臭い息を大きく吐き、それで体の中の酒気と活気を全て吐き出したような声でディーニックは言う。


「爺殿……それは、あの息子のことですか?」

「そうじゃ。この戦いはあのバカがおっぱじめたこと、親父として、俺はせがれの責任を取らにゃあならん」

「責任と言いますと……」


 モーンの言葉に、ディーニックは一層深刻な表情を浮かべる。


「せがれは鉱山を売ろうとして、ドワーフから盗みを働き、その罪を客人になすりつけた。どれもあっちゃあならねえ重罪じゃ……明日、リバックは俺が殺す」

「こ、殺すって……!」

「……いいの?」

「いい悪いはとうに過ぎとる。これが俺のケジメよ」


 俯くディーニックの酒で焼けた低い声からは、その覚悟のほどが伺える。

 一人の親として、そして鉱山で暮らすドワーフの長として、ディーニックはすでに己の役目を決めたのだと、皆が理解した。


 最後のためらいを飲み干すように、ディーニックはジョッキの底に残っていた酒を飲み干して、それからアオイを見た。


「のう、小娘よ」

「なんでしょう、爺殿」

「弟さまから話は聞いたわい。お前さんは、どこか遠いところからやってきたそうじゃな」

「大シケに飲まれ、海の果て、はたまた異界より。どちらにせよ帰るすべは検討もつきません」


 豪快に飲み干すディーニックやエルシャとは違う落ち着いた所作で、アオイは両手で持ったジョッキに口をつける。

 ディーニックはその様子から、アオイの中に戸惑いや不安といったものを見て取ることができなかった。


「帰りたいとは、思わねえのか? そんなことを思わねえほど、ひでえ故郷ってこともあるまい」

「無論、幼き時分より駆け回った美しき山々は、目を瞑るたびアオイのまぶたに映ります」


 そう言いながら、アオイは目を閉じた。

 ほんの少し口角を上げて微笑むアオイの姿に、ディーニックはアオイが今もたしかに故郷を愛しているのだと理解した。


「じゃあ、やっぱり寂しいんじゃないですか?」

「帰れるものなら、とは思います」


 モーンの問いかけにアオイは目を開けてから答えた。


「されどアオイは戦働きしか知らぬ戦ガキ。荒海や世界を渡る知恵などありません。ならばここで故郷の刀を振るうことこそ、アオイにできる孝行と思います」

「それで結局帰れなくなってもええっちゅうんかい」



「――いずれ死すれば、アオイの心は風に乗り、故郷の御山に戻りましょう」



 それはディーニックにもモーンにも、エルシャにも理解の及ばない言葉だった。

 フロウがいれば少しは理解できたのかもしれないが、いないものはいない。


「……せがれの心は、きっと鉱山には帰ってこんのじゃろうなあ」


 呟くディーニックの侘しさがどれほどのものであるかもまた、誰にもわからなかった。


 誰も次の口を開くことができずにいた。

 そして、四人の耳へ声の代わりに飛び込んだのは、物見台の鐘の音。

 戦いの始まりを告げる鐘の音。


 リバックたちがやってきた。

 ダニー鉱山を巡る戦いは、白みはじめた夜空とともに幕を開けようとしていた。

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