第六話 大演説について

「――ドワーフどもよ! 故郷が惜しいか!!!」


 その一声を聞いて、大通りにいたものは誰もが振り返った。

 酒場で昼酒を飲んでいた者たちも窓を覗き、窓のない家の者は戸を開けた。


 確信とは言わないまでも、皆が気づいた。

 今、何かが起ころうとしていると。


「今から数日ののち、ここへ三〇〇の軍勢がなだれ込む! 剣を手に、矢を構え、お前たちの土地を奪わんとやってくる!」


 二度目の声で、それを発した者の正体がわかった。

 少女だ。見たこともない装いの少女が、竜車の上に立って何事か叫んでいる。


「……おい、嬢ちゃんよお。おめえがどこの誰だか知らねえが、滅多なことを言うもんじゃあねえ」


 近くにいたドワーフが呆れながら声をかける。

 それを周りで見ていた者は、内心で皆このドワーフの味方をしていた。


「これは世迷い言の類ではありません。あそこの家の爺殿の、その血を分けたる息子が今、手勢を集めにここを出ました」

「あそこ……って、ありゃあディーニックの家じゃねえか、その息子っていやあ、リバックのやつか?」


 ちょうど少女が指さした家の戸を開けて、ディーニックがやってくる。

 なにやら苦虫でも噛んだような顔をして、ためらいがちに一歩ずつこちらへ歩を進める。


「ディーニックよお。こいつは一体どういうわけだ?」

「……その小娘の言っていることは、おそらく事実になる。すまねえ、こりゃあ俺の責任じゃい」

「事実って……それじゃあ、なにかい……本当に、三〇〇の軍勢が来るってかい……?」


 重たげな頭をディーニックはゆっくりと縦に振った。

 周りの者たちは、それが肯定の意を示す動きであることを理解するのにしばらくの時間を要した。


 だから、最初に起きたのはちいさな波紋。


「鉱山を明け渡さなかったら、連中は実力行使に出ると、リバックはそう言っとったわい」

「……三〇〇なんて、かなうわけがねえ」


 誰かがポツリとこぼした言葉が、ドワーフたちの心にちいさな波紋を立てる。

 そして、それは見る見るうちに波濤へ変わる。


「――こ、殺されちまう!!!」

「鉱山を明け渡すって、ここの他に行くところなんかねえよお!!」

「で、でも、話せばここに残れるかも……」

「兵を連れて来る奴らだぞ! そんな保証はどこにもねえ!!」

「相手も人間だ、仁義ってもんがあらあ! 必死に頼めば命までは……!」

「山を奪おうとする奴らに頭ぁ下げんのかよ!!」

「じゃあどうしろってんだ!!!」


「――――静まれっっっ!!!」


 よく通るその一声が、騒乱に陥ったドワーフたちから声を奪った。


「各々方の動揺、察するに余りある。余所者の私が口を挟むべきでないのは百も承知。それでも無礼千万を押し殺し、このアオイ、再び皆様にお尋ね申す」


 よく見れば、はじめから今まで、少女だけが平静を保っていた。

 その落ち着きがドワーフたちに頼るべき一種の幻想を抱かせる。

 周囲の口が閉じ、視線が集まったのを確認してから、少女は口を開いた。


「――ドワーフどもよ! 故郷が惜しいか!!!」


 騒動の発端となった、はじまりの問いかけ。

 最初はどこぞの世迷い言と蹴飛ばしたそれを、今や誰もが真摯に聞いている。


「……あ、当たり前だろうが!!」

「先祖代々の土地を喜んでくれてやる馬鹿がどこにいる!!」

「でも、どうしろってんだ、相手は三〇〇もいるんだぞ!」


 はじめの戸惑いは動揺に変わり、ついには理不尽への怒りにかたちを変える。

 怒りの矛先を自身へ向けるドワーフたちを、少女は変わらない眼差しで受け止めた。


「ならばなにゆえ、故郷を枕に死のうと言わぬのです」


 その言葉の意味をすぐに理解できた者はいなかった。

 それほどまでに、少女の言葉は彼らの常識から外れたものだったのだ。


「し、死ぬって、お前……」

「賊に頭を垂れて永らえた生など死んだも同然。どうせ死ぬなら、故郷に背を向けて死ぬよりも、故郷とともに死ねばよい」


 また不思議なことを少女は言う。

 何から何まで、その言葉は意味がわからない。

 しかしどこかそのまっすぐな響きには、突き動かされるものがある。


「敵は三〇〇、たしかに多勢です。しかしここには五〇のドワーフと、百人力の私の仲間が二人、このアオイは若輩者なれば百人力とは言わぬまでも、五〇人は斬ってみせよう。合わせてこちらも三〇〇ちょうど、相手取るに不足はありません」


「仲間……ディーニックの家から出てきた、あいつらのことか……?」


 振り返れば、見覚えのないヒューマンとライカンが二人。

 ヒューマンは固唾をのんで、ライカンは臆することもなく少女を見守っている。


「そうです。かのライカンは歴戦の大魔術師。そして隣の男こそは――邪竜を屠りし勇者と血を分けた弟、フロウ・ティンベルその人です!」

「っ! ゆ、勇者カイエンの……弟だってぇ!?」


 その言葉に、全ての視線が男へ集まる。

 勇者の弟と呼ばれたその人物は、言葉を否定することも、ドワーフたちの視線から逃げることもなく、凛と立っていた。

 ……実際には、突然のご指名を受けた衝撃で身じろぎもできなかっただけなのだが、この世界にはまだ人の心を読み取る魔術は存在しなかった。


「カイエンさまに弟がいたなんて話、聞いたこともねえ……」

「だ、だがよぉ、ティンベルってのはたしかに大勇者さまの家名だろうが!」

「俺ぁオークのダチに聞いたことがあらぁ、カイエンさまってのはエラい実直なお人で、どんな悪党も魔物もたちまちにやっつけちまうって!」

「俺も聞いたぞ! カイエンさまの弟さまがいりゃあ……もしかして……!」


「そのとおり! ――此度の戦、天運は我らにあり!!」

「――う、うおおおおおおおおお!!」

「やろう! 俺たちで鉱山を守るんだ!」

「弟さまが立ち上がってくだすったのに、俺たちが尻尾を巻いて逃げるなんてしちゃあならねえ!」


 拳を掲げ、いきり立ち、勝鬨にも似た声を上げるドワーフたち。

 三〇〇の軍勢なにするものぞと、あれほど弱気だった彼らが、今すぐにでも敵を迎え撃つ気勢だ。

 リチウ大陸にとって、勇者の名はかくも大きなものだった。


「勝てば故郷が残り、負けても猛々しく立ち向かった戦士の名が残ります。案ずるなドワーフども! さあ、武器を取れ!」


 猛るドワーフよりもさらなる大きな声で、少女が足元の木箱を叩き割る。

 中から零れ出たのは、この日を待っていたと言わんばかりに磨かれた鎧や斧、剣の数々。


 列を成すのもじれったいと、ドワーフたちが竜車にこぞる。

 群がる彼らを見下ろしながら、少女は優しく微笑んでいた。



「ちょ、ア、アオイ、なんで俺、俺は非戦闘員で……というか、それ、まだ商談成立してないやつ……」

「止められなかったフロウが悪いでしょ」

「あんなの、途中で止めたらそれこそ暴動が起こるだろうが!」

「……かもね、じゃあ諦めたら?」


 竜車に集うドワーフたち、武器を渡すアオイ、それを遠くから呆然と眺めるしかできない俺。

 ……あいつ、兄貴よりも厄介かもしれねえ。

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