第七話 価値観について

「フロウ殿、本当にここで待っていてよいのですか?」

「んー、たぶんな」


 日が落ちて、人々が店先のあかりに火を入れはじめたころ。

 俺とアオイはビーグッドから少し離れた街道まで来ていた。


 遠くに見えるビーグッドの街明かりを眺めながら、俺は竜車の御者台ぎょしゃだいに座り、アオイはその周りをウロウロと歩き回っている。


「フロウ殿がそのように言うのでついてきましたが……ルードル殿のところへ知らせも送らず、なにゆえこのような場所へ?」

「んー、そっちの方が旨味うまみがありそうなんだよなあ、たぶん」

「むう、たぶんたぶんと歯切れの悪い……」


 なにせ、俺もこればかりは説明のしようがないのでしかたがない。

 でも、たぶん、ここだと思うんだよなあ。

 こういう時は、いつもこんな感じの道だったから。


 アオイは一応納得したのか、聞くのを諦めたのか、それ以上の質問はせず小竜の背を撫でた。


「マイキー種は小竜の中でも温厚だが、角には触るなよ」

「なるほど、承知しました」


 マイキー種は扁平へんぺいの背中と低い体高、優れた体力と膂力りょりょく、温厚な性格から商人や農夫に広く愛される小竜だ。

 小竜は人懐っこさをあらわにして、アオイの腹に頬ずりをしている。


「お前の故郷に小竜はいたのか?」

「いえ、これもはじめて見る生き物です」

「そうなのか……なあ、ひとつ聞きたいんだが」

「なんでしょう?」


 まだ事態が動く様子はない。

 だから俺は、アオイに対して気になっていた疑問を投げてみることにした。


「俺の店でもそうだったし、ラナラナ商会の件もなんだが、お前は躊躇なくあいつらに向かっていったように見えた……あれは、どうしてだ?」

「どうして、と申されますと?」

「あいつらは仮にもプロの傭兵だ、そこらのチンピラとは違う。勝算でもあったのか?」

「いえ、まったく、これっぽっちも」

「お前なあ……」


 ただの考えなしだった。

 やはり蛮族。


の者が素人でないことは振る舞いから見て取れましたし、私にとってここは異郷いきょうの地、知らぬ闘法や剣の技もあるでしょう。であれば、勝算などは望むべくもなく」

「じゃあ、なんで――」



「名こそ惜しけれ――それが、我らの道理であるがゆえに」



 そう言って、アオイは小竜の平たい背中にひょいと跳び乗った。


「人の生はながらえたとて四〇年。されどアオイが我が身惜しさに恐れをなせば、その恥、その不名誉は千代ちよの笑い話となりましょう。ならば惜しむべきは命より名、当然のことわりです」


 アオイの語るその道理は、大陸中を旅して多くの人と関わってきた俺でさえも聞いたことのない矜持きょうじによるもので。

 俺は改めて、アオイが俺の知らない遠くの国から来たことを認識したのだった。


「……というか、四〇年? 異界の蛮族はそんなに寿命が短いのか?」

「誰が蛮族ですか! 農夫や職人ならともかく、合戦で暮らすブシならば四〇も生きれば大往生でしょう。この国では違うのですか?」

「うちは剣が振れなくなったらだいたい六〇くらいまで隠居して生き延びるよ」

「六〇!?」


 そりゃあ、昔はともかく今は大きな軍ならどこも治癒術士を抱えているし、あんまり殺すのもよくないねってみんなが思ったから捕虜のルールも発展してきた。

 もちろん戦場にいれば死ぬことだってあるが、大陸の人々はどうにか長生きをするための努力を続けてきたのだ。


「治癒術士がいれば味方や捕虜の生存率だって上がるし、そう死ぬことはないだろう?」

「ち、ちゆじゅ……? ほりょ……?」

「まさか治癒術士もいないのか!? 戦場で怪我人がいたらどうするんだ!?」

「動けるならば尻を叩いてやり、動けぬならば腹を切る手伝いをしてやります!」

「待て待て! なぜ腹を切る! なんでそれを手伝う!?」

「フ、フロウ殿は戦い抜いた仲間に死のふちで苦しめと言うのですか……?」


 ダメだ、蛮族と俺の価値観が違いすぎて話が噛み合わない。


「捕虜というのは、戦場で捕らえた敵兵のことで、情報を聞き出したり、解放と引き換えに金銭を要求したり……」

「なぜその者は捕まりそうになったその場で腹を切らぬのですか……?」

「むしろなんでお前はそんなに腹を切らせたがるんだ!」


 名を惜しむのは勝手だが、味方の命はもっと惜しんでやれよ。



 小竜の文化が浸透しておらず、治癒術士に聞き覚えがないほど魔術が未発達。

 一方でアオイのよそおいを見るかぎり衣服や装飾の技術は発展しており、戦士には謎の腹切りの風習がある蛮族の国……知れば知るほど不思議な話だ。


 ともあれ、アオイ、というかこの蛮族たちの行動理念が俺にも少しだけわかった。



「――フロウ殿」


 その時だった。


「前方から、なにかが来ます」


 小竜の背を撫でていたアオイはパッと顔を上げ、ビーグッドの方をじっと見つめた。

 俺の目にも、遥か彼方に小粒のような黒い影が六つ映る。


『――よお、誰かと思えば瓶詰め屋じゃねえか』


 御者台の脇に置いてある通信用の魔導具から聞き覚えのある声が響いた。


「――敵ですか!?」

「落ち着け、声を飛ばしているだけだ」

「声……面妖めんような……」


 慌てて振り返ったアオイをなだめながら、通信具の受話器を手に取る。


「その声はミドだな、こんな時間にお出かけか?」

『おうよ、ちょいと新しい儲け話を探しに行くのさ』

「そんなうまい話が転がっているとは思えないな」

『うまい話ならあるさ、ちょうど小銭を持った間抜けを二人、見つけたところだ』


 近づいてくる黒い影は小さいものが五つと少し大きなものが一つ。

 竜車に乗ったミドをあの五人の傭兵が護衛しているのだろう。


『行き掛けの駄賃だ……なぁに、運が良けりゃあ命は残るさ』

「フロウ、来ます――!」


 アオイの声に応じて意識を前方に戻すと、竜車は列から少し離れ、残る五つの敵影はさきほどよりずっと大きくなっていた。


『お前らに恨みはねえ……お前らも、恨むならてめえの運のなさを恨んでくれや!』


 次に通信具から聞こえてきたのは、ラナラナ商会にいた傭兵ズウロの声。

 おそらくは奴が傭兵団の団長なのだろう。


 ズウロを含めた五名の傭兵はそれぞれ小竜にまたがっている。

 奴らが乗っているのはアール種――小柄だが素早く勇猛果敢なことから戦場で重宝される小竜だ。

 こちらのマイキー種では、たとえ逃げようとしても逃げ切れまい。

 となればこちらは迎え撃つしかない。

 もとより、最初からそのつもりだ。


「アオイ、やれるな」

「今度は、よいのですね?」

「ああ、残念だが和平交渉は決裂だ」

「では――」


「俺の命を預ける。言っておくが、俺はお前と違って命は惜しい」

「――お任せあれ」


 そう言って、小竜の広い背の上でアオイは立ち上がり、剣を抜いた。

 針と見まごうほどに細い片刃の剣には刃こぼれ一つなく、薄紅の刃紋が遠くの街明かりを反射させて俺の目を突き、思わず目がくらんだ。


『射てやぁ――!』


 ズウロの掛け声とともに、四人の傭兵が矢を放つ。

 よく鍛えられている、小竜の上から射たにもかかわらず、矢は正確に俺たち目掛けて飛んできた。


「アオイ、マイキー種の甲皮こうひは頑丈だ! 矢くらいは弾き返す!」

「なるほど、よいともがらですね、マツカゼ」

「……マツカゼ?」

「この小竜の名です、私が名付けました!」

「……まあ、なんでもいいが」


 小竜――もといマツカゼの背に乗るアオイは右足を一歩引き、剣を地面と水平にして刃を空に向け、顔の横で構えた。


「マツカゼに矢は効かぬと言えど、フロウ殿はそういうわけにもいきますまい。此度こたびの戦、まずはつゆ払いから」


 ほぼ同時に放たれた傭兵の矢は、やはりほぼ同時に俺たちへと襲いかかる。

 アオイは迫りくるそれらをじっと見据え、天に向けていた刃をくるりと回して地へ向けた。


 そして、アオイは針の剣をふるった。


 その動作が事実に反してひどくゆっくりとしたものに見えたのは、アオイの剣の運びにただひとつの無駄もなく、あまりに洗練された美しいものだったから。


 清流に運ばれる木の葉のように、ゆらりと運ばれたアオイの剣は、そのひとふりで四本の矢を叩き落とした。


 だが、見惚れる間もなく次が来る。


「気をつけろ、魔術師がいるぞ!」


 矢を放たなかった最後の傭兵はこちらへ向けて杖を構えている。

 その先端には煌々こうこうとかがやく魔法陣。

 矢は牽制で、こちらが本命だろう。


「ふむ、魔術師との立合はこれがはじめて、はたして魔術師なる者、いかばかりか」


 先ほどの落ち着きにわずかな興味と興奮を混ぜながら、アオイは腰を落とし、再び剣を構える。

 そして、光る魔法陣を見て速度を落としたマツカゼの硬い背を足で踏み音を鳴らした。


ふるえやマツカゼ! 修羅道への一騎駆けこそ、騎兵の華道はなみちに他ならぬ!」


 背に乗る少女に鼓舞こぶされて、ひるんでいたマツカゼが再び速度を上げる。

 それと同時に、ひときわ強く輝いた魔法陣から夜暗やあんを照らす火球が勢いよく放たれた。


「……というかアオイ、お前、魔術への対抗策はあるのか!?」

「やれるだけ、やってみて、それがダメなら、致し方なし!」

「やっぱりお前に預けた命返せえええええ!!!」

「なぁに、心配御無用! 我が桜天おうてん流に斬れぬものなし!」

「信じられるかああああ!!!」


 俺の叫びも虚しく、とぐろのような炎の渦をまとった火球はその舌を竜車のすぐ近くまですでに伸ばしている。

 覚悟を決める余裕もない俺を残して、アオイは天を突くように剣を掲げた。


「桜天流――火球切断ッッッ!!!」


 響くほどの大声とともに、火球めがけて剣が力強く振り下ろされる。

 球のかたちを成していても、どれほどの力と技があっても、剣で炎は斬れない。

 それが当たり前の、ものの道理というものだ。


 熱が迫り、視界が炎の光に覆われる。

 目がくらむ恐ろしい輝きのなかで、アオイの背中が色濃く映る。


 炎に剣が沈む。飲み込まれていく。

 それが道理。


 そして俺は――道理が切り裂かれる瞬間を見た。


「とりゃあああああああああ!」


 沈んだ剣が火球を割る。

 ものの道理を巻き添えにして、火球が裂かれる。

 二つに裂かれた火球は離れ離れに飛んでいき、後方の地面にぶつかって弾けた。


「……マジかよ」


 後ろで高く上がる火柱よりも、俺はアオイの姿に目を奪われていた。

 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、アオイはこちらを振り返ってパッと笑う。


「――御粗末おそまつ!」


 炎よりもずっと明るいその笑顔に、思わずこちらも笑みがこぼれた。


「……聞きたいことは山ほどあるが、さっきの『火球切断』ってなんだ? そんなおあつらえ向きな技があるなら先に教えておいてくれ」

「いえ、あれはその場で思いついたものです。なんかこう、いけるかなって」

「行き当たりばったりかよ!」


「桜天流の極意は『腹から声を出して技を叫び、力いっぱいぶった斬る』であるがゆえに! ちょうどいい技がなければその場で考えるのです!」

「やっぱり蛮族じゃねえか!」

「文句は追々――まずは続きを!」


 気づけば傭兵たちはすぐ近くまで迫っている。

 矢と火球を落としたところで、まだ敵を倒したわけじゃない。


「ここまで寄れば、もはや手の内!」


 アオイは声高に言って、マツカゼの背の上から跳び出した。

 狙うは一番近くにいた金髪の傭兵。


 首元めがけて突き出した剣が金髪を貫く。

 そのままアオイは金髪の後ろへ並ぶように小竜にまたがり、振るうことさえ間に合わなかった金髪の剣をその手から奪い取る。


「桜天流――飛梅とびうめ!!」


 先ほどと同様に叫びながら、奪った剣を背後にいたハゲ頭に投擲とうてきする。

 その切っ先が男の肩を貫いたのと同時に、痛みにたじろいだその首をねた。


 流れるように二人の傭兵を下したアオイが次に狙ったのは、詠唱を行う魔術師。


 金髪を小竜から落とし、手綱を握りしめて魔術師へと小竜を駆る。

 詠唱はすでに終わり際で、魔法陣の輝きが激しくなる。


「その術はすでに見ました。最も光が強まる瞬間、杖の向く方へ火の玉が飛ぶ――ならば」


 杖の先はアオイを睨み、魔法陣の光が最高潮に達する。

 その瞬間、アオイは伸ばした剣で杖の先端をとずらした。


 照準を見失った魔法陣が見つめるのは、接近戦の剣戟けんげきから魔術師を庇おうと跳び出してきた長身の傭兵。

 もはや制御は間に合わず、勢いよく放たれた火球が鎧もろとも傭兵の体を貫いた。


「魔術――たしかに恐ろしき技には違いなし、だがその使い手、恐れるに足らず!」


 言うが早いか、斬るが早いか、力強く振り落とされたアオイの剣が魔術師の肩から腰へ一本の線を走らせ、その体を両断する。


「これで、残るは一人です!」


 アオイの剣は止まらない。

 向かう先は、仲間の惨状を目にして逃げを打とうとしていた最後の傭兵――ズウロ。


「大将首、もらい受ける!」

「じ、冗談じゃねえ! 話が違うじゃねえか!」


 小竜を駆り、逃げるズウロと追うアオイ。

 大柄なズウロと小柄なアオイでは重さに差があるせいか、両者の距離はみるみるうちに縮まっていく。


「敵前逃亡は士道不覚悟――お前もブシであるなら、腹をさばけ!」

「は、腹……!? なにを言って……!」


 距離を詰めたアオイが、小竜もろともズウロに突撃を仕掛ける。

 バランスを崩した二頭の小竜の上で、アオイはズウロに組み付き、二人はもつれ合って地面へ落ちていく。


 ズウロの頭が地面にぶつかった直後、追い打ちをかけるようにアオイの剣の柄がその鼻を強く打った。

 剣がズウロの手から離れ、馬乗りになったアオイは剣の切先を首元に突きつけた。


「選べ――自ら腹を斬るか、私に首を捧げるか」

「ま、参った! 降参だ、俺は投降する! だから、命だけは――!」


 手で覆うように顔を隠して、必死に命乞いをするズウロ。

 アオイは顔をしかめて、その様子をさも不思議そうに眺めていた。


「わかりました――その大将首、もらうにあたわず」

「あ、ああ、感謝する! このことはけして忘れねえ!!」


「されど、これ以上の生き恥、見るに忍びなし」


 その言葉をきっかけに、アオイの剣がズウロの首を貫いた。


「な、なん、で……っ」


 目を見開いたズウロの口からは血が溢れだして、その言葉を最後まで言わせなかった。

 その光景を見ていた俺にも同様の驚きはたしかにあったが、一方で納得もあった。


 価値観の差――それこそ、アオイがとどめを刺した理由。

 敵に命乞いをしてまで生きようとするズウロの名がこれ以上汚れる前に、その命を終わらせてやった。


 ズウロの命を惜しまず、ズウロの名こそ、アオイは惜しんだ。


 遠い異国の地から来たアオイの価値観を、きっとズウロは理解できなかっただろう。

 一つの行動にアオイは慈悲を望み、ズウロはおそらく残忍を覚えた。

 それが、価値観の差というもの。


 血に濡れた剣をズウロの首から引き抜いて、アオイは立ち上がる。

 振るった切先から飛ばされた血が地面に弧を描く。


 そしてアオイは、いつもどおりの笑顔で俺を見た。


「さあ、残るは一人。追います!」

「……ミドは殺すな。そもそもあいつは戦闘員じゃない、生かして捕らえてくれ」

「合点承知!」


 アオイは再びズウロたちの小竜に跨り、まだそう遠くへは行っていないミドの竜車を追うべく小竜を走らせた。


 その背をじっと見ながら、残された御者台の上で一人、俺はこっそりポケットの中にしまっていたものを取り出した。


 それはこの大陸では見たことのない意匠の髪飾り。

 死者の国のさらに先、異界からやってきたという美術品。


 きっとアオイは、これから多くの価値観や文化とぶつかるだろう。

 そこに罪はなく、ただアオイがアオイとしてあるかぎり、そこには争いが起きる。


 髪飾りを握りしめながら、俺は俺自身が背負う責任の重さを感じていた。

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