第六話 ラナラナ商会について

「――いいか、たとえ何があっても誰も斬るな」

合点承知がってんしょうち

「殴ったり蹴ったりもダメだからな」

「……承知」

「よし、行くぞ」


 銀猫亭ぎんねこていを出た俺たちは、その足でラナラナ商会の事務所へ向かった。

 事務所は街にある三本の大通りのいずれからも外れた場所にあり、建物もシャイタック商会とは比べるまでもなく小さなものだ。

 それでも俺の店と比べれば十分立派なもので、一階は飲食店、二階が事務所となっている。


 まずは扉を開けて飲食店に入る。

 銀猫亭とは違い客入りはさびしいもので、額に傷跡のある店員がこちらをにらんできた。


「商会長に会いに来た。ミド・ラナラナはいるか?」

「……誰だぁ、てめえ? 客じゃねえなら帰れ」


 カウンターから出て、店員の男が詰め寄ってくる。

 それを見て俺の前に出ようとしたアオイを手で制し、口を開く。


「もう一度言う、ミド・ラナラナと話がしたい」

「知らねえなあ、なんで会長がてめえなんかと話をしなきゃならねえ」


 店員は息がかかるほどの距離まで顔を近づけてこちらを威圧してきた。

 ……こういう手合いはどこの街でもやり方は一緒だな。


「地下に運んだキュロトの件で話がある、そう伝えろ」

「っ、てめえ、それをどこで……!」

「それを話す相手はお前じゃない、いいからさっさと行け」

「――ちっ」


 舌打ちとひと睨みを残して、店員は二階へ上がった。


「店に入るなりこれとは、先が思いやられるな」

「やはり殴ったほうが早いのでは?」

「なんでも拳で解決するな、発言するのは内容を考慮こうりょしたあとだ」

「考慮……? フロウ殿は難しい言葉を使うのですね」

「まさかお前、考慮という言葉を知らないのか……?」


 ……これは本当に、先が思いやられる。





「――ティンベル、ティンベルか。勇者と同じ家名かめいとは、身の丈に合わねえ名だ」


 二階に上がった俺たちを出迎えたのは、中年のハーフフット。

 ラナラナ商会の会長、ミド・ラナラナ。


 ミドはデスクにどっしりと腰掛けて、部屋の中央に通された俺たちを五人の男が囲んでいる。

 中にはナイフの刃をこちらに見せている者もいて、すっかり臨戦態勢だ。


「お前の顔には覚えがある。シャイタックにケツを振る新参者の瓶詰め屋だな」

「美術商だよ、そこは訂正させてくれ」

「ふん、どっちでもいい。それで、瓶詰め屋が俺に何のようだ?」


 ミドはヤスリで爪を研ぎ、こちらを見ることもなく言った。

 まるで相手にされていないな、まあ慣れっこだ。


「あんたが裏でやってる酒の密輸の件で話がある」

「……なんでてめえがそれを知ってる?」


 はぐらかされることも想定していたが、ミドは素直に食いついた。

 ここはミドの事務所で、ミドの城だ。

 この場所なら隠しごとなどせずともどうにでもなるという、奴の自信だろう。


「そんなことは今はどうでもいい、それより――」

「聞こえなかったか、クソガキ。この俺が、『なんで知ってるのか』と訪ねたんだ」


 ヤスリをデスクに叩きつける音が部屋に響く。

 そしてミドははじめて俺に体を向けて、こちらを睨んだ。


「答える気がねえなら話は終わりだ、ここから先はてめえの相手をそいつがすることになる」


 そう言ってミドは俺の後ろの男が持っていたナイフを指さした。

 男は嫌味な笑みを浮かべて、見せつけるようにナイフを顔の高さまで上げる。


「……あんたらが木箱を地下へ運んでいるのを、こいつが目撃したんだよ」

「ええ、その木箱にはたしかにこの商会の紋章が刻まれておりました」


 俺の言葉に応じて、隣に立つアオイが言葉をつなげる。


「ちっ、バカ野郎どもが。あれほど言ったのに見られやがった」


 舌打ちをしたミドは、再び背もたれにどっしりと体を預けた。

 そこに焦るような姿は見られない。

 おおかた、俺たちを始末すれば終わりだとでも思っているのだろう。


「それで? 口止め料でもせびりに来たか?」

「違う、ここに来たのは、あんたに相談があるからだ」

「相談、相談ね……いいぜ、その『ご相談』とやらを聞いてやる。」


 デスクに置いたヤスリの代わりに、ミドは引き出しからグラスを一つ取り出して、近くにあった酒瓶の中身をそこへ注いだ。

 そして一口分をゆっくり飲み込んでから、再び俺を見る。


「話は簡単だ。今すぐ密輸から手を引くこと、それさえできればシャイタック商会との和平交渉は俺が取り持つ」

「馬鹿げた話だ。第一、どうしててめえがあの耳長どもと話をつけられる?」

「ルードルとは旧知の仲だ、そのための手札も揃ってる」

「仮にそうだとして、てめえにどんな利益があるってんだ」

「シャイタックは密輸の下手人を探していて、俺はシャイタックに借りがある。それを返したい」


 探られても痛くない腹の内は素直に晒す。

 交渉ごとにおける原則のひとつだ。


「あんたらはすでに瀬戸際にいる。コソコソ隠れていたのも、シャイタックのようなデカい敵と正面から事を構えたくなかったからだ。今なら間に合う、まだ崖のこっち側だ」


 俺の言葉を聞きながら、ミドはグラスをくるりと回し、その中で揺れる酒を見つめていた。


「そうだなあ――まあ、いいだろう」


 ミドはそう言ってグラスをデスクの脇へずらし、代わりに小さな自分の体を乗せて、こちらへ手を伸ばしてきた。


「握手だ、瓶詰め屋」

「……美術商だ」


 隣でこっそりと服の裾をつまみ危険を伝えてくるアオイに、大丈夫だからと視線で応え、ミドに歩み寄る。


 ミドの視線を正面から受け止めたまま、俺はその手を取った。

 握り返す手はひどく乾いていた。

 そしてミドの手に、しっかりと力が込められる。


「――舐めてんじゃねえぞ、クソガキ」


 その言葉とともに手が引かれ、俺の体が引き寄せられた。

 体勢を崩し、テーブルに突っ伏した頭に冷たいなにか――グラスの酒がかけられる。


「っ! フロウ殿!」

「――動くな、アオイ!」


 崩れた姿勢のまま、背後で駆け出そうとしていたアオイに顔を向け、大声で制止する。

 アオイの手は剣の柄にかかっていたが、それ以上動くことはなかった。

 それを確認してから、再びミドを睨みつける。


 平気だ、心配には及ばない。

 この程度、今さらどうということもない。


「大層な家名を背負って偉くなったつもりか? こっちはてめえの話を聞く義理も、耳長どもに下げる頭も持ち合わせちゃいねえんだよ」

「……シャイタックと戦争する気か?」

「おうよ、ルードルの大間抜けに伝えろ、槍でも剣でも持ってこいってな」


 俺の髪を掴んで、ミドは乱暴に持ち上げる。


 嘘だ、小物のミドに大商会とやりあう気概なんてあるわけがない。

 大方、資金は別の場所へ逃がしており、高飛びの手筈てはずも整っているのだろう。

 となれば、期限は日が落ちた頃か。


 ……これは、少しばかり乱暴に進めた方がよさそうだ。


「下らねえ、余計なことに時間を割かせやがって」


 そう言って、ミドは俺の髪を話した。

 そして俺が元いた位置まで下がると、囲んでいた男たちが距離を詰めてくる。

 隠しごとがバレた腹いせに痛めつけるか、それともさっさと口封じをしてしまおうという腹か。


「フロウ殿、いかがしますか?」

「脅かしてやれ、ただし、傷はつけるな」

「御意」


 声を潜めて問うてくるアオイに、こちらも同じように返す。


 ちょうどいい、俺の予想が当たっているかをはかる試金石にもなる。

 それに、アオイの腕をもう一度確かめるいい機会だ。


 俺たち二人を囲む輪が徐々じょじょに狭くなる。

 一人の男が剣を抜いた。

 アオイはまだ動かない。

 別の男が俺に向けて腕を伸ばす。

 アオイはまだ動かない。

 伸ばした男の腕が、俺の襟首えりくびにわずかに触れた。


「――そこまでです。それより先は、右腕との泣き別れとなりましょう」


 最初の音がアオイの口から出たとき。

 そのときにはすでに、腰の剣は抜かれ、襟首を掴もうとする男の腕に添えられていた。


 まばたきや気の緩みさえ入り込む余地のない刹那の時間。

 それだけの時間で、アオイはすでに行動を終えていた。


 ……アルベルの剣だって、ここまで速くはなかったぞ?


「て、てめえ……!」

「指を一本動かせば腕を落とします。誰かが一歩踏み込めば、そのときは首を落とします」


 腕に剣をあてがわれた男の額に脂汗が浮かぶ。

 その場にいた誰もが、その言葉にただの脅し以上の覚悟を感じ取っていた。


 俺がなによりも驚いたのは、アオイの声色。

 アオイの声も表情も、なにもかもが、銀猫亭で俺と話していたときと同じままだった。


 食に舌鼓を打ち、他愛ない会話をするのと同じ顔で、アオイは男たちを殺そうとしていた。


 ――いったいどんな生き方をしてきたんだ、こいつは。


「十分だ、アオイ、剣を下げてくれ」

「御意に」


 俺がそう言うと、アオイはこちらが戸惑うほど素直に剣をさやに収めた。

 これも、いざとなればまた抜けばいいという余裕の表れだろうか。


「ミドさん、あんたもこいつらを下がらせてくれ」

「……互いに見せて、仲良しこよしで帰ろうってか?」

「アオイはシャイタック商会の正式な客分だ。それを傷つけられたとなれば、騒ぎは密輸どころじゃ済まなくなるぞ?」


 エルフにとって、客とは神聖な土地が迎え入れたもの。

 それを傷つけることは、すなわち土地への冒涜ぼうとくだ。


 その報復は彼らが放つ矢よりも速く行われるだろう。


「……ズウロ、下がれ」


 ミドが声に反応したのは、俺たちを囲む男のうちの一人。

 下の店にもいた額に傷跡のある男だった。


「貶されっぱなしで、よろしいんですかい?」

「黙れ、傭兵風情ふぜいが俺に逆らうんじゃねえ」

「……わかりやした」


 ズウロが合図を出すと、男たちは下がった。

 なるほど、こいつらはミドの子飼いの傭兵だったか。

 おおかた、酒の運搬はズウロら傭兵が行い、ミドがそれをさばくかたちで手を組んでいたのだろう。


 ――ともあれ、やはりミドにシャイタックと正面から事を構える気はない、か。

 ここまでくれば、あとの流れは決まったも同然だ。


「……瓶詰め屋、てめえ、ただで済むと思うなよ」


 アオイを連れて事務所を出る間際、ミドが俺の背中に言った。

 それを受けて、俺は最後に一度振り返る。


「こちらこそ、和平交渉ならいつでも受けてやる、楽しみに待ってるぞ」

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