第二話 新たな生活について

 商業ギルド連合ビーグッド。

 大陸の南西部に位置するこの海洋都市は、四つの巨大商業ギルドとその下部組織、無数の商人と旅人から作られた、資本と人種のるつぼ。


 王都を一人で出立しゅったつし、俺がただの商人フロウ・ティンベルとしてここに根をってから、もう半年の月日がとうとしていた。


「フロウの兄ちゃーん、びんめ三つ、くーださーいなー!」

「おう、また来たなガキんちょ」


 大きな声とともに店の扉をけて入ってきたのは、もはや常連となった近所の少年。

 いつもどおりに小銭を受け取り、持ってきた袋に野菜の瓶詰めを入れてやる。


「……この瓶詰め、美味いか?」

「うん! ティンキーもキュロトが嫌いだったけど、これはバクバク食べてる」

「そうか……」


 自家製の漬物がご家庭で好評だという嬉しいニュースを聞きつつも、俺の心が浮足うきあし立つことはけしてない。


「聞きたいんだが、うちが何の店かわかるか?」

「瓶詰め屋さん!!!」


「――だよ!!!」


 ビーグッドに根を張って半年。

 かねてからの夢であった美術商を始めた俺の生活は――頓挫とんざしつつあった。


「ビジュツショー? 新しい瓶詰め?」

「違う……お前の父ちゃんや母ちゃん、絵画とか彫刻って興味ない?」

「ない!!」

「じゃあお前は……」

「いらない!!」

「正直なお子様め……!」


 純粋な瞳とハキハキした声でこうも否定されれば、もはやため息も出ない。


「いっけね! あんま遅くなると母ちゃんに叱られる! またね、フロウの兄ちゃん!」

「おう、気をつけて帰れよー、それとも家まで送っていこうか?」

「帰るだけだから大丈夫だよう! じゃねー!」


 用事だけ済ませて去っていく常連客。

 ここらはビーグッドでも治安がいい区画だし、あいつの家はすぐ近くだから平気だろう。


 ――それにしても、ままならないものだ。


 旅をしていたころの知人の世話になって店を構えたまではいいものの、美術商というのがここまで儲からないものだとは思わなかった。

 とある商業ギルドの会長は「いいものなら売れるなどというナイーヴな考え方は捨てろ」と言ったらしいが、まさしくそういうことだろう。


 開店の際に大陸中から集めた、俺にとって珠玉しゅぎょく逸品いっぴんたちは店を大いに賑わしてくれているものの、一向にここを離れようとしない。


 かわりに売れるのは、苦しまぎれに並べた野菜の瓶詰め。

 長旅の保存食としてかつて考案したレシピは悔しいほどに好評で、店の売上のほとんどをになう主力選手となっていた。


 瓶詰めでも売れなければ食いっぱぐれるわけで、そこは大助かりなのだが……なんとも複雑な思いだ。



「しかし、問題は山積みだな……」



 ビーグッドに根を張るにあたり、俺はかつての知人を頼った。


 ルードル・シャイタック。

 シャイタック商会およびシャイタック銀行の大番頭だいばんとう

 エルフの頭目であり、ビーグッドを束ねる支配者の一人。


 肩書きが示すとおりルードルは大物で、昔からの付き合いもあってこころよく資金を貸してくれた。

 店の場所の面倒も見てくれたし、他の商人や流通業者との顔つなぎまでしてくれて、本当に頭が上がらない。


 しかし、金はあくまで借りたもの。

 そして借りたものは、必ず返さなければならないのである。


 幸いなことに利子は最低限で高利こうりに苦しむようなことはないのだが、それでも瓶詰めの売上だけでは返済がいつまで続くかわからない。


 一応、シャイタック商会がいくつか美術品を買ってくれるという話はついているので当座とうざはそれで乗り切れそうだが……いつまでもそれに頼ってはいられないしな。


「なにか抜本ばっぽん的な方向転換を行うか? いや、それにもやはり金がいる……」


 邪竜討伐の旅では邪竜よりもよっぽど強敵だった財政難。

 旅を終えて、もう顔を合わせることはないだろうと思っていたが……。

 兄貴たちからは逃げられても、金の悩みからは逃げられないらしい。



 ――と、考えていたその時だった。



「失敬、邪魔をします」



 堂々とした、リンと鳴るような声。

 勢いよく開いた扉に目を向ければ、そこに一人の少女が立っていた。


「――お前は」


 大陸中を旅した俺でも見たことがない、変わった格好をした少女だった。

 大きな飾り布で体を包み、腰の帯で止めたような服を着た少女はひらりと舞うように、それでいて頭から爪先まで一本の芯がとおった足取りで、店に入った。


「ふむ、ここは商店ですか」


 店を見回し、あたりを眺め、それから少女の視線が棚の瓶詰めへと運ばれる。

 一方、俺の視線は少女が腰に差した剣に向けられていた。


「これは――漬物ですか?」

「あ、ああ、キュロトの瓶詰めだが……買うのか?」

「いえ、残念ながら金子きんすの持ち合わせがありませぬゆえ」

「そ、そうか……だけど、お前」


「――逃さねえぞ、女ぁ!!」


 繋げようとした言葉を遮る野太い声。

 再び店の扉に目を向ければ、そこには三人の男がいる。


 男たちはひどく怒った表情で、とても瓶詰めを買いに来た客とは思えない。


「……あれ、お前の知り合いか?」

「おお、珍しい品揃えに目を奪われて、追われていたことをとんと忘れておりました!」


 あっけらかんとした声で、少女はとんでもないことを言い出した。

 ヤバい……このイヤな感じ、すごく身に覚えがある。


「時に店主殿、この店では刃傷にんじょう騒ぎはどこまで平気ですか?」

「ダメに決まってるだろ、このバカ! うちにトラブルを持ち込むな!」


 確信した。

 これは……兄貴パターンだ。


 すなわち、とんでもない面倒ごとに巻き込まれる流れ。


「逃げ場はねえぞ、大人しくついてきてもらおうか?」


 店に踏み込むやいなや、男たちは剣を抜く。

 うわあ、やる気まんまんじゃねえか……。


「重ねてお聞きしますが、店主殿、裏口などはありますか?」

「作っておけばよかったと後悔してるところだよ」

「そうですか……では、やむなし」

「待て待て! なにがやむなしなんだ!?」


 俺の制止も間に合わず、少女は棚の瓶詰めを手に取った。


「抜き身は御法度ごはっと――ならば、斬らずに済ませます!」


 そして手に取った瓶詰めを――投げた。


「お前、それはうちの商品――!」

「選ぶ余裕もないゆえ、御免ごめん!」

「謝るなら金を払え、このバカ!」


 野菜と漬け汁がたっぷり詰まった瓶は一直線に先頭の男へ飛んでいき、割れた破片と中身を男の頭にぶちまけた。

 少女はすぐさま駆け出して、飛び上がり、視界が潰れた男の顔に膝を叩き込む。


 速い。

 そして洗練されている。


 たった数秒の身のこなしで、少女がただ者ではないことがわかった。


「って、そうじゃねえ――危ねえ!」

「なに、心配ご無用でござる」


 軽やかな少女の動きに俺が見惚れているうちに、後ろの一人が剣を大きく振りかぶっていた。

 そして、ためらいなくそれを振り下ろす。

 少女もただ者ではなさそうだが、容赦ようしゃなく人を斬る相手の男たちも、けして素人ではない。


「――よ、ほっ、はっ」


 振り下ろされた剣に慌てることもなく、少女は身をよじってそれをかわした。

 続く二撃、三撃目も後退しながら避けていく。


 はじめの膝蹴りで一人は倒したとはいえ、いまだ一対二という不利な状況。

 それでも少女の顔に焦りは見られない。


 ――その余裕が、どことなく俺の不安をあおる。


「クソが、なんで当たらねえ!」

「たしかに太刀筋たちすじはそれなり、しかしそれ以上に動きがにぶいのです」

「余計なお世話だ、このクソアマ!」


 やめて、頼むから店内で挑発しないで。

 俺の願いは届かず、少女と二人の男は店内の奥へと進んでいく。


 そして、片方の男が横薙ぎに振るった剣が隣にあった木彫りの彫刻に突き刺さった。

 終わった――!


「ぬ、抜けねえ! ちくしょう!」

「屋内で闇雲に剣を振るえば、そうなるのはどおりでござる」


 その隙を見逃すはずもなく、瞬時に近づいた少女が突き上げた肘で顎を砕く。

 残るは一人。


「そしてサシの勝負となれば、もはやける必要もなく」


 そう言いながら、近くにあった壺を抱え上げ、最後の一人の頭に叩きつけた。

 より正確に言えば、シャイタック商会と商談が成立していた壺を、叩きつけた。


 またたに、腰の剣を抜くまでもなく、三人の男を倒した少女。

 額に汗のひとつもかかず、息を切らした様子もない。

 その横顔を見て、俺は――。


「お前、何してくれてんだあああぁぁぁあああ!!!」


 ただただ、叫ぶことしかできなかった。

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