英雄と白竜4-2

 聖騎士の反応は早かった。すでに聖剣を大上段に振りかぶっている。


「毒など効くものか! ――『毒ぐらい』の名を忘れたか、ヒュウガ!!」


 彼が放つは聖騎士最大の一撃。光そのものになった巨大な剣で、戦艦すら二つにする大技である。


 エルネストが剣を振り下ろそうとするその刹那、誰かが私とマルーを押し倒した。


「伏せろっ――……」


 ニコラだ。『死の天使』の神経毒で、動くことすら難しいはずなのに、それなのにこの人は……!


「――さらばだ、ヒュウガっ!!」


 エルネストの叫び声と同時に、私はぎゅっと目を瞑った。


 ――ところが、5秒経っても、10秒が経っても、剣は振り下ろされない。


 ……どうなったの?


 瞼をあげると、握った剣を杖のようにして膝をついているエルネストの姿があった。彼はマヒした唇をぎこちなく動かしながら、かつての友にたずねる。


「な、なぜ、なぜ俺が、毒に……!?」


 ヒュウガは目を伏せてそれに答えた。


「……エルネスト。あなたは確かに丈夫ですが、ただの人間なのです。あれだけの毒を飲めば、そうなって当然です」


 私は耳を疑った。上官に毒を盛られて、それでもけろりとしていたという彼の逸話は、よくあるような盛られた英雄譚ではない。


 その上官は、エルネストを暗殺しようとした嫌疑で裁判にかけられ、実際に処罰されている。致死性の毒が聖騎士に効かなかったという出来事は、事実として書類にも残っているのだ。


「ど、どういうことだ……」


 呼吸器にも毒が回ってきたのだろう。浅い呼吸を繰り返しながらも、ヒュウガをにらみつけるエルネスト。だがその鋭い眼差しは、友の言葉に大きく揺れた。


「あの時、あなたに毒を盛ったのは私なのです。毒ではなく、軽い下剤ですが……」


「な、なにを言って、いるんだ? 猊下どの上官の荷物の中から、『死の天使』を見つけたのは、お、お、お前だろう……?」


 ――まさか。私はぞくりとしたものを背中に感じて、思わず口を開いた。


「ヒュウガさまがでっち上げたのですか……!?」


 守護天使は私を一瞥すると、冷たく言った。


「そうせざるを得なかったのです。あの男は裏で通じていたのですから。……帝国とね。証拠がなくとも、そのままにはしておけなかった」


 私……いや、帝国に対してだろうか。ヒュウガからにじみ出た敵意に反応して、マルーが目を鋭くしたときだった。ぐらりとエルネストが揺れて、そのまま床に倒れ込んだ。


 彼は震える指先をリリフロラのほうへと伸ばしながら、声を絞り出す。


「ふ、ふふふ……。す、すまないな、リ、リフロラ。俺は、生まれつきの英雄なんか、じゃ、なかった。それで、も、許して、くれるか……?」


 彼の最期の言葉を聞きとげた守護天使は、重く長いため息をつくと窓を開けた。


 ――いつの間にか外は大荒れの天気だ。凍てつくような冷気に触れて少しだけ落ち着いた私は彼にたずねる。


「どうして……エルネストさまを……いえ、不死鳥のみなさんを……?」


 守護天使は外を見たまま、淡々と言った。


「――彼が沈めた駆逐艦から、バルドゥル殿下のご遺体が見つかったのです」


 おもわぬ人物の名に私は目を瞬かせた。バルドゥルは皇帝のいとこにあたる人物だ。


「ど、どういうことですか……。どうして殿下が、そんなところに……!?」


「高速巡洋艦アハトアハトは帝国の新鋭艦でした。その視察のために、殿下は駆逐艦シュネイルⅡに乗っておられたそうです」


 ありそうなことだ。バルドゥル殿下は稚気の抜けない人である。新しい船を見たいがために、この辺境の地まで来てもおかしくない。そして、おそらく、新鋭艦の空飛ぶ雄姿を外から見たいという子供みたいな理由で、シュネイルⅡに乗艦したのだろう……。


「そんな……。では、エルネストさまが、殿下を……」


「そういうことになります」


 大筋が見えてきた。


「不死鳥分隊は……責任を取らされたのですか」


 ヒュウガはさみしげにうなづいた。


「皇帝陛下とは真逆で、殿下は戦争推進派の中心人物でした。それを教国の英雄が殺害したとなると、帝国の門閥貴族や世論が黙っていません。闇に葬らなければ、新たな火種となる可能性があります」


「――『英雄の首をおもちしました』」


 私の唐突な言葉に眉を寄せるヒュウガ。私はかまわず続ける。


「『このように深く反省しておりますので、このたびの悲しい事故は、陛下のお力で秘密裏にしていただけますようお願いします』……そう言いながら、頭を下げるんですか!?」


 ……やってしまった。つい、やり場のない怒りをヒュウガにぶつけてしまった。


 自分を恥じて足元に視線を落としていると、意外な返事があった。


「もう少し付け足しましょう。『――殿下が我らの英雄をいたずらに追い詰めたのみならず、面子めんつのためだけに兵の命を顧みない突撃をしかけてきたという、不名誉な事実は口外いたしませんので』とね」


 ……そうか。私はついヒュウガをすべての黒幕のように感じていたけれど、彼もまた大国の中の歯車にすぎないのだ……。


 私はため込んでいた空気を吐き出すと、すでにこと切れているニコラのまぶたをそっと閉じる。……彼のように何もしらない者たちこそが一番の被害者だ。いつだって。


 ありがとう。『ヒナギクの野』、いつか見に行くから。どうか安らかに。


 ささやかな祈りを残した私は、退屈そうにしていたマルーをおんぶしながら言う。


「今回のことは、表向きにはどうなるのでしょう」


「そうですね……。シュネイルⅡは不慮の事故で墜落。不死鳥分隊は、乱心したホワイトドラゴンと相打ち――というところに落ち着くでしょう」


 それではあんまりにも、リリフロラが哀れでは。


 ……そう言いそうになったけれど、不死鳥が全滅したとなれば、それにふさわしい敵を用意しなければ説得力がない。リリフロラはその意味ではたしかに適任だった。


「そう、ですか……」


 聞きたいことは全部聞いたのだけれど、ふと素朴な疑問がうかんできた。


「守護天使さまは、私がこのことを誰かに話すとは考えないのですか?」


「そうですね。それならこれを」


 ヒュウガが差し出したのは5枚の金貨だ。私はげんなりとしつつも、それを懐にしまって吐き捨てる。


「口止め料ですか。いただいておきますけれど。……おせわになりました」


 そのまま立ち去ろうとした私たちを、ヒュウガが慌てて引き留める。


「違います! 仕事の依頼ですよ。前払いです」


「……何を運べばいいんですか?」


「情報です。――ここでアーテルさんが見聞きしたことを、皇帝陛下に伝えていただきたいのです。もちろん、嘘偽りなく、すべてをそのまま」


 私は感心するしかない。


 元近衛師団の私の話と教国からの書簡の内容が一致していれば、ある程度は信憑性があると陛下も判断することだろう。ケジメをつけたことを帝国にアピールしたいヒュウガにとっては、実に都合がいい。


「……わかりました。必ず届けます。どんなものでも、どこへでも届ける。それが『ミスリル便』ですから」


 守護天使さまに一礼して、私たちは部屋を出る。今すぐ砦を離れたい気分だったけれど、こんな天気の夜に『狼のはらわた』を行くのは自殺行為だ。


「今日はもう寝よっか。すごく疲れた……」


 私の言葉につられたのか、あんぐりと開いた口から、ちりちりとするような熱いあくびを漏らすマルー。


「うん。私も……ふわぁあ……」


 その気の抜けた声は、すこしだけ私の体のこわばりを溶かしてくれた。


 客室に戻るなり、私はマルーを背負ったままベッドに倒れ込んだ。


「さむい。抱っこさせて」


 暖炉をつける元気などない。


「いいよ……。おやすみ、アーテル。私がいるから、きっと明日もいい日になるよ」


 習慣になっている寝る前のあいさつを残すと、マルーは私の腕の中ですぐに寝息を立て始めた。その小さな背中のぬくもりをお腹や胸に感じながら、私はとりとめなく今日のことを思い出しはじめた。


 本当にいろいろあった……。


 さまざまな出来事が頭のなかに流れていく。と、そのとき、私は思わず大きく目を見開いた。


 まさか……?


 殿下は筋金入りのタカ派で、戦争推進派だ。穏健派の皇帝陛下からすれば、なんともしがたい目の上のたんこぶだったはず。


 エルネストもそれは同じ。本人にその気はなくとも、教国のタカ派の人たちからすれば、彼はいい神輿になる。不穏因子になりかねない人物だと聖女さまに目をつけられている可能性は高い。


 ……誰かがリリフロラを焚きつけたのでは。「戦火の中でなら、より英雄のそばにいられる」と。


 そして彼女は、それを本気にして国境上にある山の民の村を襲撃した。そこに調査に出向く不死鳥と、偶然にも時をおなじくして同じ場所を通った国境警備隊。


 そして起こった悲劇には、中立の立場にある証人がいた。皇帝と守護天使という両国の要人と接点がある私だ……。


 出来すぎている。すべてのことが、かみ合いすぎている。


 エルネストに放ったヒュウガの言葉がリフレインする。


「平和の礎になってもらう」か。


 ……もしかして、すべては両国の仕組んだことだったのではないか。


 多くの人が犠牲になった。無関係な人も、当事者も。けれど、それで両国が和平へと向けて前進するのなら……


 あ、と思ったときにはもう遅い。2年前の、あの出来事が脳裏に浮かんでしまった。


 ■■てください。少尉殿は絶対に死んではならない人でありますから――


 おなかの中にあったものが一気に逆流しそうになった、そのとき。


「――くちゅん!」


 かわいいくしゃみをひとつしたマルーは、猫のように身をよじって私に抱き着いてきた。その背中に手を回すと、嘘のように吐き気が引いていく。


 私はいつものように、考えることをやめた。明日から、またマルーと一緒に世界を駆ける毎日が始まる。平和だろうと、炎に包まれていようと、それは同じこと。


 目を閉じる。


 ――おやすみ、マルー。私の大事な竜。あなたがいれば、明日もいい日になるよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は走る、竜を乗せて、どこまでも。 十文子 @nanactan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ