私は走る、竜を乗せて、どこまでも。

英雄と白竜４－１

　その日の夜、『狼の牙』では食事会が催されることとなった。エルネストの意向によって、ヒュウガの持ち込んだ土産――ワインや食料が、ぱあっと景気よくふるまわれることになったのだ。

　ご相伴にあずかることになった私とマルーは、夕方の６時の鐘とともに客室を出た。

　指定された応接室を目指して廊下を進んでいると、兵たちの調子っぱずれだけどひたすらに陽気な歌や、楽しげでうるさい談笑が聞こえてくる。

　あっちは食堂だろうか。一足先にニコラたちにも食事がふるまわれているようだ。響いてくる兵士たちの喧騒に、暗くなりがちな気持ちが少しばかり明るくなるのを感じながら、私は応接室へと入る。

　どうやって部屋にいれたのか、まるで騎士王の伝説に出てきそうな円卓が部屋の中央にでんとあった。どこが上座なのかわらからないまま、とりあえず出口に一番ちかい席に座る。するとそれを待っていたかのようにヒュウガが姿を見せた。

「お隣、かまいませんか」

　断る理由もなく会釈を返すと、ヒュウガはにこりと笑って私の右隣に座る。

　とくに話すこともなく、マルーを左隣に座らせていると、エルネストが私たちのちょうど正面に腰を下ろした。

　当然のようにその隣に座ったリリフロラを、私はちらりと見る。

　――こうして姿を見るのは二回目だというのに、ため息が出そうになるくらい美しいドラコニアンだ。白磁のような白い肌に、真っ赤な瞳と唇。動作に合わせてさらさらと揺れる髪は絹のよう。

「――私の顔になにか？」

　瞳がぐりっと動いて、赤い視線が私を貫く。

――げ。こっちを見ていないと思って油断していた。

「あ、いえ……。その、美しいお姿だなって思って……」

　つい正直に言ってしまうと、リリフロラは虚を突かれたような顔になって、斜め上に視線を反らした。

「そう……」

　と動じることはないけれど、よく見てみると尻尾の先がピンと立っている。マルーと同じだとすると、うれしいか照れているか、あるいはその両方だろう。

　意外とかわいいところもあるみたい。私がわずかに和んだとき、控えめにドアがノックされた。

「入れ」

　エルネストが許可すると、食事を乗せたワゴンを押したニコラがゆっくりと入ってくる。彼は私の顔を見るなり、（男にこの表現はふさわしくないけれど、そう私は思った――）ぱあっと花が咲くような笑顔を見せてくれた。

「失礼します。お食事をお持ちしました」

　仕える主（あるじ）の身のまわりの世話も従騎士の仕事のひとつだ。彼は手慣れた動きで食器や料理を配膳すると、一礼して部屋の隅で待機する。もちろん直立不動である。

　準備が整うと、エルネストは席を立って水の入ったグラスを掲げた。

「俺はただの騎士だ。作法にうるさい偉い貴族さまじゃない。挨拶はいい、まずは乾杯だ！」

　偉そうなところがない気さくな聖騎士さまだなぁと感心しつつも立ちあがると、なぜ水なのだろうかとグラスを不思議そうに見つめていたリリフロラが遅れて席を立った。

　全員を見届けると、エルネストは天高くグラスを挙げる。

「では――友との再会と、新たな出会いに！」

　――乾杯！

　こうしてささやかな食事会が始まった――のだけれど、どうやっても楽しいものにはなりそうにない。

　これからおこることを思えば、せっかくのごちそうものどに引っ掛かるばかりだ。

　ああ、はやくワインが飲みたい……。

　そう内心でつぶやいた時だった。

「――んん！」

　不自然な咳ばらいをしたのはエルネストだ。集まる視線のなか、彼は深刻そうな顔でゆっくりと口を開いた。

「じつは――聖女さまから呼び出しがかかった。俺は明日にでも、聖都ルザレムへと向けて出立しなければならない」

　いち早く反応したのはリリフロラだった。

「もしかして、先日の戦いでの活躍が認められたのでは……！？」

　我がことのように笑顔になるリリフロラだけれど、エルネストは首を横に振る。

「そうじゃない……。山の民の集落が何者かに襲撃されたのは、お前も知っているだろう。その嫌疑が俺にかかっているんだ」

　かしゃんと大きな音。リリフロラの手からフォークが落ちている。

「そんな……。どうして坊ちゃんが……！？」

　エルネストが仕方なさそうにうつむくと、リリフロラはにらみつけるようにヒュウガを見た。

「どういうことですか……！？」

　その赤い瞳の眼力に動じることなく、ヒュウガは静かに答えた。

「状況的にみてエルネストが疑われるのは仕方のないことです。それに――」

　ヒュウガは布に包まれたものを取り出しながら言う。

「殺された子供の背中に、これが突き刺さっていたのです」

　あの帝国空軍の銃剣が出てくるかと思いきや、布の中から姿を現したのは十字架に似た巨大な剣だった。大きな宝玉がはめ込まれたそのツーハンドソードを見て、息を呑んだのはリリフロラだ。

「――どうして坊ちゃんのフルンティングが！？」

　円卓に手をついていまにもヒュウガに飛び掛かりそうなリリフロラを、その剣の持ち主が制した。

「よせ……。事実だ。俺の剣が、なぜか山の民の村にあったんだ……」

　エルネストは重々しいため息をついてから憔悴した目で旧友を見た。

「もちろん俺はそんなことしちゃいないが、物的証拠があるってのはまずいな……。聖都についたら、俺はどうなる？」

　ヒュウガはもうしわけなさそうに目を伏せた。

「あなたは英雄として良くも悪くも目立ちすぎました。恨みを持つ者たちの息がかかった尋問官から、どんな扱いを受けるか……」

　円卓が割れた。そう思えるほどの勢いで円卓の殴りつけたのはリリフロラだ。

「馬鹿な……！！　坊ちゃんは無実です！！」

　彼女は鋭い牙をむき出しにして、殴りつけるようにヒュウガに言った。

「これは何かの間違いです！！　山の民の村にあったのはフルンティングではなく――帝国空軍の銃剣なのですから……！！」

　その言葉を聞いたとたんエルネストはぞくりとするような目つきになって、リリフロラの腕を強くつかんだ。

「――やはりお前だったか……！！」

「え……。えっ……！？」

　ぽかんとしているリリフロラが哀れに思えて、ただ成り行きを見守っていた私は口を開く。

「凶器が銃剣だということを、どうしてリリフロラさんが知っているんですか……？」

「――！？」

　彼女は見ていて悲しくなるくらいうろたえた。怒りとも焦りともとれる表情で、ぐるぐると視線を回している。

「そ、それは……そのっ……！」

「私が見た死体は、どれも傷から血が出ていませんでした。突き刺してあった銃剣にも。それは……あなたが氷のブレスで凍らしてから、銃剣を突き刺したからです。死因を偽装するために」

「そんなの、証拠になんて……」

　もちろんその通りだ。でも、他にも物証がある。

「これに見覚えがありますね」

　私がポケットからあの金ボタンを出す。

「あなたやマルーのようなドラコニアンはこういうきらきらしたものが大好きでしょう。これはとても古いものですが、長寿のドラコニアンなら持っていてもおかしくない」

「て、帝国空軍のボタンなんて、どこにでもあるわ……！」

　リリフロラは首を激しく振って否定するが、すでに裏は取ってあるのだ。

「あきらめろ、リリフロラ……！」

　エルネストが、ポケットから取り出したものを円卓の上にぶちまける。１０個ほどの年代物の金ボタンが転がると、リリフロラの顔から表情が消えた。

　――長い年月をかけて帝国軍の士官から奪い取った、リリフロラのコレクションというわけだ。

　エルネストは沈んだ声で言う。

「お前の部屋を勝手に荒らしたことは悪いと思っている……。すまない」

　リリフロラは椅子に座る力もなく、そのままへなへなと床にしゃがみ込むと、恨めしそうな上目づかいでエルネストをただ見上げる。

　エルネストはその背中を優しく撫でながら、穏やかにたずねた。

「……どうしてこんなことをしたんだ？」

　長い長い沈黙のあと、リリフロラは独白するように言った。

「二年前みたいに坊ちゃんを――いえ、あなたを背中に乗せて、世界中を飛び回りたかった。そうすれば、あなたを一番近くに感じられるから……」

　エルネストに向ける熱っぽい視線を見て、私はすべてを悟った。

　リリフロラは――エルネストをどうしようもないくらい愛しているのだ。肌に触れたい、近くにいたい。その想いをひそかに叶えるためだけに、両国の間にまた戦争を起こそうとするほどに。

　エルネストも彼女の好意にはうすうす感づいていたのだろう。彼はリリフロラの手を握ると、そっとささやいた。

「なんで言わなかったんだ……？」

「だって……私はドラコニアンだもの。……英雄の乗る竜にはなれるけれど、あなたの伴侶にはなれないわ……」

　残酷だけれど、リリフロラの言葉は事実だ。人種差別の激しいこの国では、異人種と人間の結婚は認められていない。もちろん事実婚状態の人々もいるけれど、彼らはそれを隠してひっそりと生きるしかなかった。

「そうか……。そうだな……」

　自分に言い聞かすようなエルネストの言葉が、なんともやるせない。

　聖騎士であるエルネストは、騎士であり聖職者でもある。『教会』の敬虔な信者の彼が、リリフロラとかけおちするなど、許されないことなのだ。

　――二人はしばらくそうしていたけれど、すべての物事には終わりがある。エルネストは立ち上がってヒュウガにたずねた。

「――リリフロラはどうなる？」

「……自国民ではないとはいえ、あれほどの人数を殺めてしまっています。それに私欲のために両国の関係を著しく悪化させようとした罪もある。極めて重い罰が科せられるのは間違いないでしょう」

「斬首か……」

　ヒュウガは苦しそうに首を横に振った。

「斬首刑ではすみません。……鋸挽き（のこびき）でしょう」

　――逆さにつるして、右と左に分かれるまで鋸（のこぎり）をひく処刑法……。彼女のしたことを思えば妥当……いや、私にはわからなかった。

　小さくなったリリフロラの背中を見下ろしながら、エルネストは声を震わせた。

「なぁヒュウガ。……これは悪い夢だ。いまから俺とお前で楽しく酒を飲んで、朝起きたら、またいつもの退屈な朝がくる。そんなふうにはならないか？」

　私なら首を縦に振ったかもしれない。しかしヒュウガはまっすぐにエルネストを見据えて、しっかりと言った。

「エルネスト……。いくらあなたの頼みでもそれはできません」

「そうか。そうだったな、お前はそういうやつだ……！」

　エルネストは深呼吸を一つしてヒュウガを一瞥すると、円卓に立てかけてあった聖剣に飛びついた。

「許せっ！！」

　エルネストの凶行に、私は思わず身をすくめる。しかし、聖騎士が斬りかかったのはヒュウガではなく――

　剣先が三日月を描くと、部屋そのものを袈裟切りにするかのように血が飛び散った。私は顔についた紫色の血をぬぐうこともできず、神妙な顔でただ座っているマルーに、ふらりと寄りかかる。

　しんと静まりかえった室内で、最初に口を開いたのはヒュウガだった。

「よかったのですか……これで」

　すでにこと切れているリリフロラを見ながら、エルネストは感情を押し殺した顔で答えた。

「『気の触れた部下の蛮行が許せず、つい手が出てしまった』。……いいわけがないだろう」

　エルネストは倒れ込むように椅子に座ると、置いてあったワインを手に取る。震える手でコルクを抜いて、瓶を逆さにした。

　半分ほど一気に飲むと、のこりを床のリリフロラに注ぎながら、彼はわずかにほほ笑む。

「少しだけ待ってろよ。なぁに、俺もすぐにそっちにいくだろう」

　その悲愴な横顔を見ていたニコラが、耐えかねたように言った。

「お、俺……リリフロラさんに毛布かなにか……」

　極度の緊張で口の中が乾いていたのだろう。ニコラは言葉の途中でげほげほと激しくむせ込んだ。エルネストは、少しだけ残っていたワインをグラスに注いで、押し付けるようにニコラに渡す。

「大丈夫か。……お前も飲め！」

「あ、ありがとうございます……」

　ニコラはワインがついた口元を乱暴にぬぐうと言い直した。

「すみません……！　俺、リリフロラさんに、何かかけるものを取ってきます！」

「ああ……。たのんだ」

　ニコラがよろよろとしながらも早足に部屋から出ていくと、血の匂いとワインの甘い匂いが混ざり合った部屋に重たすぎる沈黙が降りてくる。

　耐えかねた私が小さな手を握ると、マルーは私の手を握り返して、そっとささやいた。

「これでよかったんだと思う」

　私は暗示のように、彼女の言葉を繰り返す。

　――これでよかったんだ。そう、これでよかった……。

　エルネストはリリフロラが苦しまずに逝けるように最善を尽くした。ハッピーエンドではなかったけれど、これはグッドエンドなのだ。

　そう自分に言い聞かせたとき、

「――エルネストさま……！！」

　はじけるように開いたドアから、転がり込むようにニコラが入ってきた。

「なんだ、騒々しいぞ……」

　物思いにふけっていたエルネストがじろりとにらんでも、ニコラは下がらない。

「それが……その、みんな、倒れて……いえ、死んでいるんです！！　――エリアスも、ランディも、ベルナールも、マルチナも……！　みんな、みんなです！！」

　ニコラの鬼気迫る表情にエルネストが腰を上げたとき、私はすでにマルーを抱えて姿勢を低くしていた。ハンカチをマルーの口元にあてて、自分も防寒着の襟の中に口を埋める。

　そんな私たちの姿をみて、エルネストは呆然とつぶやいた。

「まさか――帝国の毒ガスか……！？」

　それしか考えられなかった。おそらく即効性の青酸ガスだろう。非人道的すぎて禁止された兵器だけれど、私はそのガスが秘密裏に実戦投入されていることを知っていた。

「姿勢を低く……！！　風上に移動します！！」

　私がそう言って、エルネストたちを誘導しようとしたとき――

　ドアを誰かが優しく閉めた。――ヒュウガだ。

「その必要はありません。ガスではありませんから……」

　私はぎょっとして聞き返す。

「じゃ、じゃあ、なに……？」

　ヒュウガは円卓の上のワインを見ながら言った。

「『死の天使』はご存じですか？」

　ぶわっと全身の毛が逆立つ感覚があった。それは強烈な神経毒を含む白いきのこの名前だ。

「まさか――毒を？」

　私がかすれた声を絞り出すと、ヒュウガは深くうなずいて聖騎士を見やった。

「『不死鳥』もここまでです、エルネスト。あなたたちには平和の礎になってもらう……！」