第11話 ヒナギク 希望
小鳥はこれ以上ないという笑顔で、ヒナギクの花束を背後(うしろ)に隠した拓真を迎え入れた。その花束はあまりにも大きく一目瞭然で、小鳥は素知らぬふりをする事に一苦労した。
「こんばんは、どうしても会いたくて。お休みの日にごめんね」
「大歓迎!よくアパートが分かったね!」
「地図アプリがあるから、公園を目印にしたよ」
「入って、入って!」
「・・・あの、これ」
拓真はゆっくりとヒナギクの花束を差し出した。それは何度、体験しても感動し、花束を受け取った小鳥は目尻に涙を浮かべながら「ありがとう!」と泣き笑いをした。
「小鳥ちゃん、希望だって」
「・・・・え?」
「ヒナギクの花言葉は希望っていうんだってフラワーショップのお姉さんが言っていたよ」
「希望」
「うん」
こんな場面は知らない。希望、ヒナギクに希望という花言葉があるなんて前の拓真は言わなかった。
「希望って言うんだ」
「そう、希望、素敵な言葉だね」
拓真は革靴を脱ぎ、左右揃えて部屋に上がった。丁寧なところは変わらない。
「じゃあお花、生けるね。座って待ってて」
拓真がローテーブルに座ると、2本のステンレス製のスプーン、2個のグラスが並べられていた。そしてあの大量のヒナギクが入るガラスのフラワーベース。この部屋には何もかもが準備されていた。
「小鳥ちゃん、誰かお客さんが来る予定があったんじゃないの?」
「ううん?ないよ、なんで?」
「なんとなくそんな気がしただけ」
「変なの」
そしてチェストの上にはそのフラワーベースが飾れるスペースがあった。拓真は前にも同じ事があった様な不思議な感覚に陥った。
「拓真、ご飯は半分で良い?」
「あ、うん」
「カレーは少なめだよね?」
「うん」
「福神漬けは各自でお願いします」
「分かった」
「麦茶で良いかな」
カレーは少し温めのチキンカレーだった。
「あ、チキンだ」
「うん、ささみだよ。あっさりしていて良いよね」
拓真はささみ肉のカレーを好んで食べる。小鳥は拓真の好みを全て把握していた。
「美味しいね」
「本当!?良かった!辛いって言われるかと思ってドキドキしちゃった」
「丁度いいよ、美味しい」
「ありがとう!」
拓真は思い切って尋ねてみた。
「ねぇ、小鳥ちゃん」
「ファアイ?」
「僕、チキンカレーが好きだって言ったかな?」
「ングっ!」
小鳥は頬張っていたカレーを一気に呑み込み激しく咽(む)せた。そして麦茶で喉を潤すと咳払いを一つした。
「ううん?言ってないよ?私がチキンカレーが好きなだけだよ」
「そうなんだ、偶然だね。僕もささみのチキンカレーが好きなんだ」
「うわーーーーー偶然(棒読み)」
「僕たち、好みが合ってるのかもしれないね」
「そうだね!」
小鳥の目は泳いでいた。今日、この時間に拓真がヒナギクの花束を持ってアパートを訪ねて来る事を小鳥は知っていた。そこで好物のチキンカレーを振舞(ふるま)おうと考えたのだ。
(・・・・・ふぅ、危ない、危ない、またやってしまった)
そこで拓真が「あっ」と声を上げ、小鳥は何事かと飛び上がった。
「小鳥ちゃん、髪、切ったでしょう?」
「あ、分かった?」
小鳥は伸ばし放題だった髪を、やや前下がりのロングボブヘアーに切り揃えた。
「うん!すごく良いよ!かわいいね!」
拓真は臆する事なく小鳥のイメージチェンジを称賛し、小鳥は照れ臭さを隠す様に戯(おど)けて見せた。
「や、やだ。そんな当たり前の事を」
「当たり前なの!?」
「小鳥ちゃんは可愛い!」
「うん、可愛い」
「小鳥ちゃんは正義!」
「うん、正義」
けれどやはり気恥ずかしい。
「もっ、お、おかわりする!?」
「ううん、もうお腹いっぱい、ご馳走様でした」
「麦茶、飲む?」
「あ、麦茶欲しい」
麦茶をコップに注ぐ音。
「静かだね」
「昼間は子どもが公園で遊ぶから賑やかだよ」
「そうなんだ」
「うん」
壁掛け時計の秒針の音が響いた。
「私、お皿洗うね!」
「僕も運ぶよ」
「いえいえいえ、お客様は座っていて下さい」
「そう?」
「そう!」
「じゃ、お言葉に甘えさせて頂きます」
「甘えて下さい」
拓真は周囲を見回した。
「やだ、そんなにジロジロ見ないで!」
「なんで?」
「恥ずかしいから!」
「綺麗に掃除してあるよ」
淡いベージュの壁紙、パイン材で統一された家具、薄緑のギンガムチェックのカーテン、ペパーミントグリーンの家電製品、食器棚には観葉植物が蔓(つる)を伸ばしていた。エアコンの位置、部屋の間取り、拓真はそれらに既視感(デジャビュ)を覚えた。
「僕、初めて小鳥ちゃんの部屋に来たよね?」
「そうだよ?」
「なんだか前にも来た事があるような気がするんだ」
「電話でいろいろ話したからじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ、来た事ないもん」
拓真がなぜ、そんな事を言い出したのか小鳥には分からなかった。
(急に、どうしたのかな)
ただ、そういう小鳥も拓真の部屋を隅から隅まで知っている。タイル壁の2階立てのアパート。205号室の壁紙は淡いグレーでファブリックやカーテンは全てグレーの濃淡で揃えている。家電製品は黒で統一され、クローゼットやシューズボックスの中も黒一色だ。
「小鳥ちゃん。もう遅いから僕、帰るね」
「えぇ、もう帰っちゃうの?」
「小鳥ちゃんも明日はお仕事でしょ?」
「うん、仕事」
「だからもう帰るね。それから、今夜の電話は無しね!」
「ええええ」
「もういっぱいお話ししたでしょう?」
「したけど!」
小鳥はショルダーバッグを肩に掛け、革製の鳥のキーホルダーがぶら下がった車の鍵を握った。
「あ、それ」
「拓真から貰った小鳥ちゃんだよ」
「使ってくれてたんだ」
「可愛いは正義!こんな可愛いコを使わないなんて勿体無い!」
「ありがとう、で、なんで車の鍵?」
「もう遅いから拓真のアパートまで送らせて」
拓真はスーツのジャケットを羽織りながら、「いいよ、小鳥ちゃんも疲れるでしょ」とやんわり断った。それでも小鳥はもうしばらく一緒に居たいから送らせて!と一歩も後に退かなかった。
「本当に良いの?」
「ここから二駅分でしょ?車なら20分も掛からないよ」
「ええ、なんだか悪いなぁ」
「一緒に居たいの!」
「ありがとう、じゃあお言葉に甘えさせて頂きます」
「甘えて下さい」
小鳥は出掛ける準備をしてエアコンのスイッチを切った。
「あ、ごめん。その前にトイレ貸してくれる?」
「どうぞ、どうぞ。あ、」
拓真は小鳥が案内する前に躊躇(ためら)う事なく、バスルームではなくトイレのドアを開けた。
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