第7話 待ち合わせ

ベンジャミン(観葉植物)の小枝が空調に揺れ、テーブルのグラスの氷はすっかり溶けてしまっていた。小鳥の涙が一段落付いたところで拓真はカウンターに向かって手を挙げた。


「お待たせいたしました、ご注文はいかがなさいますか?」


 カフェのサービススタッフが軽く会釈をしてテーブルの傍(かたわ)らに立った。


「私は、マドレーヌとアイスココアを下さい」

「かしこまりました」

「あっ!お菓子!」


 小鳥のオーダーを聞いた拓真はもう1度メニュー表を開いて見た。


「・・・・・」

「決まっていなかったんですか?」

「は、はい。うっかりしていました」

「飲み物だけでも良いんですよ?」

「いえ、甘いものが好きなので僕も食べたいです!」


 サービススタッフの手元は「まだか、まだか」と落ち着かなかった。けれど拓真はメニュー表を睨み難しい顔をしている。


「う〜ん」


 だなぁと肘を突いて眺めていると、その視線に気付いた拓真が「ごめんなさい!僕、なかなか決められなくて!」と顔を赤らめた。小鳥はサーモンピンクのネイルでメニュー表を指して微笑んだ。


「高梨さん、とカヌレはどうですか?」


 カヌレはフランスの伝統的な菓子だ。表面はカリッと香ばしく、中はしっとりもっちりとした生地で、ほんのり漂うラム酒の芳醇な香りが堪(たま)らなく美味しい。に薦めたところ気に入って、近所のパティスリーに通い詰めていた程だった。


「カヌレ、テレビ番組で見た事はありますがお薦めですか?」

「はい!須賀小鳥が推薦する一押し商品です!」

「じゃあ、食べてみようかな」


 拓真はブラックコーヒーしか飲まなかった。


「あれ?でも、なんで僕がブラックコーヒーを頼むって分かったんですか?」

「あ、あぁ。この前のバーベキューで話していましたよ?」

「そうだったかなぁ?」

「忘れちゃったんですか?」

「覚えてないなぁ」

 

 小鳥は焦った。記憶している事がポロリポロリと口から漏れてしまう。まさか「実は私、未来であなたと付き合っていたんです!」なんて言おうものなら危ない女選手権で優勝、はい、さようならとなりかねない。


「お待たせいたしました」


 そこでオーダーしたアイスココアとマドレーヌ、ブラックコーヒーとカヌレが運ばれて来た。


「いただきます」

「いただきます」


 珈琲の香ばしい香りと湯気の向こうに拓真がいる、ただそれだけで嬉しく、それが尚更悲しかった。まさか1年後にあんな事が起きるとは思いも寄らなかった。


「・・・が・・さ・・ん・・すが・・須賀さん、須賀さん?」


 ラウンジミュージックと人の騒(ざわ)めきがぼんやりと鼓膜を震わせ、カトラリーの擦(こす)れる音が耳に飛び込んで来た。気が付くと拓真が心配そうに小鳥の顔を窺(うかが)っていた。


「どうしたんですか、ぼんやりして」

「あ、マドレーヌが美味しいなぁって」


 その場凌(しの)ぎの嘘を吐いたがマドレーヌには口を付けていなかった。


「楽しくないですか?」

「・・・・え?」

「僕といても楽しくないですか?」


 カヌレがほろほろと崩れ、拓真の表情は曇った。慌てた小鳥はテーブルに身を乗り出し、「セール期間中だから忙しいの!ごめんなさい、ぼんやりしちゃって!」と弁明した。


「それなら良いんですが、セールってそんなに大変なんですか?」

「はい、もう戦場です」

「戦場」

「50%OFFに70%OFF、お客様の目の色がいつもと違っていてあっという間に棚やハンガーから商品が消えちゃうんです」

「それは凄そうですね」

「そこで商品を補充して、レジ会計は長蛇の列で目が回ります」

「須賀さんのお店は人気なんですね」

「プチプライスでカジュアルな服ばかりなので購入しやすいんだと思います」


 小鳥が半袖パーカーを指差して見せると拓真は恥ずかしげに目を逸(そ)らした。


「どうしたんですか?」

「・・・・何だか僕たち、お揃いの服を着ていますね」

「・・・・そう、ですね」

「ペアルックみたいですね」

「・・・・そう、ですね」


 小鳥と拓真は顔を真っ赤にして下を向いた。すると拓真は恥ずかしさを誤魔化す様に、ショルダーバッグから携帯電話を取り出した。ワンボックスカーの前輪に踏み潰された黒いaPhoneだった。


「ええっと」


 拓真の指先が軽やかに暗証番号をタップした。


(暗証番号は1024で拓真の誕生日。もうすぐ私の誕生日、0214に変更される)


 ホーム画面には黒い子猫が寝転がっている。拓真の実家のべべちゃんだ。それも直(じ)きに小鳥と拓真の自撮り写真に差し替えられる。


(ハロウィンパレードで撮るんだよね)


 拓真はテーブルの上に携帯電話を置いた。


「わぁ、可愛い!」


 小鳥はその黒い子猫を初めて見たかの様に歓声を上げた。


「可愛い!子猫ちゃんですね、目が青くて綺麗!」

「僕の実家で飼っているんです」

「名前はなんて言うんですか?」

「べべって言うんです」

「べべちゃん」

「はい」

「べべちゃんかぁ、撫でてみたいな」

「今度、家に来ますか?」

「え?」

「い、いえ!なんでもないです!」


 この時、既に拓真は小鳥の事ばかりを考えていたのだとクリスマスイブのベッドの上で囁(ささや)いた。


「LIME、交換しませんか?」

「あ、はい!お願いします!」


 小鳥も携帯電話をテーブルに置いたが拓真が不思議そうな顔をした。


「あれ?そのaPhone(機種)、もう販売しているんですか?」

「えっ、あっ!・・・あ、その」


 小鳥が手にしていたのはaPhone15だ。自宅のリビングテーブルにあった物をそのまま使っていたので気が付かなかったが、2023年7月25日時点でaPhone15 は発売されていなかった。


「あまり、詳しくなくて、父が契約して来たから、その」

「海外で先行販売されたのかな。良いなぁ、僕も機種変更しようかな」

「そっ、そうですね!」


 小鳥の脇に汗が滲んだ。aPhone15の日本での発売日は2023年9月22日だった。


(な、なんで携帯電話はなの!神様!しっかりしてよ!)


 無事、LIMEを登録したところで小鳥は拓真がZ(ゼット)を好んでよく呟いていた事を思い出した。


「高梨さん、Z(ゼット)、相互フォローしませんか?」

「ゼット、ゼットってなんですか?」

「・・・・・あっ!」


 Twittel(ツイッテル)がZ(ゼット)に変更された日は2023年7月24日だった。つまり、ロゴが変更される。


「あ〜、ちょっと気が早かったです!明日、Twittel(ツイッテル)がZ(ゼット)に変更されるじゃないですか!」

「あ、そうだ」

「なんだかZ(ゼット)って馴染まないですよね」

「そうですよね、Twittel(ツイッテル)の青いうさぎのアイコン、好きだったんだけどな」

「そうですよね〜、そうですよね〜」


 所々で未来が顔を出す。小鳥の背中に冷たい汗が流れた。

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