第6話 小鳥の出会い④

小鳥はかれこれ30分、リビングテーブルの前で正座をしている。リビングテーブルには小鳥の携帯電話と少し潰れかけたビスケットの箱が置かれている。ゴクリと喉が鳴った。


(18:00、もう仕事終わったかな、いや、この時間ならまだ残業)


 拓真に連絡をする、ただそれだけの事が出来なかった。携帯電話を手に取り、画面をタップしようとする指先が震えた。小鳥は躊躇(ちゅうちょ)した。


(心臓が、破裂しそう)


 ここでLIMEという便利なツールがあれば文字を打ち込むだけで会話が成り立つ。


(なーんーでー、バーベキュー(コンパ)に携帯持って来なかったのかな!)


 7月7日の間抜けな拓真に恨み節を呟いても埒(らち)が明かない。小鳥は意を決して090-93○7-○○○○をタップした。


(5回、5回鳴らして電話に出なかったら今度にしよう)


 呼び出し音が静かな部屋に響いた。


(3回、4回、5回・・・)


 やはり10回まで待ってみようと机の上に置いた携帯画面を凝視する。


(10回、11回、12回)


 流石(さすが)にこれではストーカーに近いと我に返った小鳥は通話ボタンを切った。


(・・・・通じなかった)


まだ仕事中なのかもしれない。

自転車に乗っているのかもしれない。

お風呂に入っているのかもしれない。

ランニングに出掛けているのかもしれない。


 小鳥はさまざまなを思い浮かべながらクッションを抱え、ベッドに倒れ込んだ。


(でも、もしかしたら)


 通じない電話は好ましくないを連れてやって来る。コンパに携帯電話を持って来なかったのは・・・まさか。


には彼女がいるのかもしれない!)


 壁掛け時計の秒針の音が耳にうるさい。キッチンのシンクの中には洗いかけの皿がたらいに沈んでいる。


(お皿、洗わなきゃ)


 けれど重い腰は上がらず視線はリビングテーブルの携帯電話に吸い寄せられたままだ。



リーンリーンリーン

リンゴーン リンゴーン リンゴーン

リーンリーンリーン

リンゴーン リンゴーン リンゴーン


 腕時計のミニッツリピーターが19:00を告げた。その鐘の音が止むと同時に携帯電話が軽快な曲で着信を報せ、小鳥はベッドから跳ね起きた。拓真だった。


「もっ、もしもし!」


 思わず語気(ごき)が強くなってしまった。その声色に気圧された様に拓真は戸惑い気味で「もしもし」と応えた。


「もしもし、須賀さん?」

「う、うん!」


 思わず素に戻ってしまった小鳥は「はい!」と慌てて言い直した。拓真の息は荒く、ランニングで外に出ていたのだと言った。


「初めて見る携帯からの着信だったからちょっと怖くて」

「そうだったんですね」

「キャンプ場で須賀さんに電話番号教えたの思い出して折り返しました」

「ごめんなさい、怖かったですよね」

「ちょっと怖かったです」


 拓真は携帯電話をスピーカー機能に設定した。冷蔵庫を開ける音が聞こえ、小鳥の脳裏にはペットボトルを取り出しミネラルウォーターをグラスに注ぐ拓真の姿がありありと浮かんだ。


「そうだ、今度お茶でも飲みに行きませんか?」

「お茶、ですか?」

「はい」

「お茶」

「駄目ですか?」


 携帯電話越しの拓真は雄弁で有無を言わさぬ感じがした。


「いえ!はい!行きたいです!」

「でもちょっと土日は忙しくて時間が取れないんです」

「あ、私も土曜、日曜はお店が忙しいので無理です」

「大変ですね」

「今、ちょうどセール期間なのでいつもより忙しいんです」

「何曜日だと都合が良いですか?」


 携帯電話の向こう側で紙を捲(めく)る音が聞こえた。きっとあの、拓真の会社が配布しているぱっとしないカレンダーだ。


「ちょっと待ってください、シフト表を見ます」

「はい」


 7月後半の小鳥の公休日は火曜日と木曜日だった。


「ええと、7月の31日までは火曜日と木曜日がお休みです」

「ん〜・・・・・・・」

「空いてませんか?」

「じゃあ、少し先になりますが23日の火曜日はどうですか?」

「大丈夫です!」


 小鳥は7月23日の火曜日に拓真とデートをする。

2023年7月23日

 小鳥はクローゼットの前で悩み、更に姿見(すがたみ)の前で首を傾げた。記憶違いでなければ初めてのデートは青い小花柄のワンピースに青いサンダルを履いていて出掛けた。


(・・・・でも)


 は真夏の太陽が照り付ける青空だった。


(今日は、なぜに雨)


 しかも小雨ではなく本降りの雨、こんな日にふわふわの綿のワンピースを着てサンダルを履く強者がいるだろうか。数歩歩けばびしょ濡れで目も当てられない状態になる事は必死だった。


(仕方がない・・・これは不可抗力)


 この行為が2024年の7月7日にどう影響を及ぼすかは分からないが、取り敢えず半袖パーカーにジーンズ、スニーカーというカジュアルな服装で出掛ける事にした。


(遅い)


 待ち合わせの場所は大正時代の写真館をリフォームした石造りのカフェ。店の外観はアイビー(観葉植物)が生い茂り、木枠の窓ガラスを隠している。内装は手触りの良い木製のテーブル、椅子の背もたれはレトロなアイアンフレームで、天井にはガラスのペンダントライトが仄(ほの)かな明かりを灯していた。


(遅い、いくらなんでも遅い、この店だよね?)


と、そこに肩の雨粒を手で払いながら拓真が店に駆け込んで来た。


「ごっ、ごめんなさい!」


 拓真は寝坊助けで30分遅刻して来た。そして服装は2人で言い合せたかの様に、半袖パーカーにジーンズを履いていた。


「ごっ、ごめんなさい!待ちましたか?」

「私もさっき来たところです、大丈夫です」

「ごめんなさい」


 拓真は小鳥のグラスの氷が溶けている事に気付いたらしく申し訳なさそうな顔をした。そして遅れたお詫びだと小さな紙袋をショルダーバッグから取り出した。


「開けても良いですか?」

「はい、たいしたものではありませんが」


 小鳥は袋が破れないようにゆっくりとセロハンテープを剥がした。中から顔を出したのは、革製の小さな鳥のキーホルダーだった。それは2024年の小鳥の車の鍵にぶら下がっている。


「これ」

「営業先の革細工の店先で見つけて、須賀さんの顔が浮かんだので買いました」

「これ」


 小鳥の胸の奥底が熱くなり、堪(こら)えきれずに涙が溢れた。


「えっ、えっ、どうしたんですか!?」


 突然、泣き出した小鳥の姿に慌てた拓真は机の上にあった紙ナフキンとおしぼりを掴んだ。


「ごめんなさい、これ、すごく欲しかったんです」

「そうなんですか?」

「はい、欲しかったんです」


 小鳥の涙は小さな紙袋に点々と染みを作った。

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