第5話 小鳥の出会い③

湖面を渡る風、小鳥の身体が熱いのは夏の日差しのせいだけではなかった。両手で持ったビスケットの箱、内側の蓋には油性ペンで書き殴った携帯電話番号があった。


(090-93○7-○○○○、拓真の携帯電話番号)


 それは見慣れた数字の羅列だが、一文字、一文字が愛おしくて仕方がなかった。そして癖のある3は、まるで雪だるまの様で8にも見える。


(これじゃ、電話しても通じないよ)


 ビスケットの箱を眺めて恍惚(こうこつ)の表情を浮かべる小鳥は、側(はた)から見ればさぞ怪しい女に見えるだろう。そこへトングを握った同僚が近付いて来た。


「はい、これ小鳥の分」


 紙皿の上には炭化する事なく蕩(とろ)けそうな飴色の玉ねぎと、赤と黄色のパプリカ、焼肉のタレにとっぷりと浸かった牛カルビが山盛りになっていた。


「あぁ!ありがとう〜!美味しそう!」

「そりゃあ、あんたの焼いたよりは美味しいわよ!ありがたく頂きなさい」

「ごめんね」

「まぁ良いわよ、お陰で小鳥をネタに大盛り上がりよ」


 バーベキューコンロに向き直ると、男性陣がビールのプラカップを手に小鳥に向かって手を振っていた。その中にはやはり不機嫌そうな拓真の姿があった。


「それにしても、平日によくこれだけの人数が集まったね」

「小鳥、世間には”有給休暇”や”夏休み”というものが存在するのよ?」

「知ってるわよ」

「土曜、日曜のファミリー層が大挙して押し寄せるキャンプ場にロマンを求める事ほど無駄なものはないでしょう!?」

「なるほど」

「”有給休暇”最高!」


 小鳥はその言葉に過敏に反応した。1年前の7月7日、”有給休暇”を取得した小鳥と拓真は、真昼の横断歩道を渡ろうとして交通事故に遭った。


(”有給休暇”を取らない)


 そうだ。あの日をひとつずつ排除すれば良いのではないだろうか。小鳥がぼんやりと口から玉ねぎを垂らしていると、同僚がビスケットの箱に気が付いた。


「塩(しお)っぱい物の次は甘い物よね、1枚頂戴」

「・・・・あ、うん」


 そして大概(たいがい)にして女性は目ざとい。同僚は小鳥が膝に抱えたビスケットの箱に携帯電話番号が書かれている事に気が付いた。


「なによ、それ」

「あ、これは、その、落書きみたいな?」

「なにが落書きなのよ!見てたぞ!お姉さんは見てたんだぞ!さっき、あの人からもらったお菓子でしょう!?」

「・・・・・み、見てたの!?」

「なに、なに、小鳥はもう彦星(ひこぼし)様を見つけちゃった訳!?」

「そんなんじゃないから!」


 声を大にした小鳥は背後の視線に気が付いた。振り返るとそこにはいつの間にかビールのカップを両手に持った拓真が立っていた。「ただの落書き」や「そんなんじゃないから!」発言が彼の耳に届いたのかどうかは確かではないが、拓真の眉間には薄っすらとシワが見て取れた。


(・・・・やばい!墓穴!てか、気配消すとか忍びの者!?)


 半月近く早く、小鳥と拓真の交際がスタートするはずが、小鳥は障害物競走の網の中に飛び込んだ状態だった。拓真の存在に気が付いた同僚はビスケットを摘むと「お邪魔しました〜!」とその場を後にした。


「・・・・・・・」

「・・・・どうぞ」


 前屈みになった拓真は口角をにし、ビールが注がれたプラカップを小鳥に差し出した。アルコールがあまり得意ではない小鳥だったが、「ごめんなさい、駅まで車で来たんです」とは到底言い出せない雰囲気で、ペールブルーの軽自動車は駅の駐車場で一泊してもらう事にした。


「どうも、ありがとうございます」


 手渡されたビールは冷たく、プラカップは汗をかいていた。拓真は小鳥の隣に座った。シダーウッドの整髪剤は拓真の汗と入り混じり独特の香りとなって小鳥を包み込んだ。


(拓真の匂いだ)


 小鳥は大きく息を吸い込むと深く吐いた。身体の隅々まで様に大きく吸い込んだ。それを退屈な溜め息だと勘違いしたのか拓真は怪訝そうな顔をした。


「やっ!ち!違うんです!空気が美味しいな〜って!」

「ああ、肉焼いてますからね」

「・・・違います。山の空気が美味しいなって事です」

「あぁ、そうなんですね。僕は焼肉の匂いでご飯3杯はいけます」

「そんな話じゃなくて!」


 過去の拓真も天然惚(ぼ)けだった。小鳥は失笑し、拓真は顔を赤らめながら頭を掻(か)いた。


「ええと、須賀・・さ、ん?」

「はい。須賀小鳥です、高梨拓真さん」

「名前、覚えるの早いですね」

「アパレル業界はお客様と縁あっての仕事ですからなるべく早く覚える様に心掛けています」


 確かにそうだが、小鳥がを忘れるはずがなかった。


「そうなんですか」

「はい」

「僕は営業部なんですが、なかなかお客さんの顔と名前が一致しなくて上司からよく注意されます」

「でも、私の顔と名前は一致しましたね」

「あ、本当だ。なんでだろう」


 すると拓真の隣に見た顔が座った。上背のあるイケメンがほろ酔い気分で拓真の肩に寄り掛かって来た。


「そりゃあ、拓真くんが向日葵(小鳥)ちゃんに一目惚れしたからじゃないの?」

「ばっ、馬鹿!」

「油性ペンが「ないかーないかー」って探してたから可笑(おか)しいなぁって思ってたんだよ」

「言うなよ!」

「拓真が携帯番号教えるなんて初めてじゃね?」

「黙れって!」


 拓真は耳まで真っ赤にして声を大にした。


「・・・・え、そうなんですか?」

「そうなんだよ、こいつ見た目が無愛想だから女子勢怖がってさ。こんなビールを持って隣に座るなんて天変地異だよ、アルマゲドンだよ」


 小鳥が驚いて拓真を見ると彼は呷(あお)る様にビールを飲み干していた。との馴れ初めとはかなり違うが、どうやらこの上背のあるイケメンが小鳥と拓真の縁を取り持ったようだ。


「そうなんですか?」

「・・・・・」

「そうなんですか?」

「・・・・・」


 照れ臭さが隠しきれない拓真は黙り込んでしまい、その緊張感で小鳥は息が詰まりそうになった。唾を飲み込む事さえも憚(はばか)れる圧迫感、拓真は時々、なにかを口にしそうになり、そして噤(つぐ)んだ。


「ねぇ!小鳥!早いけど花火するよ〜!」


 同僚の言葉が2人の間の沈黙を破り安堵した。


「高梨さん、花火もらって来ますね!」

「あ、はい」


 未来で婚約までしていた相手(拓真)とのに小鳥の胸は張り裂けそうなくらいに脈打っていた。小鳥は同僚から6本の花火と蝋燭(ろうそく)を手渡された。蝋燭(ろうそく)の灯火が夕闇の風にちらちらと揺れた。


「たく・・・・」


 思わず拓真と呼んでしまいそうになった。小鳥はすぅと息を吸い込んだ。


「高梨さん、花火は3本づつですよ」

「あ、はい」


 拓真が花火を蝋燭(ろうそく)に近付けると”花びら紙”がチリチリと燃えた。その様子を見ていた小鳥が拓真の顔を覗き込んだ。


「高梨さん」

「なんですか」

「そのヒラヒラした紙は取って火を付けるんですよ」

「え、そうなんですか!?」

「私の祖母が言っていました、湿気(しけ)らない様に付けてあるんだそうです」

「そうなんだ、僕、知りませんでした」

「私も大人になるまで知りませんでした」


 小鳥と拓真は並んで”花びら紙”を指先で捻(ひね)って外した。1本、2本と花火が2人を照らし出した。


「綺麗、綺麗ですね」

「花火なんて何年振りだろう」

「何年振りですか?」

「小学生の頃かなぁ、僕の家は住宅街だったからあまり出来なくて」

「そう、ですか」

「はい」


 小鳥の胸は痛んだ。2024年の6月、小鳥とは河原で花火を楽しんだ。今、ここにいる拓真はその事を知らない。


 最後の1本は線香花火だった。

パチパチパチパチ

 二人の指先には線香花火が牡丹(ぼたん)の花を咲かせていた。


「線香花火って綺麗だけど寂しいですね」

「僕は好きです」


 確かに、はそう言っていた。


 花火はやがて松葉の眩い光となってちり菊の様に萎(しぼ)んでいった。


「須賀さん」

「はい」

「電話下さい」


 線香花火は蕾(つぼみ)となって、砂利の上にホロリと落ちた。

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