第15話 いつ使うの?

 体育会を目前にしたある日、僕は人生で初めて女子と外で遊ぶことになった。正直、気分は乗らないが、待ち合わせ時間に何とか間に合うよう歩みを進める。

 

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 

 僕にとって学校以外の一人の時間は、とても大切なものだった。その時間は、言わば砂漠のオアシス。なによりも優先したいものなのだ。その時間を誰かと共に過ごすということは、それだけ一人の時間が犠牲になるということだ。僕のオアシスが破壊されるということなのだ。


 僕は何か選択を間違えたのだろうか。

 

 僕はここ数日のことを思い返した。











「ここ、一文がすごい長いよねー。整理しないと和訳できないかも」


 発表の翌日の金曜日、僕は何度目かの待鳥さんとの勉強会を開いていた。

 机を向かい合わせて座っている待鳥さんが、悩ましそうにしている。


「でもね、えーと、主語も、目的語も、どっちも後から修飾されて長くなってるだけで、文の構造自体は普通なんだよ」

「なるほど」


 待鳥さんがペンを支持棒代わりに、気の遠くなるほど長い英文を区切っていった。


「あ、色分けしたらわかりやすいかも。書き込んじゃってもいい?」

「大丈夫」


 待鳥さんは、そう言うと自分の筆箱の中身をごそごそ探り始めた。

 彼女の筆箱は、カモノハシのぬいぐるみみたいな見た目をしていた。たまに同じような動物の筆箱を持っている人を見かけるが、カモノハシは初めて見た気がする。大概、動物の背中側がぱっくり開いて、文房具を入れられるようになっているが、僕はいつもその作りはどうなのかと思う。筆箱としての機能上そうするしかないのだろうが、動物の背中が開いている様子は、食材の下処理感がすごい。もう少しどうにかならなかったのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、待鳥さんはいろんな種類の蛍光ペンをカモノハシの腹から取り出していた。それらを取り出してもなお、カモノハシは満腹そうに見えた。いったい中には何が入っているのだろうか。


「ここから、ここまでが主語で、ここから、ここまでが目的語」


 英文を蛍光ペンで色分けしていく。

 確かにこう見ると分かりやすい気がする。僕のワークはほとんど彩りがないから、蛍光ペンはより際立って見えた。


 その後、待鳥さんはもう少し詳しく解説をしてくれた。僕は何とかその一文を理解できた気がした。


「ありがとう、何となくわかった気がする」

「うん!よかったよかった」

 待鳥さんは満足げだ。




「そういえば、上野君って、筆箱すごいコンパクトだよね」

 勉強が一段落したタイミングで、そんなことを言ってきた。


「確かに?」


 あまり意識したことはなかった。僕の筆箱は細長いタイプで、中には、シャーペン二本、黒と赤のボールペンが一本ずつ、消しゴム、シャーペンの替え芯が入っているだけだ。待鳥さんの太ったカモノハシと比べると、確かにかなりコンパクトに思える。


「逆に待鳥さんのそいつは何が入ってるの?」


 僕はカモノハシの方を見ながら尋ねた。

 純粋に気になる。


「え、そんなに変なものは言ってないと思うよ」


 そう言うとまたカモノハシの背中から体内をあさり始めた。

 すると、様々な、僕から見たら謎の文房具が現れた。


「それは?」

「これは、星形の蛍光ペンだよ」


 その蛍光ペンは確かによく見ると太めのペン先が星形になっていた。


「いつ使うの?」

「なんか、きれいに星マークを描きたいとき?」


 そう言うと、僕のワークにハンコを押すようにそのペン先を押し付けた。確かにきれいな星マークになっているが、やはりそれをいつ使うのかはよくわからなかった。

 待鳥さんは「ね?」と得意げだったが、描いたものが僕のワークだったことに気付き、慌てて謝っていた。




「そっちのペンギンは?」

 気を取り直して他の文房具についても聞いてみた。


「テープのりだよ」

「そのサメは?」

「これは、ホッチキス」


 どうやら、あのカモノハシの腹の中には、多種多様な動物たちが収められているようだ。なかなか強力な捕食者だな、と思った。











 待鳥さんが去った後、少し残って勉強をしてから、僕は一人帰路についていた。

 通学路はすっかり秋めいている。燃えるような暑さは鳴りを潜め、心地よい気温がやってきた。なんなら今日は風が冷たくて、長袖のカッターシャツ一枚だと少し寒いくらいだった。

 

 待鳥さんと話すのは、疲れるところがあるのは確かだが、逆に落ち着くところもある。それは、待鳥さんが、いわゆる高校生らしい、SNSとか、流行とか、そういう話題をまったくしてこないからだと思う。気を遣っているのか、もともと興味がないのかはわからないが、僕にとってはそれがとてもありがたかった。

 

 SNSで友人同士で私生活を共有する今の時代は、僕には合っていないようだった。なぜプライベートな時間まで他者の存在を感じるようなことをするのか、僕には一切理解できない。

 僕が小学生とか、中学生だったころは今以上にインターネットの世界に浸っていたが、そこでのリテラシーと今の同級生たちの感覚はずいぶん違うように思える。あの頃は、ネット上に本名や顔写真を晒すと袋叩き似合うような印象だった。今では、連絡手段に使う以外のSNSを一切やっていないと言うと驚かれる始末だ。時代の変化を感じる。

 

 そんなことを考えながら、冷たい風に耐えつつ家へと帰った。

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