第14話 そんなところが魅力だと、そう感じました

  その日、僕は目が覚めた瞬間からすでに緊張していた。木曜日がやってきたのだ。今日の午後には発表がある。今ならまだ仮病を使うこともできるが、あいにくそんな勇気はない。あれこれ考えても、結局、僕は発表をしなければいけないと分かっている。そう理解していても、嫌なものは嫌だと思ってしまう。重苦しい体を無理やり起こして、学校へと向かった。


 午前中は授業になるべく意識を向けるよう努力したが、どうしてもいやな緊張が僕の中から離れなかった。それでも僕は何とか社会の先生の時事の話に耳を傾けた。ただ、今の僕には、進む気候変動も、どこかの国の紛争も、政治家の不祥事も、どれも大きな問題だと実感することはできなかった。僕のようなちんけな高校生には、学校でのことの方が重大に感じられてしまう。


 昼休み、僕は昼食をとりながら、発表で話す内容をメモを見ながら確認していた。たった一分間話すだけの内容なので、それほど文字数はないが、できる限り万全の状態で臨みたかった。今ですら緊張しているのに、いざ本番になって、とっさに話す内容を考えられるわけがない。気が付くとクラスメイト達がちらほら発表が行われる視聴覚室に移動を始めていた。僕はまだパンを食べきれていなかったが、そちらはあきらめて、メモをポケットにしっかりしまって視聴覚室に向かうことにした。




 僕が視聴覚室についたときには、おおよそ半分くらいのクラスメイトはそろっていた。僕は入り口あたりの机に置いてあったプリントを手に取った。表には各グループの席の位置が、裏にはグループの発表のフィードバックを書く面があった。僕はとりあえず自分のグループの位置を確認して、その席まで向かった。

 発表することも大変だが、フィードバックを書くのもなかなか面倒だ。もし発表がグループの番号順なら、僕のグループは後半よりになると思う。それまでのグループの発表をまともに見れる気がしない。

 視聴覚室にはめったに来ることがない。そのことも僕の緊張を増幅させていた。親しみがないだけでなく、やけに立派なつくりをしているのもその要因だった。前にプロジェクターを映す大きなスクリーンがあり、長い机と椅子が棚田のように並んでいる。音の響きも普段の教室とは違っていて、誰も話さなければ時計の針の音まで聞こえてきそうだった。

 僕は自分を落ち着かせようと、自分の席でメモにかじりついていた。すると、あとから来た待鳥さんが僕に話しかけてきた。


「上野君、話すこともう決まった?」

「え、ああ、うん。大丈夫だと思うよ」


 加えて、どんなこと?と聞かれたが、なんだか気恥ずかしくて、魅力?とあやふやに答えることしかできなかった。それでも待鳥さんはどこか満足げだった。


「そっか。発表、頑張ろうね!」


 そういえば話すことが決まったきっかけは待鳥さんが作ってくれたのだ。感謝を伝えても良かった気がするがタイミングを逃してしまった。僕は普段、こういうことはできる限り伝えるようにしているが、今は発表に集中したいのでひとまず忘れることにした。他のことを考えている余裕はないのだ。






 昼休みはすぐに終わり、授業が始まった。発表の順番はやはりグループの番号順だった。グループは10あって、僕のグループは7グループ。発表時間は1グループ5分だが、軽く質問時間もあるらしいので、本当はもう少しかかるということだった。僕は手前のグループでちょうど5時間目が終わり、6時間目の初めくらいに発表ができたらいいなと思った。そのほうが心の準備ができそうだからだ。

 その期待とは裏腹に、前半のグループの発表は滞りなく進んでいった。僕は進行を遅らせるためにたっぷり質問しようかと考えたが、僕の普段の立ち振る舞いから考えると、もはやちょっとした奇行になりそうなので、その作戦はあきらめた。

 発表が近づいてくるたび、僕は僕の心臓の位置がはっきりするのを感じた。何度も水筒の水を飲んで乾いたのどを潤した。

 そして、ちょうど1グループ発表できるくらいの時間を残して、僕らのグループの番がやってきてしまった。僕は意を決して立ち上がり、ふわふわした足取りで前に出て行った。

 他のメンバーがスライドの準備をしてくれている間、僕は教室の様子を眺めた。そこに居るのはせいぜい、40人くらいのクラスメイトと、何人かの先生だけで、その前でただ展示について話すだけのことを緊張する必要はないように思えた。ただ、思考とは裏腹に僕の心と体は窮屈そうにしていた。のどは膜が張ったようで、脚は今にも震えそうだった。ただ、僕は以前とは違うのだ。一つ一つ積み重ねて今、ここに立っている。そう思うことで僕は何とかまっすぐ立つことができた。


「7グループの発表を始めます。よろしくお願いします」


 他のメンバーの言葉に合わせて軽く会釈する。まず初めにその人がスライドを使って発表を進めていく。事前にグループ内でも順番は決めてある。僕の番は最後なので、それまではできる限り堂々と立っていることに集中する。

 発表中の視聴覚室は静かで緊張感をまとっていた。よくできたクラスメイトたちだなと思う反面、今はもう少し騒がしくしていてほしいくらいだった。

 他のメンバーが発表を進めていく。僕の直前の順番だった待鳥さんも発表を始めた。

 楽しそうにオオナマケモノについて語っている待鳥さんを僕はスクリーンをはさんで見ていた。待鳥さんの少し一方的なところは、こういう発表の場においてはとてもいい影響を及ぼすようだった。彼女の語りには人を惹きつけるものがあった。

 待鳥さんがオオナマケモノは怠け者ではない、という結論を出して一区切りをつけた。いよいよ僕の発表の番だった。ただ、さっきまでの緊張は不思議と薄れていた。

 他のメンバーがスライドを切り替える。僕の撮った砂漠の薔薇の写真が大きくプロジェクターで映し出される。

 そして僕は堂々と第一声を発することができた。すらすらと機械的に考えてきた砂漠の薔薇の解説を話し終えて、あとは考えてきた僕の感じたことを伝えるだけだ。


 その瞬間だった。

 聞きなれたチャイムの音が視聴覚室に鳴り響いた。いつもなら、その音は環境音の一つに過ぎないが、その時ばかりはオーケストラのシンバルのように僕の耳に大きく響いた。視聴覚室の時計はまだ授業時間の終了の3分前を指していた。僕は唖然としてわけがわからなくなってしまったが、少しして、ようやく視聴覚室の時計がずれているのだということに気が付いた。


 あたりが少しざわつき始める。すぐに今回の発表を仕切っている先生が、今発表しているグループはこのまま発表を続行することを、全員しっかりと切り替えるようにということを付け加えて、大きな声で伝えた。



 すぐに視聴覚室はまた静かな状態に戻ったが、僕は同じようにはいかなかった。嫌な緊張が僕のもとに戻ってきていた。でもこのまま僕が黙っていると、発表が再開できない。僕はなんとか声を出そうとして、めいっぱい息を吸い込んだが、それが振動して音として発せられることはなかった。

 僕は暗記していた台本をすっかり度忘れしてしまっていた。

 僕は顔がすぐに熱を帯びて、額から汗がにじむのを感じた。視聴覚室が静まり返ってからもう何秒たっただろうか。何かが僕を閉じこめているわけでもないのに、僕は「永遠に出られない」という気分になった。僕の異変を感じたのか静かだったクラスメイトがまた少しざわつき始めた。

 その時また思いもしない音が響いた。


「上野君は、どうして、あ、いや、どんなところを魅力に感じたんですか!」


 待鳥さんが少し離れたところから、僕に向かってそう語りかけたのだ。すぐに待鳥さんとまっすぐ目が合った。僕は何となく言葉が出てくる気がした。それは用意していたものとは違う気もしたが、今はそんなことを気にしてはいられなかった。


「僕は…、僕はこの砂漠の薔薇が、過酷な環境の中で、誰にも知られずに結晶するその形が、人を惹きつける美しさを持っている、そんなところが魅力だと、そう感じました」







 その後、僕のグループの発表は問題なく終了した。発表が終わってすぐの休み時間に、僕は待鳥さんにお礼を言った。考えるきっかけをくれたことももちろんだが、一番は窮地を救ってくれたことに対してだ。待鳥さんは明るく、どういたしまして、と言っていた。それを聞いて僕は、ありがとうはきちんと言うようにしているが、どういたしまして、と言ったことはあまりないことに気が付いた。いい言葉なのでこれからは言える時は言おうかな、と思った。







 すべてのグループが発表を終えて、グループワークの授業は無事、終了した。僕はホームルームが終わってもなお強い疲労を感じていた。幸い、今日は図書委員の仕事はなかったので、ゆっくり家に帰ることにした。




 家の近くの駅まで着いて、いつもの出口までの道を歩いているときに、階段でキャリーケースを重たそうに持っているおばあさんを見かけた。僕は、持ちましょうか、と声をかけて、了承をもらってから、キャリーケースを持って一緒に階段を上った。ありがとう、とにっこり言われたので、どういたしまして、と小さな声で返した。


 そこから家までの帰り道、僕はぼんやりと、僕の心はどんな形をしているだろうか、と考えた。

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