第10話 ちゃんと悩める子なんだね
「ごめんね、今日はちょっとぼーっとしてて。反省してる」
彼女は僕があげたスティックパンをかじりながらそういった。
思えば、はじめて会った日も目の前でめちゃくちゃ転んでいた。ほとんど初対面みたいなものなので、そんなに強くは言えないが、もう少し気を付けたほうがいいんじゃないだろうか。口では反省しているとは言っているが、その声色はどこか気が抜けている。
「優しいんだね」
彼女は2本目のスティックパンを手に取りながら言った。
「そんなことは、ないです。ただ、常識的にやるべきことをやってるだけで」
人とあんまりかかわってこなかったとはいえ、一般常識はわきまえている方だと自負している。ただそれに従っているだけなので、僕の行動はやさしさといわれると、少し抵抗感がある。
「まあ、でも、私が助かってるっていうのは確かだから」
そう言うと、ありがとうね、と静かに付け加えた。その間にもスティックパンはどんどん減っていっていた。
沈黙が風の音を強くする。そもそも僕は食事中に話すのが得意ではない。口は一つしかないのに、皆どうして人と一緒にご飯を食べたがるのか心底理解できない。1人で行動することを好む僕だが、食事に関しては特に1人にこだわることが多いのはそういう理由だった。
ただ、この調子ですぐに食べ終えてしまうと、やはり食べる量が減って足りなかったのかも、と気を使われるかもしれない。特に沈黙は気まずく感じないが、僕は次のパンを食べ始める前に彼女に少し話しかけることにした。
「ここにはよく来るんですか?」
「よく、といえばそうかな。そもそもここ、月曜日しか開放されてないから、多くても週一だけど」
それは初耳だった。
「逆に君はどうしてこんなところに来たの?」
「…1人になりたくて」
少し回答に悩んだが、僕は率直に答えてしまった。
「何か悩み事でもあるの?」
彼女の目線はまっすぐで、僕は思わず目をそらした。目を合わせていると何かを見透かされてしまうような気がした。
「え、いや、まあ、ありますけど、1人になりたいこととは関係ないです」
「将来のこととか?」
彼女には何か確信めいたものがあるのか、僕が悩んでいる前提で話が進んでしまっている。まあ、将来のことで悩んでいるといえば確かにそうなのだ。僕が成績不振を気にするのは、その先にある将来を見据えてのことだから。今日は少し疲れていて一人になれる場所を探したりもしたが、社会で生きていくのに、コミュニケーション能力とか社会性が必要だということは十分承知している。でも、僕のそういう能力はもう限界が見えている。掃除機でいえば赤いテープが見えてしまっている状態なのだ。だから、そんな僕が社会で生きていくには、人よりも優秀であることが必要なのだ。ただ、今はその優秀さを保証するものを失いかけている。僕はそのことがとても許容できない。
「偉いね」
彼女の声が、僕を思考から連れ戻した。
「え?」
僕はその発言の真意がよくわからなかった。
「ちゃんと悩める子なんだね」
たった一つ上の先輩からの発言とは思えないが、その響きはとても柔らかだった。あの雨の日に突然手をつかまれたことを思い出す。彼女の行動や発言は不思議と僕を不快にはさせないのだ。
僕は気恥ずかしさを隠すように、チョココロネの包装に手を伸ばした。食べることで無理やり沈黙を生み出すことにした。彼女の態度は不快ではないがむずがゆさみたいなものは感じる。なぜこんなに肯定的に接してくれるのか、僕にはわからなかった。
「チョココロネって、チョコがなくなったらチョココロネなのかな」
僕が食べているチョココロネをじっと見ながら、彼女は突然そんなことを言ってきた。僕が渡した4本入りのスティックパンはすべて食べてしまったようだった。
「それは、チョココロネからチョコがなくなったら、コロネなんじゃないですか」
「本当に?じゃあ君はチョコの入ってないチョココロネ見たら、あ、コロネだって思うの?」
食べかけのチョココロネを見る。この前に博物館で見たビカリアみたいなその形状は確かに特徴的で、たとえチョコが入っていなくてもとっさにはチョココロネだと思ってしまうのではないかという気がしてきた。というか、コロネという言葉になじみがなさすぎる。なぜかチョコが減っているのに高級感が増している気さえする。
「チョココロネな気がしてきました」
「だよね。じゃあ、チョコの入ってないチョココロネはチョコなしチョココロネだね」
ややこしい虫の名前みたいになってしまった。
「でも、実際、チョコの入ってないのなんて見たことないよね」
「まあ、はい」
チョコがないと多分美味しくない。それにこいつもきっと中に何かを入れるためにわざわざこんな形をしているのだろう。
「あ、でも、中にクリームが入ってるやつは見たことある気がします」
近所のスーパーの菓子パン売り場にはよく行くので、何となく見かけたことがある気がする。
「ほんとに?じゃあ、そいつはクリームチョコなしチョココロネだね」
変な新種まで生まれてしまった。
僕はチョコありチョコなしチョココロネを食べ終えてから、彼女の分も合わせて包装のごみをビニール袋に集めた。昼休みはもうほとんど終わっていた。
「私、空いてるときはだいたい屋上にいるからさ。良ければまた話し相手になってよ」
この先輩と関わるとまたあくせくすることになりそうだ。ただ、今日彼女とここで会って不思議と心は軽くなった気がする。まあ、単純に外の空気を吸うこともよかったのかもしれない。それにこの場所は、小学生の頃にあこがれた秘密基地を思わせる。屋上のことは周知されておらず人も少ない。天気のいい日にたまに来てみてもいいのかも知れない。
「わかりました。でもきちんと授業は受けたほうがいいですよ」
「別に私もいつもサボってるわけじゃないよ。今日はほら」
そう言うと、彼女ははるかに高くを見上げた。僕もつられて上を見ると、相変わらず澄み切った空が広がっていた。
「こんな日に、教室になんていられないでしょ」
彼女は空が好きなようだ。
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