第9話 いい名前だね
土曜日に外出したあとの日曜日は、僕は家から一歩も出ずに一人の時間を堪能した。二日しかない休日をどちらも外出して過ごすなんてことは、僕にはありえなかった。遅刻とかのイレギュラーなことがあって今週はなかなかできていなかったランニングもして、勉強もしっかり午前と午後に分けて取り組んだ。充実した週末になったと思う。以前の僕は、こういう一日暇な日があれば、ずっとアニメを見ながらゲームをして、そのまま気絶するように眠っていたが、睡眠の大事さに気付いてからはもうとてもそんなことはできない。
とはいえ、一日中勉強なんて集中力がとてももたないので、家の掃除をしたり久しぶりにアニメを見たりもした。昔は面白そうなものは何でも見ていたが、今はどうも見たいと思えるアニメが少なくなってしまっていた。アニメの流行とかの話ではなく、僕が変わったのだろう。今はとりあえず日常系のあまり展開の少ないアニメが見たいと思ってしまう。現実に疲れてしまっているのだろうか。
学校での昼休み、僕は一人校内をさまよっていた。
いつもは教室の端でパンをかじっているが、今日はなんだかそんな気分になれず、どこか一人でご飯を食べられるようなところがないか探しているのだ。ただ広い学校とはいえ、そんな場所はなかなか見つからない。それでも僕は、お世辞にもきれいとは言えない校舎を歩き続けた。
校舎を下から探索していき、上へ上へと探索範囲を広げていっていたら、結局、屋上に続く扉までたどり着いた。あまりきちんと見たことがなかったが、その扉には鍵みたいなものは特にかかっていないように見えた。もしかして開放されているのだろうか。そんな話はあまり聞いたことがないが。
僕は疑問に思いながらも、もうそろそろどこかで食べてしまわないと午後の授業に間に合わなさそうだったので、思い切ってその扉に手をかけた。ドアはすんなりと開いた。
外に出た瞬間気持ちのいい風が後ろに吹き抜けていった。空は清々しく晴れていて、少し冷たい風が心地よかった。ただ、そこにはおおよそ凹凸のようなものはなく、座って落ち着けるような場所は見当たらなかった。全体的につるっとした空間がただ広がっていた。
僕はあたりをもう少しうろうろした。屋上はどこを見ても何もないので、僕は入ってきたドアの方を調べることにした。ドアがあるところは真四角に出っ張っていて、某サンドボックスゲーで適当に造ったみたいなつくりになっていた。そこをぐるりとまわると、古びた梯子を見つけた。その梯子からさらに上に登れるようだった。正直、その梯子はどう見ても安全そうには見えなかったが、ここまで来たからには登ってみたいという気持ちも確かにあった。それに、僕は一人になれる場所を探していた。この上の空間まで行けば、いよいよ他に立ち寄る人なんていないのではないだろうか。
僕はこの梯子をのぼってみることにした。梯子を登るなんて久しぶりだったから、少し緊張したが、さびた感触を手で感じながら、慎重に足をかけていった。
登りきったところで、僕の期待は裏切られ、僕は人と目が合った。それもなかなかトリッキーな目の合い方で、方向的で言うと上下だった。つまり、寝転んでいる人と目が合ったのだ。そして僕は彼女に見覚えがあった。
「あ、雨の人」
先に向こうが口を開いた。僕から言わしてみれば、彼女こそ「雨の人」という印象だった。雨の中、傘もささずに歩いていた、大人びた雰囲気のあの少女だった。彼女は以前、地面に寝ころんだままでカバンを枕に頭をこちらに向けている。組んでぶらぶらさせている脚元を見ると、僕のものとは色の違う上履きを履いていた。確か、2年生のカラーだったと思う。
「君もサボり?」
「いや…、昼ご飯を食べる場所を探してて」
「あれ?もう昼休みなの?」
どうやら、彼女はここでしばらくサボりを決め込んでいたようだ。この前も遅刻をまったく気にしていないようだったし、もしかして不良なのだろうか。彼女の気の抜けた様子からは全くそんな風には見えない。
考えた末、僕は彼女の位置づけをひとまず怠惰な人、とすることにした。
「それなら、ええーっと、名前なんていったっけ?」
あの時はいろいろ非常事態だったし、お互い名前も名乗っていなかった気がする。
「上野道です。一年生です。」
僕は簡単に自己紹介をした。
「私、
何をよろしくされたのかはわからないが、社交辞令という奴だろう。特に気にしないことにした。
「みち、ってどう書くの?未だ知らず、って書いてみち?」
「いや、道の方のみちです」
僕はイントネーションだけでなんとか伝えようと試みた。
「ロードの方?」
「道路の方です」
「へー。いい名前だね」
いい名前、なんて現実では初めて言われたが、というか寝ころびながらそれを言うのも見たことない場面だったが、悪い気はしなかった。フルネームで書くと五街道の一つみたいになるのが玉に瑕だが、自分の名前は気に入っているのだ。
「昼ごはん、食べる?時間、もうそんなにないでしょ」
今更別の場所で食べます、とも言いづらいし、そもそもそんな時間もない。1人になる場所を探すという目的は完全に失敗してしまったが、このいい天気に免じて僕はその任務はまたの機会にとっておくことにした。
「私もなんか食べよ」
彼女がそういった瞬間、僕がドアを開けた時と同じような風が、むしろそれよりも強い風が吹いた。突風は意思を持ったように僕らを襲い、そして、地面に寝転がっている先輩のスカートをまくり上げた。
吹き去った風は沈黙を残していった。
「見た?」
彼女はスカートを抑えながらそう尋ねた。
「見てないです」
僕はとっさに目をそらして答えた。眼前には晴れ渡る空が広がっていた。一瞬見えたそれもちょうどこの空と同じような色をしていた。
「まあ、いいや」
そう言うと、彼女は起き上がって、枕にしていたカバンをあさり始めた。僕も少し離れたところで胡坐をかいて、ビニール袋からパンを取り出した。
「あ、タオル」
彼女は唐突につぶやいた。
「これ」
彼女が下を指すと、そこには確かに僕がこの前の雨の日に渡した派手な柄のタオルが敷かれていた。彼女はその上に寝ころんでいたのだ。
「うーん」
彼女は少し悩むような仕草をした後、そのタオルを拾い上げ、体の上で丁寧にたたんで見せた。
「よし、ありがとうございました」
僕は一応文句を言ってもよかったかもしれないが、おとなしくそれを受け取ることにした。もはや昼休みもそこまで時間は残されていないのだ。一応彼女なりに悩んだ末の結論のようではあった。
受け取ったタオルはそばに置いておいて、僕はメロンパンをかじりはじめた。彼女は自分のカバンをがさごそあさっている。なんだかその時間がやたら長い気がする。
「うん」
カバンを閉めて何か納得したようにうなづく。
「食べるものないや」
どうやら彼女はとんでもなく怠惰な人のようだ。
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