第8話 アンモナイトも三葉虫も
午前の展示を自由に見て回る時間が終わり、僕は昼ご飯を食べていた。昼ごはんといってもそれはとても簡単なもので、具材を米で包んでノリを巻いただけのものだった。いわゆるおにぎりだ。具は鮭と、ウィンナーと、鮭だ。もはや塩辛ければ何でもいいとさえ思っている。僕はそいつらを博物館の外にあるやけに広い広場の端っこで食べていた。少し遠くには円形のステージに客席が広がった、ドームかコロシアムみたいな場所があった。そこでは何人かの男子が騒ぎながらコンサートを開催していた。やはり人間は群れると悪影響があるのかもしれない。
僕は今はこうして一人でおにぎりをかじっているが、それでも集団に溶け込む努力は一応しているつもりだった。クラスの中で浮かないような絶妙な立ち回りを目指しているのだ。僕のような何もとがったところがない人間は型にはまることでしか、評価されない。はみ出すような勇気はない。僕は孤立したいわけではない、ただ一人でいたいだけなのだ。それは紙一重だが、確かに違う。孤立とは周りに誰もいないことであり、一人でいるということは周りと距離があるということだ。前者は質的で、後者は量的だ。つまり、前者はいるかいないかの0か1で、後者は他者との距離で、段階的だ。僕はどうしても人と距離をとってしまう。以前はそんな僕の性質すらも努力で変えられるのではないかと考えたこともあったが、どうもそうではないという気が今はしている。
午後からは展示を見るのではなく、何かしらの体験をするらしい。詳細は分からないがグループで参加するらしいので、また待鳥さんと遭遇することになるだろう。僕は少し前の自分の行動を思い返した。
一緒に回る誘いを簡単に断りすぎただろうか?
僕はひとりで回りたいという自分の気持ちを優先してしまった。あんな風に断ってしまえば二度と何かに誘ってはくれないかもしれない。そうすればまた僕は一人になる。でも、僕はそれは自然なことだと思う。僕には人との関係を維持する機能が十分に備わっていない。そして、それを努力してどうにかしようというモチベーションも今はない。僕には、そんな余裕はない。せき止めるものもなければ、たまることもなく流れ、元の形に循環する。人間関係も自然と同じなのだ。それが正しい距離なのだ。
僕は彼女のあの誘いは冗談だったということにした。そうすることで少しの罪悪感を解消した。
午後の体験学習が始まった。石膏で化石のレプリカを作ってみる、というものだった。化石を柔らかいすぐに固まる型取り材で型を取り、そこに石膏を注いでレプリカを作るらしい。
簡単に説明を聞いてからグループに集まった。待鳥さんがいたが、いつものように声をかけては来ず少し離れたところでこれからレプリカを作る化石を選んでいた。その表情はいつになくこわばっていて、やはりさっきの対応はまずかったかもしれない。それとも、そんなのはおごりすぎで、僕の存在など彼女にとっては些末なもので、全く関係のないことで腹を立てているのかもしれないと。ひとまず僕はこれ以上気にしないことにして、三葉虫の化石を手に取った。
グループの作業スペースに集まってからも、待鳥さんは黙々と作業を進めていた。厳密には取り組んでいたが、進んではいなかった。普段は英語を教えてもらっているので、できるところしか知らないが、どうやらこういう工作系は苦手なようだった。型取り材は混ぜるとすぐに固まるので、待鳥さんは繊細にそれに触れることができず、少し破れたり、穴が開いたり、周りはできても中にしっかり型がでなかったり、失敗を繰り返しているようだった。これ以上失敗すると、彼女の分の型材がなくなりそうだったので、僕はこっそり自分の余った分を彼女の前に差し出した。待鳥さんはアンモナイトに夢中なので、簡単にばれずに移動させることができた。
もう何度か彼女は失敗を繰り返し、いよいよ僕の分の型材までなくなりそうだったので、やむを得ず僕は彼女に話しかけた。
「僕が同時に少し混ぜて小分けにしとくからそれで穴とか破れたところを修繕したらいいよ」
「上野君…!」
彼女はうれしそうな顔をしたが、すぐに顔を左右に振り、型材で汚れた左手で僕を制止した。
「いや、私、施しは受けないよ。私ね。大人の女性になるって決めたの」
「…そうなんだ」
ちょっと唐突でよくわからない。
「展示見ながらずっと喋ってたら、友達から、もう少しおとなしくしなさい、って。そんな子供みたいな叱られ方されたら、さすがに私も反省して…」
反省した結果がさっきの様子だったなら、それはもうなおさら子供っぽい気もするが。こういうことはたぶん言わない方がいいのだろう。
「性格なんて無理に変えられるものじゃないし、無理しない方がいいよ」
「そうかなー?」
そんなこんな言っている間に、周りの作業のペースから置いて行かれてしまいそうだ。
「急がないとまずいし、さっさと片付けよう」
「わかった。ふー、私の集大成、お見せするよ」
穴は開かないまでも、少し薄くなってしまったところがあったので、後から渡した型材で補強して何とか待鳥さんの集大成は形になった。その見た目は少しいびつだった。
「それ、上野君の?すっごいきれいだね」
「あー、ありがとう」
僕の型は確かにきれいな楕円形で化石の形もよく出ている。我ながらうまくいったと思う。こういうのは得意なのだ。
「ありがとうね。上野君の助けがなかったら危なかったよ」
「いつもお世話になってるから」
その後の作業はスムーズに進んでいった。その間も待鳥さんは大人の女性になることについて、あきらめきれないようだった。
「ねえ、私たちって、まだ子供だよね」
「まあ、そうだね」
15,16歳ならそう言っても世間からは怒られないだろう。
型の石膏を流し込む部分に、くっつかないようにスプレーでコーティングをする。
「じゃあ、いつから大人になるのかな」
「そんなのは、わからないんじゃないかな」
きっとこの中の誰も、なんならアンモナイトや三葉虫も、自分がいつ大人になるなんて、もしくはなったなんてわからないだろう。
「それに大人になったって、案外、何も変わらない気もする」
「えーっ、そうなのかなあ」
石膏を水と混ぜて、柔らかくなったものを型に流し込む。底に残ったものもヘラで集めて、余さず型に入れる。
「一度そうなった性格は、簡単に変えられるものじゃないし」
振動するだけの台において、石膏が均等に隙間なくいきわたるようにする。
「あ!」
突然、待鳥さんが大声を出した。
見ると、型から化石を外したあとのようだった。
「ちゃんと固まってるかたしかめようとしたら、ちょっと中へこんじゃった」
確かに、待鳥さんの型のアンモナイトは一部ぎざぎざしている模様がなくなって、クレーターのようにへこんでしまっていた。きっと石膏を入れるとそこだけ出っ張ってしまうだろう。
「もう時間もないし、このまま作るしかないね」
「そうだね」
彼女は残念そうにそう言った。
石膏が固まった後、少し色塗りをして今日は終わりだった。僕は三葉虫の色なんて全く想像もつかなかったので、無難に全体を黄土色で塗って化石っぽくした。最後にビニールの袋が配られてそれに入れて持って帰るよう指示された。持って帰ってどうすればいいのだろうか。
ふと待鳥さんの方を見ると、無事に作り終えたレプリカを袋に入れているところだった。彼女のアンモナイトは全体は薄い色で塗られていて、でっぱた部分だけ明るい色で塗られていた。
「見て、帽子にしたの」
それは帽子というのは少々強引だったが、彼女なりのアイディアなのだろう。というか、アンモナイトの本来の姿を考えると、化石になっている部分はもともと帽子みたいなものじゃないだろうか。
僕は思わず、ダブル帽子…?と呟いてしまった。
彼女はそれを聞こえたのか、初めはきょとんとしていたが、僕の意図が伝わったのか、突然吹き出した。
「そうだね!ダブル帽子だね!」
彼女はそう言って、目を細めて笑った。
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