第7話 申し訳ないけど、遠慮しとく
「あなたを、殺します」
勝手に人の所有物の中身を見たのだ。明らかに僕が悪い。僕は正直に謝罪することにした。
「ごめんなさい」
「謝る前にそのノートを閉じてこちらに渡してください」
間髪入れずに彼女はそう言った。
僕はおとなしく彼女の言うことを聞くことにした。
「まさか、私を脅してあんなことやこんなことを…ああ、お母さん、お父さん、ごめんなさい。私はとんでもない過ちを…」
なんだかぼそぼそ言っているが聞こえないふりをした。どうやら彼女は想像力豊かなようだ。
これ以上面倒なことにならないよう、僕はすばやく彼女のもとまで駆けつけ、卒業証書を授与するみたいに丁寧に両手でノートを彼女に差しだした。彼女は南米のすりみたいな速さでそれをカバンの中にしまい込んだ。彼女から発せられている圧はすさまじいが、近づいてみると、彼女は初め抱いた印象よりもよっぽど小柄だった。
「私は、1年A組の
ノートを回収できたことで少し落ち着いたのか、唐突に名乗ってきた。それとも戦国武将的なノリで、これから一戦交えるつもりなのだろうか。
「僕は、1年D組の上野です」
僕はそう、名乗りを上げた。
「1年D組…、棟が違うからあんまり見かけないのかしら」
秋南さんは僕の顔をじろじろ見た。確かに、1年の教室は3クラスずつで別々の棟になっているからその推論はおおむね正しいと思う。ただ、棟が同じでも僕のことはあまり見かけないと思う。基本クラスにこもりきりだから。
「とりあえず、上野さん。このことは他言無用でお願いします」
「このことって、小説を書いていること?」
僕がそういうと、彼女はきっと僕をにらんだ。どうやら僕は余計なことを言ってしまったようだった。
「もし誰かに話しているのがわかったら、本当に…ですからね」
彼女はまだ少し興奮していて、肝心なところがうまく聞き取れなかったが、僕に向けられた鋭い目つきだけで威しには十分だった。僕は強くうなずき、彼女はそれを見て鼻を鳴らしながらまた図書室から去っていった。
おそらく、当番は曜日である程度決まっていたはずなので、来週また顔を合わすことになってしまいそうだが、僕はもうあれこれ考えるのはやめてその対処は来週の僕に任せることにして帰宅した。
進化、淘汰、生存競争、どれもその実態よりも大げさに聞こえる言葉たちだ。本当に僕はそれらの結果としてここに立っているのか、疑わしく思う。僕は博物館の進化についてのパネル展示を前にしてそんなことを考えていた。だんだん背骨が伸びていく進化の図を見ていると、昔の自分を思い出してしまう。僕はたぶんこの真ん中の奴みたいな感じだったと思う。
もし、人との深い関わりを避ける遺伝子があるとするならば、それは適応的と言えるだろうか。少し先に、4人ほどで一緒に展示を見て回るクラスの男子の姿が見えた。彼らは巨大なクジラの骨の下をくぐっているところだった。今この瞬間、あのクジラの骨が落下したら、彼らはまとめて一網打尽にされることだろう。そして、1人で文字だけの展示を眺めていた僕は助かるのだ。そう思うと、1人でいることは生物全体としてまあまあ適応的なのかもしれないと思った。集団でリスクにさらされることを避けられるからだ。ただ、心の交友ができないで、どんな風に子孫を残すのか、とも考えた。でも、この背の曲がった人類たちと、現代の人類では、子を残すことの意味はずいぶん違うようにも思えた。改めて考えると、恋愛という非効率的な過程を経て家庭をなす現代の人類の方が、生き残る気のない奇妙な生態であるように感じた。それとも、僕の恋愛観の方が間違っているのだろうか。案外、世の男女はそこまで運命的なものを感じないまでに、流されるまま一生を誓っているものなのだろうか。僕のような、人の心を解さない人間は、やはり淘汰されるべきなのだろうか。
「上野君!」
突然、後ろから名前を呼ばれて僕は車道に飛び出してきた狸みたいに動けなくなってしまった。
「上野君ってば」
振り返ると、それはやはり待鳥さんだった。彼女は僕の思っているよりも近くに立っていたので、僕は少し後ずさりした。
「どうしたの?」
「うーん、どうもしないけど。後ろ姿が見えたからなんとなく声かけてみた」
昨日の勉強会のときには、楽しみすぎて眠れなかったらどうしよう、と信じられないことを言っていたが、無事に起きることができたようで、数分前にクラスの他の女子と一緒に展示を回っているのを見かけていた。でも、まさか話しかけられるとは思っていなかった。というより、僕は普通に展示に夢中になっていた。待鳥さんほどではないが、僕もまあまあ博物館というものが好きな方の人間らしい。
「どうせなら、一緒に回る?おんなじグループなんだし」
待鳥さんは僕のことをかわいそうに思って気を遣っているのだろうか、とも思ったが、彼女の態度はそういうものでもないのだ。おそらく、ただ純粋に心から僕の生態が謎すぎて、知りたいと思っているようなのだ。きっと彼女には僕がカモノハシみたいな謎多き生物に見えているのだろう。ここ最近の言動や行動からはそういった感覚が僕にはあった。そして、それはただの親切心よりもよっぽど厄介なものでもあった。
「申し訳ないけど、遠慮しとく」
「えーっ」
彼女は大げさにリアクションしたが、博物館ということを思い出したのか、すぐに両手で自分の口をふさいだ。
展示を見ることは楽しいので、マイペースに楽しませてほしかった。断れてもつきまとうほど彼女は図々しいわけではないようで、納得いかなそうにしながらも仲のいい女子たちの方に戻っていった。その後ろ姿を見て、初めて彼女のポニーテールが今日は少しウェーブがかっていることに気が付いた。そのことは彼女にいつもより大人しそうな印象を与えていた。
ぼんやり展示の中を歩いていると、僕は鉱物のコーナーにたどり着いていた。フロア全体の照明は少し暗めになっていて、鉱物一つ一つが小さな白い光でハイライトされている。花形はやはりきらびやかないわゆる宝石たちだった。赤や黄色や緑や青や、色とりどりに光を反射するそれらの鉱物は確かにきれいだが、どこか鼻につくような心地もした。
一通り見て回って次の展示に移ろうとしたとき、少し離れたところにある一つの物体に目が留まった。そこそこの大きさの赤褐色の結晶で、複数の片が集合したような形をしていた。展示名には「砂漠の薔薇」と書かれていた。その説明文には「砂漠で発見される。その組成は明らかになっているが、なぜこのような形に結晶するかはわかっていない。」とだけ書かれていた。
僕はしばらくその物体を観察していた。確かにそれはまさに砂でできたバラ、といった見た目をしていた。一片一片の結晶は花弁のように少しずつずれながら集まり、できた花のような塊がさらに集まり大きな結晶となっていた。それはとても美しかった。なにより、「砂漠の薔薇」というネーミングは僕の中二心をくすぐった。その未解明なところにも惹かれた。
僕はふと発表のことを思い出した。発表のために一応資料として写真を撮っておくことにした。僕は慣れない手つきで、その魅力が半分くらいは伝わりそうな出来になるまで何度か写真を撮った。
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