第6話 さよなら、ラブアンドピース

 雨の中、遅刻しかけて異世界に行きかけた翌日、僕はいつもどおりの学校生活を享受していた。

のんきにしている間に中間テストだって近づいてきてしまうし、僕は勉強に集中しなければならなかった。しかし、今日はそんな僕の焦りを助長させるような時間割の日でもあった。木曜の午後からは「総合的な探求」の時間なのだ。大げさな名前がついているが、大概は何かを調べて発表するの繰り返しでたまに校外学習的なことをするくらいの、旧時代的な詰め込み学習に異を唱えるように始まった、いわゆる自発的な学習を促すような授業だ。僕は正直、この授業が苦手だ。僕の中で勉強は、反復の、それまた反復の、もひとつ反復、みたいな感じで、コツコツと毎日繰り返し同じような問題を解き続けることなのだ。そこに自発性とか、創造性とか、そういう抽象的なものを求められると困ってしまう。社会に出た時には、こういう経験をしておいてよかった、と思うものなのだろうか。はなはだ疑問だ。


 特に今日からはグループワークで授業が進んでいく。当然、僕はグループワークを苦手としている。他人の意見を理解することはまだしも、自分の意見を伝えることが特に苦手なのだ。まあ、ここにいるのはおおよそ自分よりも優秀な人間ばかりなので、自分の意見が言えなかろうと成績的に問題はないだろう。若干の息苦しさに耐えればそれで済むのだ。


 普段の教室ではない少し広めのコンピュータ室に筆記用具だけをもって移動すると、前のホワイトボードにグループ分けが書かれていた。僕の苗字はだいたい名簿の上の方に載るので見つけるのは容易だった。僕のグループの番号は7だった。別にそれについてなんの感情を抱くこともなく、僕は機械的にそのグループが集まる教室の後ろ側の席に向かった。


「上野君!」


 ここ数日ですっかり聞きなれた声が聞こえた。声がした方向に目を向けると、そこは僕が向かうべき場所だった。


「おんなじグループだね。よろしくね」

「うん、よろしく」


 さすがに話しかけられているのに少し離れたところに座るのも変かと思い、僕は待鳥さんの隣の席に座った。教室の椅子とは違うコロコロがついたタイプの椅子だ。なぜパソコンを触るための部屋のはずなのに、必ずと言っていいほど椅子が動くようになっているのか僕にはよくわからない。中学のときもこんな椅子だった気がする。

 ちらっと横の席を見る。相変わらずきれいなポニーテールを結んでいる。自分の名前とグループの番号しか確認しなかったので、待鳥さんが同じグループだということに気付かなかった。僕は安心感みたいなものを覚えそうになったが、待鳥さんの言動はたまに突飛なのできちんとグループとしてまとまるのか不安にもなった。

 グループは4人グループで他の2人ももう席についているようだった。僕はその2人について、特筆できることは何もなかった。まもなく、チャイムが鳴り授業が始まった。











「じゃあ、今からは事前学習の時間な。遊ぶんじゃないぞー」


 グループワークの詳細は、今週の土曜日に自然史博物館にクラス全員で行って、気になる展示についてリサーチした後グループで発表を行うという、まあよくある内容だった。


「博物館だって、ワクワクするねー」


 隣にいる待鳥さんが話しかけてきた。おそらく彼女のことだから本気でワクワクしているのだと思う。なかなか思えることじゃない。


「興味ありそうなものあるの?」

「わかんないけど、化石とか?たぶんあるよね」


 詳しいわけではないようだ。


「上野君はどうなの?興味あるもの、ありそう?」

「僕は、そうだな、動物とかは好きだけど」


 動物は好きだ。なぜならあまり物事を深く考えていないからだ。人は何を考えているかわからないが、食べ物のことばかり考えていそうな動物は接していて安心できる。コミュニケーションがシンプルだ。


「へー、かわいいもんね」

「そうだね」


 好きな本当の理由は言わない方がいいだろう。


「ラブアンドピース、みたいな犬種、いなかったっけ」


 待鳥さんが突然考え込んだと思ったら、そんなことを聞いてきた。


「もしかして、ラブラドールレトリバーのこと?」

 ラブアンドピースは犬種じゃなくて、思想だ。


「そうそれ!昔、近所の家の庭に居て、可愛かったなー。いつの間にかいなくなっちゃんだけどね」


 待鳥さんは目を閉じてラブアンドピースとの思い出に浸っているようだった。




















 放課後には、委員会の仕事があった。本当は委員長か風紀委員をやりたかったのだが、怖気づいて立候補できなくて結局なったのは図書委員だった。正直、僕には読書の習慣はないが、内申点のためにも委員には入っておきたかった。中学生の頃は調子に乗って海外の小説を読んだりもしていたが、今では登場人物の名前一つさえ出てこない。


 今日の仕事は図書室の受付だった。隔週か、毎週くらいのペースで当番制で仕事の日が決まっている。といっても仕事内容はカウンターで座っていて本を借りる人が現れたら、そのバーコードを読み込むだけの簡単なものだった。放課後に時間を奪われる形になるが、人が来ない間は勉強や読書をしていてもいい、というルールになっているので、そこまで悪いものでもなかった。


 図書室につくと、カウンターにはすでにもう一人の図書委員が座っていた。上履きの色を見るに僕と同学年のようだった。いかにも本を読みます、といった風貌の長いストレートの髪と眼鏡の少女だった。そして、実際にじっと本を読んでいた。僕は邪魔しちゃ悪いな、と思ったのでこっそりと後ろの方からカウンターに回りもう一つの席に座った。他にすることもないので僕は勉強を始めた。

 最近の僕はあまり勉強に集中できないでいた。習慣にはなっているので勉強時間は変わっていないが、時間の進みが遅く気がそれているのを感じる。不安や焦りが、頭痛や不眠となって表れているのも大きい。それでもやるしかないのだ。他に何かやりたいこともできることもない。今はただ、勉強を続けることしかできない。気を抜いているとすぐに定期テストは近づいてきてしまうのだ。


 僕の集中はそこそこだったが、放課後の図書室を包む平穏な空気は僕の心をいくらか落ち着かせてくれるような気がした。気づけば本を借りに来る人もそれほどいないまま、午後6時前を示すチャイムが鳴った。それは図書委員の仕事の終わりを示すものでもあった。チャイムが鳴ると文学少女はすぐに本をパタッと閉じて、それをカバンに収めて去っていった。それを見て、僕も広げていた勉強道具を片付け始めた。消しかすを手で掃いて集めて近くのごみ箱に捨て、僕も帰宅しようと荷物をもってカウンターから出ようとしたその時、先ほどまであの文学少女が座っていたところのカウンターにノートが一冊、窓から差し込む夕日にさらされていることに気が付いた。誰もが使うようなありふれたノートだったが、放課後の図書室の雰囲気がそれを特別なもののように見せていた。


 その特別感にひかれたのか、僕は何となくそのノートを手に取って中を見てしまった。その中身は、これから死ぬ人間の名前が書かれているとかではなく、手書きした小説だった。その内容はそのページだけでは詳しくはよくわからなかったが、明らかに何かの授業をまとめたようではなく、物語が書き記されているようだった。

 そのときだった。図書室の外から足音がものすごい勢いで近づいてきて、図書室のドアが爆発したみたいに開いた。そこにいたのはさっきの文学少女だった。

 そして、彼女の眼鏡の奥の瞳は僕と、僕の手元の開かれたノートを捉えた。そして、彼女は顔を真っ赤に染めながらゆっくりと口を開いた。


「あなたを、殺します」


 放課後の図書室からも、ラブアンドピースはいつの間にかいなくなってしまったようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る