第4話 もったいないでしょ?

 経緯は多少妙だったが、とにかく僕は待鳥さんと友達になった。だからといってこの一週間の僕の生活に特に変わったところはなかった。クラスメイトだから、朝に顔を合わせた時にあいさつを交わすくらいはあったが、そのくらいだった。僕は相変わらずいつも一人で成績について思い悩んでいたし、購買のパンではなく自分でスーパーで買ってきたパンを食べていた。僕の頭痛は収まらないし、朝は重たい頭のままランニングを続けていた。何も変わりはなかった。

 この一週間、なんとなく待鳥さんを眺めていると彼女はやはり友達が多いようだった。活発で、明るくて、好奇心旺盛で、誰とでも分け隔てなく接する。幼い、ともとれるような性格のようだった。僕はそんな彼女と友達になったわけだが、それはやはりそんなに気にしなくてもいいことなのだと思う。


 友達という関係が創作の中で描かれているほど特別な意味を持たないということには、僕はだんだん気づいていた。卒業するときは泣いたり笑ったり肩を組んだりして騒いでいたのに、卒業した後、ピクリとも動かなくなった中学のクラスチャットを見て僕は困惑したものだった。僕の目には彼らの間には確かに友情のような何かがあるように映った。それでも卒業した後はそれぞれみな新しく友人関係を作り直して、プロフィール画面はすっかり新しくなっている。僕には友情というものがよくわからない。

 思えば、友情という言葉は関係を表すというより、感情を表す言葉のように思える。友をおもう情、と書くからだ。そう思えば、なんだか少し腑に落ちる気がした。友情は、誰かと誰かの間にあるのではなく、結局一人一人の心にのみ存在しうるのだ。











 帰りのクラスルームが終わり、皆が一斉に部活動や帰宅を始めた。僕もその流れに自然に乗って帰宅しようとすると、後ろから突然「上野君!」と声をかけられた。振り返ると、待鳥さんがいた。今日もポニーテールを結んでいる。ヘアゴムには編み物のどんぐりがついていた。


「勉強、教えるの今日だったよね?」


 日付をよく見ると確かに今日は金曜日だった。僕は一週間の早さに驚いたが、今はとりあえず待鳥さんとの会話に集中するべき場面だと切り替えた。


「そうだった。今日はよろしくお願いします。」

 僕はできるだけ表情を緩めてそう言った。


「上野君、帰ろうとしてなかった?初日なんだから気を張らないとダメだよ」

 ジトっとした目つきで見てくる。


「そんなことないよ」

 僕は目をそらしながら嘘をついた。嘘も方便だ。ん?初日?


「初日って?」

「今日が教える初日ってことだよ?え、そうだよね」


 まさかあの約束は毎週勉強を教えるという意味だったのだろうか。いや、この様子を見るとそうらしい。ただ、これで聞いて勘違いだったら嫌だし、ひとまずうやむやにしておくことにしよう。


「ああ、うん。そうだね。それじゃさっそく教えてもらってもいい?」

「もちろん!」


 そういうと、彼女は僕の前の席に横向きに座った。僕は自分の席に座って勉強の用意を始めた。教室にはまだ何人か人が残っていたが、案外僕らには無関心なようだった。











「文法とかは中学のときとさほど変わってないからさ、きっと単語とか熟語が難しいのがよくないんだろうね。実際、文法はよくできてるし」


 ちょうど学校の授業と同じくらいの時間、僕は授業でやった長文問題について質問に答えてもらった。意外なことに待鳥さんの指導は非常にわかりやすかった。単語とか熟語の覚え方はかなり独特で、擬音交じりに必死に説明してくれていたが、正直よくわからなかった。ただ、英語そのものに対する理解、みたいなのがしっかりしているように思えた。教科書や問題集に書かれている英語よりももっと、はっきりした英語の輪郭を彼女はとらえているような気がした。僕は何となく気になって質問をした。


「なんで、英語が得意なの?」

「英語が好きだから」

「なんで、英語が好きなの?」

「だって、英語ってたくさんの人が話してるでしょ?英語を勉強したら、今よりもっとたくさんの人の話が聞けると思うんだ」

「なるほど」


 僕は真剣になるほど、と思った。彼女のモチベーションは僕にはまるでない発想だった。好きこそものの上手なれ、と言うが、その点において僕は彼女に決してかなわないような気がした。


「上野君は何か好きなことはある?」


 自然に僕への質問パートが始まってしまった。僕はその回答に悩んでしまう。アニメやゲーム、ライトノベルは今でももちろん好きだが、以前よりは触れる機会がめっきり減ってしまった。勉強に集中できないからだ。ただ、それ以前に僕にはそれらに対する情熱みたいなものは初めからそこまでなかったようにも思える。一人で楽しむことができるということが最も大切で、もしかしたら僕は心の底から好きだったわけではないのかもしれない、と。


「あんまり、ない、かな?」

 言った後に、僕は好きなものがないなんてそんなつまらない人間がいてもいいのだろうか、という風に思ってしまう。


「そうなの?でも私、上野君の好きなもの、一つ知ってるよ?」

「ほんとに?」

 僕には見当がつかなかった。


「メロンパン、でしょ?」

 彼女は謎のしたり顔でそう言った。


「そうなの?」

「いやだって、いっつもメロンパン食べてるよ、しかもいろんなやつ」


 思い返すと、確かにそんな気がしてきた。学校ではやけにメロンパンを食べているな、と。スーパーの菓子パンコーナーの正面に置かれているから、僕はそれを習慣的に手にしているだけのつもりだった。ただ、はたから見ると確かにメロンパンが好きなやつに見えてもおかしくない。


「普通のメロンパンのときもあるし、チョコチップがついてるやつのときもあるし、あ!そういうえば、少し前に美味しそうなの食べてたよね。ホイップメロンパン、みたいなやつ!」


 僕は自分が食べたものを思い出すのが苦手だったが、ホイップメロンパンのことはよく覚えていた。それは僕に悪い印象を残していたからだ。


「あれはホイップメロンパン、って名前から想像するほど甘美なものじゃなかった」

「そうなの?美味しそうなのに?」

「ホイップが少なくて一口じゃホイップまで届かなかったんだ」

 

 あの瞬間のことを思い出す。


「あれはすごくがっかりした」


 なんならもはや悔しかった。


「でも、それってホイップがないってだけで、ただのメロンパンじゃないの?」

「…たしかに」


 突然の冷静な指摘にぐうの音も出ない。言われてみれば、それはただのメロンパンだ。いつもはおいしく食べているはずだ。


「上野君、それって…」

 待鳥さんは真剣な面持ちでこちらを見た。


「メロンパン差別だよ!!」


 そして、よくわからないことを言った。


「どういうこと?」

「だって、そのメロンパンはホイップの近くにいただけなんだよ?がっかりしたなんてかわいそうだよ」


 確かに、生まれた土地が違えば、僕か別の誰かが美味しく食べていたのかもしれない。この場合は生まれた生地か。


「メロンパンはみんな美味しく食べられるべきだよ」

 待鳥さんは、力強くうんうん、と頷いた。


「待鳥さんの言う通りだ。僕はもう差別なんかしない。これからはどんなメロンパンもおいしく食べるよ」

 僕は自分が何を言っているのかよくわからなかったが、周りにはもう他に人はいなかったし、僕は気にしないことにした。


「それに…」

「外側だけでがっかりしてたらもったいないでしょ?」

 彼女は少しはにかんでそう言った。










 しばらくして、待鳥さんは習い事に向かった。駅まで一緒に行く?と聞かれたが、僕は人との一対一の会話にすっかり疲れてしまっていたので、もう少し一人で勉強して帰るとその誘いを断った。別れ際に、「また来週も頑張ろうね!」と当たり前みたいに言っていたから、本当に毎週この会を開くつもりらしい。ただ、僕としては案外、待鳥さんの指導に手ごたえを感じた。本当に成績を上げられるかも知れない。

 会話は楽しいと言えば楽しいが、1人の平穏な時間は減ってしまうし、とても疲れる。この疲れは体育で知らないスポーツをやった感覚に似ていた。普段使わない筋肉が悲鳴を上げているのだ。この場合は精神の疲れだが、きっとプロセスは一緒だと思う。


 本当は、ホイップメロンパンは中身だって安っぽいホイップでそんなに美味しくはなかったが、そのことは最後まで彼女には言えなかった。

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