第3話 いつも一人で何を考えているの?

「私と友達になってくれませんか!?」


「…は?」


僕は気の利いた言葉を発することに失敗した。確かに僕は友人関係の築き方を知らないが、おそらく世の友人関係がこんな風に発生するものではないということくらいはわかる。僕は彼女の真意を聞き出すことにした。


「どういうこと?」


「そのままの意味で!ぜひ!友達に!」

 彼女は目を輝かせてそう答えた。


 僕の脳は明らかにエラーを吐き出していて、処理が止まってしまっているように感じられた。慣れない事態というか、こんなのはあり得ない事態だからだ。


「…ちょっと考えさせて」

 そう言うと、彼女は一瞬目を丸くしたが、こくんとうなずいて、僕の次の発言をおとなしく待ってくれた。


 なぜそんな要求をするのか僕は考えなくてはいけなかった。

 誰でもいいから友達が欲しい?いや、確か僕の記憶では彼女はむしろ友達が多いタイプだった気がする。1人でいるのも今日初めて見たくらいだ。ならなんだ?美人局的なやつか?こんな田舎の公立高校にそんなものが存在するのか?購買のパンは若干高いからわざわざ家の近くのスーパーで菓子パンを買って持ってきているような貧乏くさい奴を狙うだろうか。いや、そんなこと誰も知らないか。


「あの…」

 さすがに考えすぎたのか、困ったように眉を寄せながら口を開いた。


「嫌ならほんとにいいの。突然ごめんね。君のこと知りたいってだけなの。」

 彼女はややうつむきながらそう言った。


 僕にはそれが本当のことなのかわからなかった。そして、どう答えていいのかも。ただよく考えると、僕にとっては別にどっちだっていいような気がした。うんと言おうが、いいえと言おうが、何も友達なんて堅苦しい契約関係というわけではないのだ。そこに何ら義務は生じない。逆に言えば断ることの方がリスクをはらんでいるように思われた。このよくわからない提案を断ることで僕はクラスで過ごしづらくなることを想像した。どのような展開で僕の立場が脅かされるのか、その筋書きは皆目見当もつかなかったが、人間関係なんて得てして皆目見当のつかないものであるようなのである。僕が押し黙ってあれこれ考えていると、また彼女の方から口を開いた。


「なんで誰かに話しかけられた時には愛想よく話してくれるのにずっと一人でいるんだろうとか、なんで体育の持久走のとき息を切らさずに走れるんだろうとか、なんでいっつも購買のパンじゃなくて自分で買ってきたメロンパンばかり食べてるんだろうとか。一つ気になりだすと、ついつい目で追っちゃって、また気になることが増えて、このままじゃキリがないから直接話を聞きたい!って思ってたら、偶然こうして二人になったから。今しかない!って咄嗟に話しかけようとしたら…ああなっちゃって…」


 いろいろ気になるところはあるが、とりあえず僕のことが知りたいというのは本当のようだった。ここまで話していて、どうやら悪い人ではなさそうだし、この場を収めるためにも僕は友達になると宣言したほうがよさそうだった。僕は彼女と友達になることに決めた。


「わかった。友達になるし気になることは聞いてくれていいよ」

 僕は照れ臭さを押し殺してそう言った。


「ほんとに!?ありがとう!」

彼女は嬉しそうにそう言った。


「ただ、今日はもう帰りたいから一つだけにしてほしい」


「分かった。えーっと、じゃあ、よく物思いにふけってるみたいだけど、いつも一人で何を考えてるの?」


 いつも一人で、は改めて言われると自分があわれに思えてくる。文章のつなげ方がよくないと思う。僕だってたまにはクラスメイトと会話もしている。それはともかく僕は正直に答えることにした。


「最近は成績が芳しくなくて、そのことばかり考えてる。中学まではうまくいってたんだけど、高校に入ってからは落ちていく一方だ」

 いけない、少し深刻に話過ぎたかもしれない。ほとんど初対面の相手に、本当の悩みなんて言ってしまうと引かれてしまうと聞いたことがある。僕は恐る恐る、彼女の顔をのぞいた。彼女は僕のテンションに引っ張られたのか、悲しそうな表情をしていた。


「そっか…」


 どうやら、彼女は感受性豊かなようだった。その上、表情も万華鏡のようにコロコロ変わる。僕とはまるで違う生き物のようだった。すると、突然何かを思いついたのかまた彼女の表情が一変した。


「あ!そうだ!なら、私が勉強教えたげるよ!」


「え、」


 教えられるの?はめちゃくちゃ失礼だな、と思ってさすがに言わなかった。彼女は底抜けに明るいようだが、頭まで底抜けとは限らないのだ。


「英語なら教えられると思うよ。私、英語得意だし、中学のときにはアメリカに留学だって言ったんだよ。自信あるよ!」


「なるほど」


 僕はその提案を飲むべきか考えた。このまま同じような生活を続けていても僕の成績に変化は期待できない。何か変化をもたらすものを僕は欲していた。そんな中、この提案はまさにうってつけとも言える。勉強をほとんど自習でやってきたものだから、本当にその指導が僕に効果的かはわからない。でも、このままだらだらと何も変わらずに勉強を続けていても何も変わらないという不安は強い。


「私、どうせ毎週金曜日は習い事があって、1時間くらい暇な時間があるの。今日もそれで何となく学校で時間を潰してたら教室に帰ったら誰もいなくて――、いつもは早めに習い事の教室の近くまで行って時間をつぶしたりしてて。もしよければ、その時間に一緒に勉強しようよ」


 僕は、その提案を受けることにした。猫の手も借りたい気分だったし、それが人の手ならなおさらだ。人とのかかわりは僕にとって大変なことでもあったが、一日くらいそんな日があってもいいだろう。


「僕としても教えてくれるとすごくありがたいよ。でも、申し訳ないけど僕は報酬みたいなものは何も用意できない。それでも大丈夫?」


「大丈夫!私が英語を教える代わりに、上野君は私に上野君のこと、教えてよ。それが報酬!」

 彼女はそう言うと、にこっと笑った。彼女は笑うと目がギュッと細くなって、その表情は彼女の表情の中でも特に印象的だった。


「それじゃ、また来週。金曜日になったら、ここで英語、教えるね」

 

 そう言うと、彼女は荷物をひょいっと背負って、教室のドアまで歩いて行った。そして、ドアを開けようとして、思い出したようにこっちを振り返った。


「あ、言い忘れてたけど、私、待鳥まちどりくぬぎ!まあ同じクラスだし知ってるよね?友達として、絶対、上野君の成績、よくしてみせるからね!」


 バイバイ、と聞こえた後、彼女のポニーテールが左右に揺れながら消えていった。

 なんだかどっと疲れた。

 僕は思わず背負った荷物を降ろして、もう一度自分の席に座り込んだ。教室は一気に静まり返っていて、僕の鼓動まで聞こえてきそうだった。そのとき、教室の空いた窓から廊下側へすっと風が吹き込んだ。気温はまだ少し蒸し暑いが、その風は案外涼しく感じられた。

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