さー

青いひつじ

第1話


昼休み。背中を丸め、携帯に齧り付いて弁当を食べる後輩に、私は声をかけた。


「そんな姿勢で食べると消化に悪いよ」


『あ、はい』


軽い返事をしてすぐに姿勢を戻したが、少しずつ背中は丸くなり、5分後には先ほどと同じ姿勢になっていた。


「なにをそんなに一生懸命見てるんだい?」


また注意されると思ったのか、後輩は一瞬体を強張らせてから、「これ知ってます?」と私に画面を見せてきた。

5人組の女性アイドルグループが映っていた。ふわふわした衣装を身に纏い、激しくダンスを踊っている。


『最近流行ってるんですよ!S-cLass(エスクラス)っていうんです!このギャップがたまんないんですよね〜!』


「へぇー」


もちろん知らない。興味もない。ので、私はすぐに視線を弁当に戻した。

もうすぐで50歳になる私が、娘と同年代のアイドルグループに夢中になっているだなんて、もしそうであったとしても言えるわけがない。私はブロッコリーを放り込むと、弁当の蓋を閉め、席を立った。



それにしても最近の"流行り"とやらは、すごい早さで移り変わっているようだ。

先ほどのあの子だって、2週間前は別のアイドルにハマっていたはずだが、もう情熱を注ぐ対象が変わってしまったらしい。

まぁ、その程度の"好き"だったということだろう。いやしかし、この間話した時には、北海道まで遠征して10万使ったと言っていたから、それなりに強い思いだったのだろうか。


どちらにせよ、そんなことにお金や時間をかけるなんて理解に苦しむ。年齢を重ねたからではない。考えてみれば私は、昔から新しいものに疎かった。


平らで何もない退屈な道を歩いていたら、誰かが風に揺れる花を見つけて、そこには一瞬にして多くの人が群がる。しかしすぐに見飽きて、人々は立ち去っていく。新しい風が吹けば花は飛ばされて、そこに咲いていたことなんて誰ひとりとして覚えていない。

時代なんていうのは、刹那的で、季節の花のように移ろいやすいものなのだ。




朝8時。食パンを齧ろうと口を開けたその時だった。2階かドタドタと降りてきた娘が勢いよく扉を開いた。


『こら、朝から騒がしくしないの』


『だってお母さんが起こしてくれなかったんじゃん!まじ"さー"だわ』


「さー?」


なんのことだと私は尋ねた。


『"最悪"ってことでしょ。今流行ってるらしいわよ』


「ちゃんと言葉を使いなさい。何を言ってるか分からないだろ」


『もう朝からうるさいなぁ!お母さん、今日バだから夜ご飯いらない!行ってきまーす』


「バ?」


『バイトってことでしょ』





それから数日経ったある日のことだ。

後輩が仕事でミスをして落ち込んでいたので、私は励ますつもりで「今風に言うと、"さー"って感じ?」と声をかけた。慣れないことをしたので、今頃私の耳は茹蛸色(ゆでだこいろ)になっているだろう。

一方後輩は、ポカンと、謎の生物に遭遇したような顔で私を見つめていた。


「なんだね?」


『‥‥いや、それもうあんまり言わない方がいいですよ。誰も使ってませんから』


私のことを笑うでもなく、後輩はやけに真剣な顔でそう言ってきた。いやいや、慰めてくれたことにお礼を言うのが先ではないか?と思ったが、これはきっと彼の頭の中にも過ったはずである。私の発言がそれを凌駕するほど衝撃的なものだったのだろうか。

なんだか気まづい空気になり、会話はここで終了した。




さらに1週間後の朝。私の大事な情報源である新聞には、でかでかと"選挙"のふた文字が書かれていた。


「もう18歳なんだ。ちゃんと投票に行くんだぞ。私たちの地区は、あの体育館か」


娘は返事をする代わりに、後輩と全く同じ表情で私を見つめてきた。


『お父さん何言ってるの?今時会場なんて行かないよ。ネットニュースの選挙情報見てないの?』


「そんなもの見ない。‥‥じゃあ一体どうやって投票するんだ」


『自分で調べたら?いつも私にそう言うじゃん』


呆れた様子で、娘は2階へ上がっていった。

記事の端っこには小さな文字で、※会場投票制度は今年から廃止になりますと記載されていた。その次には投票用のウェブサイトも。





数日後の、少し遅めの昼休み。

携帯に齧り付く後輩に声をかけた。


「S-cLass(エスクラス)だっけ?」


『いいえ、これはオレンジキャラメルです。S-cLass(エスクラス)は解散したんですよねぇ。メンバーの方向性の違いとかで』


「へー。どれくらい応援してたの?」


『1ヶ月です。結成して1ヶ月しか経ってませんから』


「え?それでもう解散したの?」


『今時そんなの普通ですよ。合わなかったらさっさとお別れして次の道へ。時間の無駄ですから』


ポケットから出てきた飴の袋を投げるように捨て、後輩は言った。




私だけなのだろうか。この頃の、この星の様子をおかしいと感じているのは。

移り変わりが早いなんてものじゃない。数週間という短い時間で世界が変化している。

来たこともない、知らない星に突然ポンとひとり置かれたような寂しさ。これからどうなるんだという不安。私だけが取り残されるのではという恐怖が込み上がってくる感覚に、私はペットボトルの水を飲み干した。




次の日の朝。

1番に目覚めた私は、カーテンを開いた。白い光に目が眩み、閉じた瞼をゆっくりと開くと、目の前に広がる光景に驚愕した。


窓から見えたのは、我が家の庭に生えた、謎の3本の木だった。しかしそれだけではない。周辺は、道路を除いて無数の木で埋め尽くされているのだ。歩道には等間隔で木が立ち並んでいる。隣の家の庭にも木が3本、植えられているようだ。


私はのんきに眠る妻をゆすり起こした。


「おい!起きろ!道に大量の木が生えてるぞ!なんだこれは!いや、道だけではない!家の庭にもだ!」


『えぇ?何を驚いてるの?政府の緑化計画が始まるって、ニュースでやってたじゃない。その一環よ。見てないの?』


「知らない!私はそんなニュース見てないぞ!」


『昨日のネットニュースに上がってたわよ』


妻は『まったく』と布団を頭までかぶり、夢の中へ沈んでいった。何かが迫ってくる恐怖を感じ、私はすぐにスーツに着替え、逃げるように家を出た。


通勤の道も、公園も、建ち並ぶビルの周辺も同様に、たくさんの木が植えられていた。


私は、2回目の大きなあくびをこぼした後輩に尋ねた。


「なぁ、君。緑化計画のことをどこで知った?」


『ネットニュースですけど』


「そうか‥‥。どのように検索すれば出てくる?」


『え?もう載ってないですよ。1日で更新されますから。ちゃんと見ておかないと』


「1日だと!?」


『今の時代は1日で全てが変わりますからね』


彼の言葉に私は愕然とした。


「それでは何か。一日中携帯に齧り付いてろというのか」


『そうですね。今時は』


何か変ですか?という顔をしてそう答えた後輩は、チョコレートをひとかけら口に放り込み、パソコンを開いた。




今日は謎の緑化計画のせいで、なんだか一段と疲れた。

仕事を終え家に着いた私は、廊下に漂う甘い醤油の香りにつられキッチンへ向かった。


「ただいま。いい匂いだね‥‥」


食卓に並んだ出来上がった料理たちに、私は目を見張った。

野菜炒めの中に、カエルの形をした謎の生き物がごろごろと紛れ込んでいるではないか。

美味そうに絡まったソースの存在感を優に越える気味の悪さである。


「おい‥‥なんだこれは‥‥」


『あら、あなたおかえりなさい。これ?隣の星から新しく入った食材よ。今までは輸入禁止だったけど、三星同盟を結ぶって昨日ニュースでやってたじゃない?今日早速スーパーで見つけちゃった』


この食材が美味しいのか美味しくないのか、今の私にはそんなことはどうでもよかった。


「おい!昨日のニュースと言ったか!?」


『えぇ』


私は自室へ駆け込みパソコンを開くと、検索窓に"三星同盟"と入力した。しかし出てきたのは、有名女優の不倫発覚の記事だった。あと一歩遅かったようだ。



謎の食材の味は覚えていない。今朝からずっと、背中の真ん中を指でなぞられているように寒気がする。頭が重く、痛い。額には雫が浮かんでいるだろう。

私は、世界から逃げるようにベッドに潜ると、強く目を瞑った。10分ほどすると力が抜け、現実と夢の間を行ったり来たりするようになった。程なくして私は眠りについた。悪い夢なら早く覚めてくれと願って。




翌朝。妻はまだ眠っている。

昨日の件でカーテンを開くのが怖くなった私は、まずは隙間から外の様子を伺い、ゆっくりと朝日を歓迎した。外は何も変わっていないようだった。


すっかり安心して、身支度をし、朝食を済ませた。よかった、いつもと何も変わらない。今日はこのまま何も起こらず終わってくれ。革靴の紐を強く結ぶと、玄関の扉を勢いよく開いた。


驚いた3匹のスズメが白い雲目掛けて飛んでいった。


その視線の先。私の手から鞄がするりと離れ、アスファルトの地面に落ちた。体の穴という穴から汗が噴き出ているが、暑いわけではない。むしろ、強烈な寒気に襲われている。



『あら、あなた。どうしたの?』


「‥‥おい‥‥向かいの家、屋根の上に立つ、あの旗はなんだ」


『あら、あなた知らないの?この星は隣の星の植民星となったのよ。昨日の夜のニュースに書いてあったじゃない』


雫が額を通り、鼻を越え、唇まで流れてきた。


「‥‥嘘だ‥‥こんなのは‥‥嘘に決まってる!」


私はカバンを持たず走った。どこへ向かっているのかは自分でも分からなかった。会社でないことは分かった。真っ直ぐに走り続けた。立ち並ぶ、オレンジ色に色づいた欅は、私を応援しているようであった。

脚は動き続け、その先にあったのは星会議事堂だった。煉瓦造りの建物のてっぺんでは、三角の旗が風に乗って大きく揺れている。



「‥‥嘘だ」


地面に膝をついたその時だった。フラッグポールの後ろから悪魔が顔を出した。正確には、悪魔のように見える謎の生き物が。


「‥‥お前か。これは全部、お前の仕業なのか」


悪魔はキキキと嫌な声をあげると、肩をすくめた。


『さぁ』


私は、アスファルトに顔を突っ伏した。



「最悪だ‥‥」




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さー 青いひつじ @zue23

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