2-4


*****


「本当に失礼しました。あたしってば取り乱してしまって」


 ずかしげに頰を染めた少女からティーカップを差し出され、ニコラはありがたく受け

取った。

 三つ編み頭の彼女は、リリと名乗った。メイドではなく、お針子らしい。彼女と揃いの格好の女性たちが十数人ほど、広い室内でにぎやかに仕事をしている。


 お針子たちのための作業部屋であるらしい。王宮に住まう人々が着用する各種衣服が、彼女たちの手によってここで生み出されるのだという。いくつもの作業台の上で、上質な布や色糸が山になっていた。


「ここのところ色々あったものだから、あたしってばついつい涙が……公衆の面前であんなに泣きわめいてしまったおびがこんなもので申し訳ないのですけど」

「いえいえ、ありがたいです! 本当に!」


 作業部屋の一角の簡素なながで、ニコラはルーナと共に、紅茶をごちそうになっていた。

 ニコラには本当にありがたかった。何せ、こちらの国に来てから初めてありつけた水分だ。陽射しの照りつける外を歩いてきて知らぬ間にかなり喉がカラカラになっていたようで、ニコラはぐびぐびと飲みほす。向かいにこしけるリリは次々お代わりを注いでくれる。


「騎士様も、お代わりはいかがですか?」

「ありがとう。いただこうかな」


 ルーナがほほむと、はにかんだ様子でリリは俯いた。

 紅茶にがっつくニコラの隣でルーナは実にのんびりと味わっていた。ゆったり背もたれに寄りかかり、長いあしを組んでいるその姿も、なんとも優雅で余裕がある。紅茶も長椅子も実際以上の高級感があるように見えてくる。


(これは殿下との次のお茶会でさっそく役立てられそう! ありがたいお手本……!)


 ニコラはちらちら横目でルーナの様をかくにんしながら、カップの持ち方や背もたれに寄りかかる角度や脚の組み方を真似てみる。ルーナが脚をえたらそくならってみる。


「あらリリってば! 良い男ふたりもつかまえてきて、見せつけてくれるじゃないのぉ」

「やあねぇそんなんじゃないわよ。迷惑かけちゃったお詫びなの」

「なぁんだ、そうなの? やっとダメ男に見切りつけて次に行けたのかと思ったのに」


 お針子たちが手に針や糸を持ったまま、リリの周りにわらわらと集まってくる。


「きゃあ、絵になるおふたりね! ユマルーニュ王国の御方、あなたは今いらしてるっていう使節団のおひとり?」

「そっ、そうですそうなんですっ!」

「騎士様の案内で王宮内の見学中なのかしら」

「そうですっ! ご名答ですっ!」

「あらっ、この方、水を司る神にそっくりだわ!」


 お針子のひとりがニコラを見てかんせいをあげる。


「本当ね! 神殿のちょうぞうさいしょくしたらこの方のようになるわ。蝶が周囲にいたらかんぺきね」

「そうねぇ。そしたら神に群がる無数の蝶の神話そのものだわ」

「でもあれって絵面は素敵だけどけっこうこわい神話よねぇ……水を司る神が美青年すぎるあまりに、れんちゃくしたがみたちが蝶に姿を変えてどこまでもひたすら追ってきて群がるっていう……」

「画家によってはあの神話の絵、水を司る神がこつに迷惑そうな顔してるのよね」


 そんな神話だったのか、とニコラは天井画を思い返しながら苦笑する。まるで舞踏会で大勢のれいじょうたちに群がられる自分のようだ。まさか異国の地で神様に共感を覚えることになるとは。


「だけどなんだかえんがいいわね。この十日間の最終日、儀式がある日に、こんなに神様そっくりな方に出会えるなんて! ねえリリ、これはいい機会よ。次に行くのはどう?」

「ありがとう……そうよね、あんな男、もう忘れるべきよね」


 リリが深く頷くと周りのお針子たちは嬉しげにリリの肩を次々に叩いた。何やら事情があるんだなぁ、とニコラがその様子をうかがっていると、リリと目が合った。今なお泣きはらした色の目をしたリリは、しかしニコラに向けて明るく笑みをつくってみせて口を開く。


「さっき、廊下で言ってくれたでしょう? 顔色が良くないけど気分でも悪いの、って。可愛い格好してるね、どこの所属なの、って。あれと同じことを、前にあたしの恋人が言ってくれたことがあったんです……初めて出会ったときに。あの頃は良かったなって思い出して、あたしついつい泣いちゃったんです。最近じゃ関係が悪くなる一方だったから」

「そうだったんですか……私、なんだか申し訳ないことしちゃったようで……」

「いいえ! あれだけ思いっきり大泣きして、あたし、すっきりしましたから! そう、いい加減もう終わりにしようって思えたから……やさしかったのは初めのうちだけで今じゃ平気で暴言吐くようになった人のことなんて。今じゃあの人、あたしのこと、女としての魅力ないとかさんざんこき下ろしてくるし、他の人と比べて全然可愛くないとか責め立ててくるし……」


 ええっ!? とニコラは目を剝く。


「なんですかその男はっ!? リリさんは可愛いですよ!? 小柄できゃしゃで守ってあげたくなるような小動物的な雰囲気でっ! 大声でわんわん泣きわめいてる姿すら可愛らしかったですよ! どこからどう見ても可愛いのに!」


 つい熱が入ってニコラは立ち上がってしまっていた。気がつくとリリが顔を真っ赤にしてニコラを見上げてきていた。


「す、すみませんなんかひとりで熱くなっちゃって……」


 もごもごと言いながらニコラは着席し、小さくなって反省する。ニコラにとってリリのような小さくてか弱げで少女らしい容姿はうらやみの対象なので、ついむきになってしまったのだった。


「あたし……あたしっ、今日を機にすっぱりっ切りますっ!」


 リリは妙にきらきらした目をニコラに向けながら、声高く宣言した。いいぞいいぞと、お針子たちがはやてる。


「そうよリリ、あんたのほうから先にふってやんなさいよ!」

「そうそう、別れの手紙でも叩きつけてやるといいわよ! もう口きくのも嫌でしょ、あんなのと」

「いいわね! 早速あたし書くわっ」

「厳しめにするのよリリ、あんたってば優しいからね。針でも仕込んでやりなさい!」


 リリは作業台の上の布をけて紙を広げ、熱心に羽根ペンを動かしはじめた。その様子を傍から見守りつつ、ニコラは息をつく。


(あれだけ可愛い子でも、こいっていうのはままならないんだな……あんなに心掻き乱されるなんて、大変そうだ)


 ニコラは他人ひとごとのように思う。ニコラはこれまで、恋心などというものを抱いたことはまったくなかった。これからもえんなのだろうなという気が何となくしていた。ニコラの中に恋を望む気持ちは特になく、ただ貴族の家に生まれた一人ひとりむすめの義務として婿さえむかえられればそれで充分だった。

 ふと、隣からの視線に気づく。目が合うと、からかうようにルーナがにやりと笑う。


「もう脚は組まなくていいの? 俺みたいに」


 うっ、とニコラは赤くなる。


「やっばりうっとうしかったりしますよね……? すみません、いちいち真似してて」

「俺はかまわないよ? 女の子に熱く見つめられるのは悪い気しないしね」

「暑苦しい視線でしたよね、すみません……」

「しかし随分と熱心に取り組んでるね、男を磨くとかいうその謎の務めに。王女のためなんだっけ」

「いえ、というよりも、これは巡り巡って自分のためで……」


 そう、婿を得るためだ。いちばんの目的はそこにある。


「私の男っぽさがあがるほど、王女殿下がたくましくなられて、輿こしれが盤石になって、そうなると私は褒美を頂けるんです」

「それはまた謎の仕組みだね」


 ルーナがおもしろそうに笑みを深めながら、ティーカップを卓上に戻す。


「さて、喉もうるおせたことだしそろそろおいとましようか」

「あっ、そうですね、情報を集めに行かないと!」


 ふたりが腰をあげかけたそのとき、お針子たちの輪の中から、王太子殿下という語が聞こえてきた。ニコラは思わずぴくりと反応する。


「えーっ、じゃあ王太子殿下って国外なのぉ、今?」

「らしいわよぉ、衛兵によるとね。ちょっと前から姿が見えないんだって」

「婚儀も近いってのに外遊? のんきなものねー」


 ニコラはおのずと耳をそばだてていた。他ならぬ王女の婚約者についての話だ。ニコラののうには、窓外に遠い目を向けていた王女の姿があった。未来の夫は自分以外の女性も愛するのだろうかといううれいがいろく浮かんでいた横顔。


「でもあれよね、血は争えないっていうし。あの方も案外、他国にひとりやふたり……」

「えー、囲ってたりするとか? 嫌だわぁげんめつしちゃーう」

「あのうっ! こちらの王太子殿下は女性関係が派手だったりするんですか!?」


 ニコラはまんできず口をはさんでしまった。ちょっとだまってはいられない風向きだった。

 噂好きらしいお針子たちは向かいのソファにいそいそと腰掛けて、にまにま笑う。


「あたしたちは王太子殿下の顔すら知らない立場ですから噂で聞くだけですけどね。けど真面目な御方のようですよ? でもしょせんガルフォッツォ男ですからねぇ……」

「ええっ、とんでもなく女好きな一面を隠し持ってたりします!? お迎えする姫君のこと大切にしてくださる方ですかね……!?」

「まあガルフォッツォ男なので先のことはわかりませんけどね、今のところは心配いらないと思いますよ、悪い噂もない御方ですし。それにえ他の王族たちの噂ときたら最低なやつばっかりで!」

「最低といえば聞いたぁ? 第四王子の最新の醜聞の件なんだけどさぁ」


 お針子たちは新たなうわさの種をもとに何やら盛り上がりはじめてしまう。


(うーん、まあまあ大丈夫な人っぽい、のかな……? だといいなぁ。今ごろ殿下はどうなさってるんだろうな……急に消えて迷惑かけてるだろうし……輿入れ前の大変なときに余計な心労かけちゃってるかも……)


 ううっと低くうめいていると、隣のルーナがするりと身を寄せてくる。


「気になるんだ? この国の王太子がどんなのか」

「そりゃあ……ルーナさんくわしいんですか?」


 やはり彼はそのくらい上位の王族ともじかに接せられるような騎士なのかなと、ニコラは

ルーナをじっと見上げる。しかし彼は、さてね、とはぐらかすように笑って首をすくめるのみだった。


「まあ王族の中でもぶっちぎりでアレなのはやっぱ国王陛下よねっ!」

「そうそうっ! 最近の不作やら田舎いなかの流行り病やらで不安定になってるのかしらね? 

しんくさい顔してさ、以前にも増して何かと言えばしき儀式って鬱陶しいのよねぇ」

「それもだけどぉ、やっぱりおんなぐせがアレよぉ!」


 お針子たちの噂話はいつのまにやらガルフォッツォ国王にまでおよんでいた。ニコラの脳裏に、庭園から見かけた長い黒髪とそうしんの姿が思い浮かぶ。どうやら民衆からの評判はあまりかんばしくない王様のようだ。


「女の数も酷いけど、何より質がねえ。しゅ悪いったらないわよ!」

「本当よねぇ! そうそう、こないだもさぁ」


 そのとき、ばあんと扉を大きく開け放つ音がとつぜんひびいて、みながそちらに目を向けた。


「ねえ! みんな見てちょうだいよこれっ、酷すぎるわっ!」


 開け放たれたのは、続き部屋につながっているらしい扉だった。そこからひとりのお針子が、酷すぎるわ酷すぎるわとまくしたてながら、いかり顔でどすどすと駆け寄ってくる。

その腕には何着もの派手なドレスが抱えられていた。


「どうしたのよ、たく部屋で何かあったの?」

「大ありよっ! あの女が試着したドレスぜんぶ、香水のにおい移りで酷い有様なのよ!」

 

 ドレスを抱えたお針子が近づいてくるにつれて、ニコラにもそれがわかった。胸が悪くなるほどに甘ったるい、強すぎるミルクの香りだった。かすかに香辛料のようなぴりっとしたものが存在を主張している、変わった香りだった。


「あ……!?」


 はたとニコラは気づき、勢いよくルーナをふりむいた。驚き顔の彼と目が合い、ふたりそろって強く頷きあう。にっと彼の口元に嬉しげな笑みが浮かぶ。

 これこそまさに彼の言っていた香りに違いない。王女の婚姻潰しの工作現場にあったという残り香。すなわち、首謀者につながる手がかり。


「一体どんな人がそんな無作法な真似を?」


 ルーナが問いかけると、お針子たちが次々と口を開く。


「ビビアナよ! ちょうビビアナ・ベナトーラ! ほんっとに嫌な女だわっ」

「朝から支度部屋を我が物顔でせんりょうしてただけでも大迷惑だったのに! かたぱしから仮装衣装とっかえひっかえ試着してこんな強い残り香つけてって、最悪すぎるわっ」

「ぜんぶ洗わなくちゃならないわね……今日はもうどなたが来ても女物の仮装衣装は用意できないわ」

「この特別製の香水、陛下からの贈り物らしいわよ。それであの女、じょうに身にまとって自分の寵愛されっぷりをけんでんしてるのよね」

「うっざあ! 今ごろ大広間でいい気になって踊りまくってるんでしょうね、男もとっかえひっかえして!」


 過熱するお針子たちの発言の合間をとらえて、さっとルーナは立ち上がった。


「俺たちも大広間の仮装舞踏会に参加しようと思ってたんだ。支度部屋で衣装を借りてもいいかな?」

人に否と言わせない笑みをにっこりと浮かべて、ルーナはそうようせいした。

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