2-3
*****
外に出ると周囲は本当に森だった。
頭上を見上げてみれば、枝葉の合間から
(アリアンヌ宮の客室で
木立の中にぽつりと
「これまでにも、妨害工作は何度かあったんだよね。いちばん初めのは、先月半ばだったかな……ちょっとした
ルーナからの説明をニコラは耳で聞きつつも、目ではしっかり彼を凝視する。
(襟元をゆるめてるあの感じ、男の色気というやつを
そんなニコラの様子に、ルーナは困ったように苦笑する。
「なんだかギラついた視線を感じるな……聞いててくれた?」
「はっはい勿論! えっと、これまでの妨害工作の件ですよね!?」
相変わらずあわあわしながらニコラはしきりに頷いてみせた。
「そう、王宮の片隅でちょっとした騒ぎが起こったって話ね。とある保管部屋が
ルーナの漆黒の目がやや
「王家同士の婚姻に際しては、
「あ、その品々の保管部屋が荒らされたとか……?」
「まさに。ユマルーニュ王家へ
ルーナが呆れたように首をふる。彼によると、その贈答品の品々はまたも壊されていた、というより、妙な小細工が施されていたのだという。アリアンヌ王女
「あとは……
「えっ酷い! ユマルーニュ王家の
「そう、誰がいつのまにあんな
「た、大変なことになりますよね……? 婚姻
「うん、なりかねない。婚姻を潰そうとしてる連中がいるようだと、そこで確信になった」
ニコラは言葉もなかった。思っていた以上に大変な事態に巻き込まれてしまっているようだと、今さらながら呆然としてしまう。
「その荷馬車では
ニコラはその香りを想像しようとしたがピンとこない。香水にはあまり
「荒らされた保管部屋にも似た残り香があったと保管部屋付きの役人たちが証言したから、確かに連中につながる香りってわけだ。その同じ香りに再び出くわしたのが、つい昨夜のことでね。この森の近くで
「わ、私……?」
「そう。そうやってついさっき、俺は君と出会ったわけだ。咄嗟に助けに入ったはいいけど……でももっと早く見つけられてたらって
「わっ!?」
ぱっと手をつかまれ、ニコラは慌てた。
「せっかくのきれいな肌なのにこんな
「いえいえ別にこんなのすぐ消えますから!」
手首に残る縄の痕を褐色の指先で
つつ、彼の手の動きをじっと見つめた。
(ことあるごとに手をにぎってくる……これがガルフォッツォ男か……! こんなのたびたび
ニコラが難しい顔をしてひそかに決意していると、ルーナが顔をのぞきこんでくる。
「まだ痛む?」
「いえいえいえ全然っ!
ニコラは前方に現れた光景に息をのんだ。
緑の木立が
手前に広がる庭園の向こう側に、
まだ距離のあるここから見てもその
(ほんとに私、王宮敷地内に居たんだ……随分と大層な場所にさらわれてきちゃったもんだなぁ……)
ルーナが長い指で王宮をまっすぐに指差す。
「目指すはあそこだね。婚姻潰しの首謀者として疑わしい連中はたいていあの中にいる」
「首謀者の目星がついてるんですか?」
「婚姻を
ルーナ
「な、なんだかとてもたくさん
「そこから絞っていけばいいよ。例の残り香も手がかりにして。さっき拾った紅玉もね」
さあ、とルーナに促されて足を進めようとしたニコラだったが、はたと気づく。
「ルーナさん、そういえば私って、今……捜されてません……?」
先ほどの館で、柄の悪い男たちが確かに言っていた。消えたニコラのことを、とっとと見つけないと、と。男たちの耳障りなわめき声がよみがえってニコラは
人の居る場所へ行ったりしたら、たちまち彼らに見つけられてしまうのではないだろうか。
髪も目も漆黒で
「ああ、平気平気。特に問題ないと思うよ」
しかしルーナはあっけらかんと言い、ニコラの手を引いてずんずん庭園のほうへ向かってしまう。
「ちょっ、ちょっとルーナさん、まずいですって!」
「ほらニコラ、見てみなよ。あの中」
ルーナが行く手の庭園を指差す。
王宮の前面に広がる、王宮に負けじと広大な庭園では、整然と手入れされた色とりどりの花々が
(な、何これ……)
庭園に足を踏み入れたニコラは、すれ違う人々をまじまじと見つめずにはいられなかった。道化師の
「ちょうど仮装
確かに誰もが大声で笑い、うきうきした様子だ。楽の音もないのに踊りだしている人もいる。ただでさえ暑いのに熱気がいや増している。
「期間中、ここの庭園は一般に開放されてるから街の人も多く来てるんだ。だから今はね、部外者が目立ちにくい時期なんだよ」
ルーナがにっこりと笑う。なるほどなぁと周りをきょろきょろ見回していたニコラは、あっ、と口を開けた。浮かれた人々の合間に、ユマルーニュの人間と
「使節団が来てるらしいから、その人らも参加してるんだろうね。これなら君の雪の肌もそんなに浮かないでしょ。その
そのとき突然、背後からニコラの腕を強く引っ張る者があった。まさか例の連中かと一瞬で青ざめたニコラだったが、ふりかえればそこにいたのは、見るからに人の
「おお! 正面も完成度高いじゃねえか兄ちゃん! こりゃ参った、おいらの負けだなっ」
「え……あのう……?」
明らかに王宮の人間ではなさそうな彼はひとしきりニコラの容姿をほめそやすと、浮かれた千鳥足で去って行った。
「どうやら仮装してると思われたようだね。そういえば君は確かに似てるよ、水を司る神に」
「え……」
水を司る神――と聞いて、ニコラはあの森の中の館で目覚めた直後に見た天井画を思い出した。神が無数の蝶と戯れている、神話の一場面らしき絵だったはずだが、その神の姿がどのようなものだったかはあまり覚えていなかった。
「金の髪に青い目に白い肌を持つ美青年の姿で描かれることが多い神だからね。それに、たいてい青い
「まあ青ですけども、ただの宮廷服なのに……まさか神様の仮装と思われるとは……」
「まぎれられてちょうどいいよ。水を司る神の格好をする人たちは多いからね」
確かにそれらしき仮装の人たちは散見された。先ほどの赤ら顔の中年もそんなふうだった気もする。
「人気がある神様なんですね。うちの国ではあまり絵画などでもお目にかからないかも」
「この国は日照りで苦しみがちだからね。水の
ニコラは頭上を見上げて納得する。朝からこの
「今の国王なんて随分と熱心に
ふと遠くに向けられたルーナの視線を追ってみると、王宮から十人ほどの一団がぞろぞろと出てくるところだった。
先頭を歩いているのは、ひどく
「あれがガルフォッツォの国王だよ。先頭の痩せぎす男が」
「え!」
目をこらして見てみれば、確かに長い黒髪の人物の頭には金色の
ルーナは粛々と進む一団から目を離さないままで、どことなく真剣な顔つきだった。
「後続が神官たち。今夜の
「今夜、何かの儀式が?」
「この仮装舞踏会の十日間も、言うなれば一連の儀式なんだよ。地上で派手に
なるほどなぁと頷いているニコラの背中に、どんっと衝撃がぶつかった。
ふりかえると、花の
「やだごめんなさい! あたしったら
申し訳なさそうにしている彼女を助け起こそうとしたニコラだったが、それよりも先にルーナが手を差し伸べた。
「さあ、つかまって。せっかくの
「まあ……ご親切にありがとう、騎士様」
ルーナを見るなり、彼女はうっとりと
(ルーナさんがなんか突然ぐいぐい行ってる! なんだかよくわからないけど絶好の機会だ! ガルフォッツォ男ならではの女子との接し方を傍から観察できる……!)
花の妖精の女の子は
「ねえ素敵な騎士様、
「大した主じゃないよ。俺も
「まあっ! どうしてあたしが宰相様付きの侍女だとご存じなのっ?」
「
ルーナが女の子と何やらひそひそと会話を交わしたり、ふむふむ頷いたりしているところに、また別の女の子がひらひらと寄ってきた。こちらもやはり花の妖精風の仮装だ。
「あら、
「おや、君は確か、第二王子付きの侍女では?」
「まあっ、よくご存じですのね貴方! そのとおりですわ!」
「そうそう、第二王子といえばさ、俺が聞くところによると
またもルーナは新たな女の子にぐぐっと接近して、ひそひそ会話を交わしたり、なるほどねぇと頷いたりしている。そんな彼らをじっと見守りながら、ニコラもふむふむと頷く。
(こういう感じでとにかく接近して手をにぎって、じっと目を見つめればいいのかな? だけど私、王女殿下に対して、あんなのやれる……? 親しみやすい御方だけどやっぱり高貴な
内心で唸るニコラをよそに、ルーナはにこやかな笑みを絶やさぬまま、花の妖精たちにさらにずずいと接近する。
「ところで君たち、いい香りだね。近頃は甘くて
「え、そんなのあるかしら? 知らないわ」
「
ミルクの香水と聞いて、やっとニコラは気づいた。
(そっかルーナさん、さっきから情報集めをしてたのか! てっきり
早速ニコラは通りすがりの女の子に
「あのっ、こんにちは! あれっ、いや、おはよう……? えっと、同じ仮装ですね!」
たどたどしい声かけになってしまったが、青い衣装の彼女はニコラを見るなり、ぽっと頰を染めた。ニコラはすかさず彼女の手をにぎり、ずいっと接近をはかる。ルーナのように、にこりと笑うのも忘れない。
「えっと何だっけ、どう切り出せば……そうだ、まずは所属か、あのっ、王宮のどちらで、どなたのもとでお勤めですか?」
「第三王子のところで侍女をしておりますわ!」
「おおっ、それはまた中枢で……えっと最近その方に不審なアレなどは……」
「そんなことより貴方のお話が聞きたいわ! あたしの自室でお茶をごちそうしますわ!」
彼女は鼻息荒く、ニコラの手を引っ張って進みはじめた。ええっ!? とニコラが戸惑っているのにもかまわずにずんずん前進し、気がつけば庭園を後にしていた。
イケメンに狙いを定めた女子の
しかし前方を見て、ああ助かったとニコラは
「あ、お
「おー。ほどほどになー」
「ええっ!?」
するっと入れてしまった。衛兵、さらっと通してしまった。
(ちゃんと仕事してよ……! もうやだこの国! 何なの情熱の国……!)
さらに奥へ奥へとぐいぐい引っ張られながら、このままでは鼻息の荒い女子に連れ込まれてしまう! とニコラは焦った。
しかし行く手を
「ごめんね、この子は俺に返してもらうよ」
ルーナが、ニコラの腕から彼女の手を外してくれる。彼女は不服そうに
「困るわっ! あたしっ、この彼が好みど真ん中なのにっ!」
「俺のほうが困るんだよ、この子を連れてかれちゃ。悪いけど他をあたってくれるかな」
ルーナは
「いやぁ驚いたよ。
「私も驚きました……お手数かけてすみません……なんか凄い国ですね本当……」
並んで進む王宮の廊下はどこもかしこもきらびやかだった。すれ違う王宮の人々はやはり誰もが仮装姿で、ただでさえ豪華な雰囲気がより一層にぎやかになっている。
「ちょうど良かったよ、今度はこっちで調査にあたろう。さっきの子たちの証言でだいぶ的が絞れたからね。
「あの、私も真似して情報集めしてみようと思ったんですけど、ただ女子の鼻息を荒くしただけで成果は得られずで……
「ああ、なんかたどたどしく
「なんか
「ちょっとその件は俺まだよくわかってないんだけど、俺は何かするべき?」
「いえいえそんな、傍から勝手に拝見させてもらってますので、そのままでいてください! ルーナさんは大事なお役目も抱えてるわけですし、私も今度こそ、ちゃんと戦力になりたいなと……」
そのときニコラは前方に佇む少女に気づいた。三つ編み頭でメイドらしき格好をしている彼女は、何をするでもなく
(他の人たちと違って仮装もしてないし浮かれた様子でもない……ああいう子相手なら、私でもうまくやれるんじゃ……? よしっ、ルーナさんから学んだやり方を
ぐぐっと
「私も今度こそお役に立てるように情報を集めてきます! ミルクの香水のことなど聞いてみますっ」
言い置いて、ニコラは小走りに三つ編み少女のもとへと向かう。
近づいてみると、
「あの、どうかしました? 顔色が良くないですけど、ご気分でも……?」
ニコラが声をかけると、少女は弾かれたように顔をあげた。そして黒い双眸を見開いて、ニコラをまじまじと真顔で凝視してくる。
自分よりずっと
「えっと、可愛い格好してますよね、どちらの所属なんですか?」
そうニコラが問いかけた次の瞬間、少女の顔が、くしゃりと
「え!? えっ!?」
仰天して青ざめるニコラの前で、少女はとうとう幼子のように声をあげてわんわん泣きはじめた。
「えっ、ちょっ……ごめんなさい私なにかしました!? 失礼なことでも……あっ、可愛い格好とか言いましたけど勿論あなた自身も可愛いですよ! 服だけ
少女のとどまることを知らないギャン泣きを前に、ニコラは為す
るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます