第三章

3-1


(息、が……。苦しい、どうして)


 火の中で呼吸をしようとしているような息苦しさに、リリーはただただく。


(こんな時に出てくるのが、どうしてジークなのかしら。しょうに顔が見たくなるなんて。まるで彼のこと……)


 胸に温かな気持ちが広がる。自覚したたん、息苦しさがなくなった。

 かすかにジークの声が聞こえた気がしたが、しゅうしん中に彼がいるはずがない。


(そうよ。私は明日のためにとこについたのだから、これは、夢よ!)


 がばりと起き上がったリリーは部屋に差し込む光にほっと息をいた。


「……最悪なめだわ」


 からからにかわいたのどを、サイドテーブルに置かれている水でうるおす。


「これでけは私の勝ち。ジークもこれであきらめたでしょう」


 ぽっかりと心に穴が空いたような感覚がリリーを包む。


「……どうしてこんな気持ちになるのよ」


 形容しがたい気持ちをかかえていると、いきなりとびらが開いた。


「お目覚めですか? リリアンナ様」

「えぇ。おはよう。アメリア」


 灰色の目を少し見張ったアメリアにかんを覚えたものの、リリーは彼女が持ってきたみずおけで顔を清めた。その後、ドレッサーの前で身だしなみを整えられながら、今日行われる夜会に頭をなやませる。


「本来なら殿でんついになるようなドレスを着るべきだとは思うのだけれど……」

いそがしい方ですから」


 スペンツァーをかばうような言葉にリリーはまゆを寄せる。


(やっぱり何か変よ)


 ドレッサーに置きっぱなしだったジュエリーボックスのふたを開け―― すぐさま閉じた。


(どうして!? あれは確かにアメリアにわたしたはず……!)


 予想していなかった物を目にしたリリーは気が動転しそうになるが、息を吐いて落ち着かせた。反射的に閉じてしまったジュエリーボックスをもう一度開く。

 色とりどりのほうしょく品が自己主張しているが、問題は一つのネックレスと指輪だ。


(アメリアがもどした? いえ、そんなこと絶対にしないわ。なら、私はまた……?)


 行き着いた答えにリリーは青ざめた。確信を得るためアメリアへ質問を投げかける。


「明日はモントシュタインの新こうていを招く夜会なのよね?」

「はい」


 かんはつれずに返ってきたこうていに、リリーは力なく「そう」と答える。


(なぜき戻ったの? それも就寝中に)


 けいかいしていたカクテルは飲まず、水を口にした。就寝中であれど、しゅうげきにあえば殺気で気がつく。ひかえているアメリアも同様に気がつくだろう。


(心臓を|貫《つらぬ)かれた痛みはなかった。あったのは少しの息苦しさだけ)


 理由が分からずこんわくしていると後ろからづかうような声が降ってくる。


「あまり顔色がよくありませんね。……確か今日のしつは明日の分ばかりのはず。ですから今日は一日お休みになってください」


 聞き覚えのある言葉に、いやでも巻き戻っているのだと自覚させられる。

 顔を上げれば、鏡しに少量の水が残ったグラスが見えた。


(明らかにあやしいカクテルだと飲まない。それを見越して水に毒を混ぜていたら?)


 今までのおく辿たどれば、どの生でも水は注がれていた。


(……そういえば、足音で目が覚めたことがあったわね)


 火事の最中に命を落とした後、一度だけ走り去る足音で起こされた。まだうすぐらい早朝のことで、気にもとめなかった。しかし、少しのねんも残しておきたくない。

「あの水、だれが持ってきたのかしら?」

「? あれは……確かメイドだったと思います」

「それは……灰色のかみと赤い目で、あごにほくろのあるメイドかしら?」

「はい」

「っ、そう。ありがとう」


 目礼をしたアメリアに気づかれぬよう、リリーはくちびるんだ。


かつだったわ)


 今まで水に手を付けてこなかった。だというのに、昨夜に限って飲んでしまった。


(夢で息苦しかったのは毒のえいきょうちゅう、息苦しさがなくなったのは、巻き戻ったから)


 鏡越しに飲みかけのグラスをにらみ、気がつく。気づいた事実がリリーの思考をむしばむ。


(私、毒の入った水をさっき口にして……。また死ぬの……? 嫌だ、死にたくなんてない。でも私の不注意のせいで……あと、どれぐらい時間が? ジークにどう説明したら……)


 今にも泣き出しそうな赤色と目が合った。鏡の中の自分はひどくたよりない顔をしている。


(こんな顔、ジークには見せられないわ。賭けに勝ったとすぐに会いに来そうだもの)


 リリーは目を閉じ、大きく深呼吸をしてから、目を開けた。

 そこにはもう、迷いを抱えた少女は映っていない。決意をともいろひとみは、まるで本物のほのおを宿しているかのようにれる。アレキサンドライトが耳元でかがやいた。

 かくを決め、アメリアへ声をかける。


「アメリア。気遣いありがとう。あなたに気がつかれるのだから、よほどひどい顔をしているのね。今日の予定を全てキャンセルしてちょうだい。それと団長にことづてたのむわ」

「かしこまりました。騎士団長へはなんと?」

「城下で事件が起こるかもしれないと」


 アメリアはとっぴょうもない言葉に首をかしげつつもうなずいた。

 予定調整のために退室したアメリアを見送り、足音が聞こえなくなってから動き出す。

 尾けられると知っていれば、撒くのは容易い。

 一番動きやすいワンピースにえ、窓を開けた。


「いるかと思ったのだけれど、いないのね」


 リリーは少しほっと胸をで下ろす。


(今、ジークの顔を見たら泣き言を言いそうだもの。もう少ししてから会いたいわ。それに分かったこともある。再び毒を飲んだ時点で私の死は確定したようなもの。だけどまだ巻き戻っていないってことは、心の臓が止まるまでは巻き戻らない)


 王城をけ出すためにバルコニーへ出たリリーはようへきに上った。


「毒を盛るぐらい、私がじゃってことは分かったからよしとしましょう。よっ、と!」


 バルコニーの目の前に立つ大木の枝に摑まり勢いを殺す。

 さらに降りようと手をはなしたしゅんかん、目に飛び込んできたくろかみにリリーは目を見開いた。

 反応がおくれてしまったリリーは、悲鳴にも似た声を上げる。


「っ、ジークっ、そこどいて!!」

「は? っ、リリー!?」


 たがいにかいできるきょではない。リリーは痛みを覚悟し、目を閉じた。だが、いつまでっても予想していた痛みはおとずれなかった。

 代わりに訪れたのは少しのしょうげきだけ。背中に回されたぬくもりにおそる恐る目を開けると、眼前に広がっていたのは質のいい服とはだいろだった。


「じ、ジーク」

「何やってるんだ、リリー」

「それはこっちの台詞せりふよ。庇ってくれたのはうれしいけど、私はちゃんと着地できたわ」

「知ってる。それにしても、いつになくなおだな? 何か心情の変化でもあったのか?」

「……別に。なにもないわ」


 毒を飲んだとさとられないよう、リリーはアイスブルーの瞳から目をらした。

 リリーが顔ごと視線を外したのをいいことに、ジークがリリーのほおへ唇を寄せる。

 ジークに包み込まれたリリーにげ場はなく、彼の唇を受け入れるしかない。


「ふっ。わいいな」


 からかうような甘い声が耳元で聞こえ、リリーはずかしさで燃えてしまいそうだ。

 きょすることなく頰へのキスを受け入れてしまい、視線を彷徨さまよわせる。

 せめて少し離れようと身をよじるが、さらにきすくめられてしまった。首筋に顔をめられ少しくすぐったい。


「リリー。俺は……こんな賭けに勝ちたくなかった。リリーが無事なら、俺は身を引けたんだ。なのに、なんで死んだんだっ!」


 背中に回ったジークの手がふるえていることに気がつき、リリーはおずおずと彼の頭に手を乗せた。子どもを落ち着かせるように、ゆったりと慣れない手つきで頭を撫でる。


「ごめんなさい。あなたを置いていって」

「っ、謝ることじゃない。悪いのはリリーを手にかけたやつだ。どうして死んだか、分かっ

ているのか?」

「……いえ。でも片方が死んでも二人とも巻き戻ってしまうって分かったわ」


 リリーはこれ以上ジークを揺らがせてはならないとうそをついた。しかしさとい彼は、返答までのさいな間を気にするだろう。疑念から目を逸らさせるため彼の望む言葉を口に出す。


「ねぇ、ジーク。力を貸してくれる?」


 顔を上げたジークと目が合う。まぶたに深いあいしゅうもった表情で彼は頷いた。


「あぁ。もちろんだ」

「きゃっ!? ちょっと!」


 リリーを軽々と抱き上げたジークが歩き出す。


「城下に行くんだろ?」

「そうだけれど、降ろして」

きゃっ。リリーは放っておくとすぐに死にそうだからな」

「そんなこと……って城門から出るつもり? 誰かに見られるのはけたいのだけど」


 ジークが進む方向には城門がある。門番に見つかればリリーは部屋にとんぼ返りだ。


だいじょうだ。それと、その言い方だと見られなければいいと言っているようなものだぞ」

「っ、私をからかって楽しい?」

「どんなリリーも余すことなく見てみたいからな」

「答えになっていないわ」


 今まで以上に甘い顔と声でリリーを構うジークに、リリーはにくまれ口をたたくことしかできない。砂糖のような視線にえられず顔をそむけた。

 城門に着いた二人は気配を消してそっと様子をうかがう。

 ちょうどレヴェリーが門番にめ寄っているお決まりの場面だ。


「どうかお取り次ぎをっ」

「ええい! 殿下は忙しいのだ!! 散れ!!」

「もう半年になるんだ! まだ見つからないなんて職務たいまんなんじゃないのか

!?」


 必死に門番にうったえるレヴェリーの茶色の瞳が見開かれる。それはちがいかと思うほどにいっしゅんだった。


(今、私達に気がついた)


 気配を殺しているリリー達に気がつくレヴェリーは、やはり皇帝の手先なのだろう。

 ジークが歩き出すと、レヴェリーは示し合わせたように声を張り上げた。


「本当にそうさくをしているのか!? 殿下を呼んでくれ!!」

「騎士団は忙しいんだ! 一つの事件ばかりに注力できない!」


 せんどうされたゆうかい事件のがい者達が門番を囲うように詰め寄る。それに乗じ、ジークは何食わぬ顔で城門を通った。ひとがきに埋もれた門番がリリー達に気がつくことはない。

 表通りに着いたリリーはようやくひめっこから解放された。


(放火を止めるためにあの三人を待つ? それともカジノや他に何か見落としが……)


 カジノへと歩き出せば、リリーのこしうでが回った。それに気がつかないフリをしていれば、力強く引き寄せられる。すると、リリーの横を男が通り過ぎた。くやしげに舌打ちをした男はジークに睨まれ足早に去っていく。


「ありがとう」

「スリか、女にさわりたいだけか分からんが、リリーは俺が守るとちかったからな」

「誓っては、ないような気がするのだけど」

「同じだ。それに俺にリリーを守らせてくれる約束だろう?」

「……好きにしたら」


 リリーの言葉に、ジークはいいことを聞いたとにんまり笑った。


「そんな可愛いこと言われると、もっと構いたくなるな」

「っ!? てっかい! 好きにしちゃ! 節度を持って!!」


 急に近づいてきた造形美にあわてていると、見知った二人が視線の間を横切った。


きっおうかんの予約を取っているんだ」

「まぁ! 一年先まで予約が取れないと有名なあの?」

「あぁ、そうだ。行きたいと言っていただろう?」

「ミアが行きたいって言ってたの、覚えてくれてたの? スペン様大好き!」


 仲むつまじい様子で腕を組み歩いていくのはミアとスペンツァーだ。

 リリー達は二人の会話を聞き取れるほど近い距離にいたが、スペンツァー達は気がつかず通り過ぎていく。


(そうだ。あの二人がにせがねに関わっているってしょうをまだつかめていないわ。ついて行けたらいいのだけれど……)


 注意力さんまんな二人にジークはあきれている。


「この距離で気がつかないのか」

「そういう人よ。喫茶王冠ってなんで貴族に人気なの?」

「ん? そうだな。しょうかい制と個室でのサービスのきめ細やかさがウケているらしいぞ」

くわしいのね」


 まるで訪れたことのあるような口ぶりに、胸にもやもやとした感情がうずいた。


「なんだ? 行きたいのか?」

「べ、べつにそういうわけじゃ……」

「本当分かりやすいな。そんなねた顔をされたら、なんでもかなえてやりたくなる」


 ジークがリリーの手を取り、スペンツァー達を追うように歩き出す。


「ちょ、そんなんじゃ……。そもそも一年先まで予約が埋まっているって、さっき」

「大丈夫だ。絶対入れるから。それに俺が行きたいんだ。付き合ってくれるだろ?」

「なんでそんなに自信満々なのよ」

「んー。秘密」


 えがいた唇に人差し指を当てないしょだとポーズを作ったジークは心底楽しそうだった。


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