2-3



*****



 片付けをアメリアに任せ、執務室を飛び出したリリーは城下町へと来ていた。


(まずは火事が本当に起こるのか確かめないと)


 記憶をたよりに路地裏を進めば、うっすらと月ののぼった空に上がるこくえんが見えた。目にしみるけむりと焦げ付いたにおいが路地をうように流れる。

 可能な限りカジノへ近づこうとするも、騎士団員が道をふさいでいてままならない。


(あぁもう! ちっとも近づけない! あら? あれはなに……?)


 塞がれていない道からカジノの裏へ回り込めば、視界の端できらりと何かが光った。

 目を向けると、つぼを持ったかっちゅう男ときんぱつ

のディーラーがなにやら話し込んでいた。


(あの甲冑は誘拐犯じゃない!! 高級時計のディーラーとつながっているだなんて、やっぱりカジノと誘拐事件は繫がっている可能性が高いわ)


 リリーは息をひそめ、気がつかれないよう気配を絶つ。


「こっちは巻き終わったけれど、そちらは?」


 二人の動向に注視していれば、灰色の髪を一つに束ねた中性的な人物が壺を持って合流した。とくちょう的なあごのほくろと赤い目を持つカジノのディーラーだ。


「あぁ。こっちも終わったところだ」

「これだけ油をけば全部燃えてなくなるだろ」

(油? じゃあやっぱり火事は故意に引き起こされたものだったのね)


 ようやく摑んだ手がかりだが、証拠はすでに火の中だろう。

 赤目ディーラーと甲冑男の会話を横目に金髪ディーラーが心底残念そうに呟く。


「あーぁ、もったいねぇの」

「仕方ないでしょう。皇帝に勘付かれてしまったのですから」

(中性的な男性だとは思っていたけれど、しゃべり方はまるで女性ね)


 赤目ディーラーの口調に違和感を覚えたが、金髪ディーラーの言葉に息を吞んだ。


「皇帝もこえぇけどよ、あんたのご主人もおっかねぇよな。自害用の毒を渡すなんてさぁ」

「別に持ち歩けと言われているわけじゃないでしょう。私はずっと部屋に置いている」


 これ以上話すことはないと言わんばかりに赤目ディーラーはそっぽを向いた。


(自害用の毒ってどういうこと……? やとい主はきっと殿下よね。私は見覚えがないけれ

ど、甲冑男は元々殿下のごまで、雇ったディーラー二人には毒を……?)


 金髪ディーラーが「おっ」と声を上げる。


「騎士団長様のお出ましだ。解散だな。ヘマすんなよ。殿下にどやされる」

「あなたこそ、おじょうさまの足を引っ張らないでくださいね!」


 慌ただしく消火活動に来た騎士団長達と入れ替わるように、彼らは散開して逃げていく。


(ちょっと待って。今お嬢様って……!)


 赤目ディーラーを追いかけようとしたリリーだったが、騎士団員がひしめく路地を抜けなければならず、ちゅうちょしてしまう。


「各自消火にあたってください! これ以上にんを出さないようにお願いします!」


 的確な指示を出す眼鏡の騎士団長―― ハイド・クローチェの声に、リリーはあきらめた。


(彼に見つかったら問答無用で連れ戻されてしまうわ! ゆうずうが利かないと有名だもの)


 ハイドは二十歳はたちという若さで騎士団長に任命されたゆうしゅうな男だ。

 彼はり上げた灰色の髪に、責任感の強さを感じさせる灰色の瞳を眼鏡で隠している。

 悩ましい顔をしたリリーは、勢いよく燃えさかるカジノを見上げた。


(かといって、カジノを諦めるわけには……そういえば、ジークは!?)


 火の勢いは増すばかりで弱まるきざしはない。恵みの雨もなく、どんよりとした重い雲が空を覆い隠すだけだ。


(贋金の手がかりをさぐりに行ったとしたら……まさかまたカジノに取り残されて……!?)


 取り残されているのであれば、さっきゅうに助けなければならない。

 じっとりとした嫌な汗が頰を伝う。


(私が出て行けば騎士団に混乱を招いてしまう。……いいえ。今はそんなこと言っている場合ではないわ。人命がかかっているのよ!)


 リリーがカジノの周りを囲む騎士達へと走り出そうとした瞬間。


「そんなに慌ててどうした?」


 今、まさに救おうとしていた男の声が聞こえ、リリーの肩が跳ねた。

 路地のかべに背を預けたジークが不思議そうな顔をしてリリーを見ている。


「リリー?」


 アイスブルーの瞳が気遣うような色を宿す。


「あ、あなた、カジノに行くって……」

「ん? あぁ。もちろん行ったさ。色々と物色していたんだが、いかんせん薬の回った女達が寄ってきてな。めんどうだから火が回る前に退散した」

「……はぁ。心配して損したわ」

「へぇ? 俺の心配してくれたんだ?」


 ジークがにやにやと意地悪く笑う。


「べ、べつに! ただ……いえ、なんでもないわ。それじゃあ私はこれで」


 歩き出そうとするリリーの横に彼の手が伸びる。壁に手をつかれてしまえば、せまい路地から抜け出すことはできない。

 リリーがこうの視線を送れば、意地の悪い顔で笑われてしまった。

 艶やかな黒髪がさらりと流れ、色香がただよう。


「せっかく会えたのに、つれないな」


 むねの奥をくすぐられるようなまなし。生気に満ちた瞳はとても甘い。

 しかしリリーの脳裏には、事切れたジークの「お前のせいで」と訴えかけるくうきょな目が、今も離れずこびりついていた。


「私、あなたのことが分からないわ」

「それは遠回しに俺のことをもっと知りたいと言っているのか?」

じんも思ってないから安心してちょうだい」


 リリーはとがめるようににらんだが、なぜか右手をジークに取られる。

 こいびとのようにからまれた手に意識が向けば、もうきん類のような瞳と視線が絡んだ。


「残念。そうつれない反応をされると、もっと追い込んでやりたくなる」

「どういう……?」


 意図の読めない言動にリリーが固まっていれば、手のこうにキスを落とされた。

 肌に伝わるやわらかなかんしょくに悲鳴を上げそうになったが、すんでのところで吞み込んだ。

 背中を壁に押しつけられ、逃げ場をなくされたリリーは、ただジークを見上げる。

 予想以上にジークの顔が近く、リリーの頭は一瞬で沸騰してしまった。密着した体からぬくもりが伝わるのも心臓に悪い。

 本能的に逃げようとくも、左手も壁に押しつけられてしまう。ついでのように彼の長い脚がリリーの脚の間に差し込まれる。

 首筋に顔をめられ、絹のような黒髪がリリーの肌をくすぐった。


「なぁ。俺はいらない?」


 掠れた甘い声に、ぞくぞくと背中が痺れる。

 繫がれた手を指ででられてしまえば、目の前の男しか見えなくなった。


「俺をこんなにしたのはリリーなのに?」

「ご、誤解を招くような言い方は……」


 リリーと顔を合わせたジークは、とても悲しそうに眉を下げていた。

 さびしげで、傷ついたような、悲しみをまんしたような――(なんて顔をしているのよ)


 あわれみをうようなジークの顔にリリーは黙り込む。適切な言葉が浮かばず、時間だけが過ぎていく。


「なぁ、俺にリリーを守るめいをくれないか?」

「そんなの、名誉でもなんでもないわ」


 リリーと一緒に行動すれば死んでしまう可能性が高い。自らちゅうに飛び込むのは自殺こうだ。事実、リリーと共に行動したジークは一度命を落としている。


(二度と死なせたくないのに、どうして踏み込んでくるのよ)


 心を見透かしたように、ジークは頰をほころばせた。


「自分の価値を理解していないんだな。ほまれだよ」


 リリーは反論しようと口を開く。しかしジークに指先へ口づけをされ、ひゅっと空気だけが口かられた。


「あの時は後れを取ったが、俺は強いぞ?」

「それは分かるけれど、あなたは私を守って……私を守ったから、あなたはっ……!」

「責任を感じる必要はない。俺は俺の心の向くまま行動しただけだ。リリーと共に行動し、同じ時を過ごしたこと、微塵もこうかいしていない。むしろぎょうこうに恵まれたとさえ感じた」

「っ、そんなの、ずるいわ。な、なにも反論できないじゃない」

「ふっ。俺はずるい男だからな」

「それ前にも聞いたわ」


 ジークの言葉にほんの少しだけ胸のつかえが取れた気がした。


「なぁ、リリー。俺と手を組もう? そうすればきっと――」

「そこで何をしているのです? この先で火災が発生していますので早く表通りに……」


 足音とともに声が聞こえ、リリーとジークは同時に音のした方を向いた。

 声をかけてきたのは騎士団長のハイドだ。眼鏡の奥で困惑したように灰色の瞳が揺れる。

 うわ現場をもくげきされてしまったかのように青くなったリリーは固まってしまった。

 石になった二人とは違いジークは何食わぬ顔でリリーから離れる。

 彼が動いたことで我に返ったハイドが困惑しきった顔で問う。


「リリアンナ様、なぜこのような場所に……? それにそのお方は……」

「俺のことは気にしなくていい。彼女を城へ送ってやってくれ」

「御意。少々お待ちください。準備をしてまいります」


 頷いたハイドはそう言って火災現場へと走っていく。


(どうしてハイドがジークの命令を聞くの?)


 リリーのいぶかしげな視線に気がついたジークが見せつけるように口角を上げる。

 それだけでぼっと頰が熱くなってしまった。思わず両手で顔を隠したリリーだったが、楽しげに笑われ、ますます彼の顔が見られなくなってしまう。


「お待たせいたしました。王城までお送りいたします」


 ものの数分で戻ってきたハイドが二人を見比べ変な顔をしていた。

 リリーはいたたまれず、足早に路地を抜ける。表通りへと出てからも、なぜかジークの顔を振り返ることはできなかった。

 火事の野次馬で溢れる表通りを、行き交う人にぶつかりながらリリーは歩く。そんなリリーに気がつかないハイドは、ずんずん先に進んで行ってしまう。

 いっぱん的な女性より身長の高いリリーだが、自身より身長の高い男のスピードについていけるほどではなかった。


(ジークはいつも気遣ってくれていたのね)


 無意識にジークと比べてしまい、リリーは我に返る。

 胸に広がる温かい気持ちをすように、ハイドの背中に声をかけた。


「なにか言いたげだけれど、私に聞きたいことでもあるのかしら?」

「私のかんかつだった場所にリリアンナ様がたまたまいらっしゃっただけでは?」


 とげとげしい返答に、リリーは思わず笑ってしまう。

 驚いたように歩速が緩んだハイドを追いし振り返る。


「まどろっこしいのはなしにしましょう。私に何が聞きたいの?」


 リリーが真面目な顔を作れば、ハイドは意を決したように口を開いた。


「あのような場所になにかご用だったのですか? 例えば大人の遊び場などの……」


 灰色の瞳がじっとリリーを見つめてくる。それはまるで僅かな挙動も見逃さないよう観察しているようだ。くったくなく疑われているのは気のせいではないだろう。


ほうカジノ、とか?」

「! なぜそれを?」

「あなたと同じよ。それで、あなたはなぜ違法カジノの存在に気がついたのかしら?」


 リリーは意味ありげに微笑んだ。


(疑われて当然ね。積極的に動いたことなんて、今まで一度もないもの)


 きょうがくで固まったハイドを置いて歩き出せば、後ろから慌てた足音が聞こえてくる。すぐに追いついたハイドはなんとも言えない表情をしながらも情報を提示してくれた。


「独自で調査を行っているときです。じゅうぼくがあの建物に出入りした後、女《あなたの婚約者のりがよくなる。思えば、あの金の腕時計は従僕へのほうしゅうだったのでしょう」

「金の腕時計……?」


 リリーの頭に一人のディーラーが浮かぶ。

 夜会で断罪された際、スペンツァーに書類を渡した従僕だ。


(そうよ。同じ腕時計をしていたわ! なんで気がつかなかったのかしら! カジノのために雇われたのだと思っていたけれど、元々雇われていたなんてもうてんだったわ)


 小さく息を吐き、ハイドに続きをうながす。


「それで、私に聞きたいことはおしまいかしら?」

「いえ、貴女様に婚約者の話を聞くつもりでした」

「困ったわね。私に答えられることなんて、婚約者に似合うドレス一つおくれないしょうなしということぐらいよ」


 いっしゅんあっに取られたハイドだったが、言葉の意味が理解できた瞬間にき出していた。


(あらあら。この反応。殿下に忠誠を誓っているにしてはいささか……)


 一歩間違えば不敬とも取られかねない言動にリリーは疑念を抱いた。


「ごほん。失礼。実は、貴女様の婚約者が私財ではとうていはらいきれない額の品物を次々と購入しています。その上、国庫からも出ている様子はありません」

 ハイドの言葉にリリーは「ふむ」と考え込むりをした。心当たりは一つしかない。


「まさかとは思いますが、貴女様がおづかいを渡したということはありませんよね?」

「えぇ。ありえないわ」


 肩をすくめて見せれば、ハイドは知っていたように頷いた。


(私の私財も調べたわね。まったく、うたぐり深いこと)


 内心呆れながらもリリーはすぐそこに見える城門を見上げた。


「まるで無から金が湧いたみたいだと思いませんか? そんな中で違法カジノが見つかったのです。私はそこに何かがあると踏んでいます」

「だけど証拠は火の海の中に消えてしまった……と」


 頷いたハイドに、リリーはスペンツァーの執務室で見つけた旧モント金貨を思い出す。


(ハイドは贋金に気がついていない。……今、贋金の話をしたら疑われるだけね)


 城門に着いたリリーは、話はこれまでだと終わりを告げる。


「ここまででいいわよ。私も探ってみるから。何か分かればあなたに伝えるわ」


 リリーは彼の返答を待たず自室へと歩みを進めた。背中に厳しい視線を感じながら。


(思っていた以上に事態は深刻なようね)


 ふところがたなにしなければならないハイドにまでスペンツァーはけんをかけられている。それだけで事の重大さが感じられた。独自でとまくらことばがついていたようにハイドの単独行動だが、決定的な証拠があればすぐに立件されるだろう。

 スペンツァーのたくらみが一人でも調べられるほどザルなのか、ハイドが優秀なのか。間違いなく後者だ。王国のためを思っての行動。それがきちと出るか、きょうと出るか。


(婚約者だからと共犯者だと思われるのは嫌な話ね。真っ先に疑うなら……)


 ふと浮かんだ考えに、リリーはてんけいを得た気がした。


(そうよ。なぜ今までラングレー令嬢を疑わなかったのかしら!)

 

 気持ちを抑えられず、リリーはどんどん早足になっていく。


(金属加工を得意とするラングレー領。硬貨を作るぐらいわけないわ。もしこの仮説が正しいとすれば、殿下の寵愛も違う見方ができる)


 寵愛を受けているから、常に一緒に行動しても誰も疑問に思わない。


(でも、あの頭お花畑の殿下に贋金製造なんて思いつくはずがない。なら誰か立案者がいるはず。ラングレー令嬢が立案者の可能性も大いにあるわ。そう考えればディーラーの口から出た『お嬢様』にも納得がいく!)


 自室へと辿り着く頃には早足から駆け足へと変わっていたが、リリーは気にもとめず勢い任せに扉を開いた。


「帰ったわ! アメリア。お給金のことだけれど、話は後でいいかしら」

「いただいた前金で向こう三年は賄えますよ」

「意外ね。もっと請求されると思っていたのだけれど」


 ドレッサーの前でリリーは足を止めた。何も言わずともアメリアが後ろに立つ。

 リリーのおりを脱がすアメリアが少し笑った気配がした。


「もらえるならもらいます。でも、リリアンナ様のさい事情も存じ上げておりますから」

「……そうね」

「お給金をいただいたからにはちゃんと仕事はしますよ。それに、わたしは暗殺者として格安の優良物件ですから。グアルディアと違って」



 グアルディアの話はリリーでも知っている。

 最近よく耳にするのは、たった一人で一国をほろぼしたといううわさだ。

 それ以外にも、雇うためにはばくだいな金額をいっかつはらう必要がある。一族に認められなければらいは受理されない。色素の薄い髪を持ち、つめを黒くっているのがグアルディアの証などの噂が飛び交う。実態の摑めないグアルディアの情報はこんきょのないものばかりだ。


「本当にそんな一族がいるかもあやしいわ」


 リリーが少し息を吐いた直後、いるはずのない男の声が響く。


「そんなことはない。グアルディアは存在する」


 いきなり聞こえた低音に、リリーは大きく肩を揺らし振り返る。

 リリーを見つめるアイスブルーの瞳は夜の静けさに同調しているようでいて情熱が宿っていた。艶やかな黒髪は窓から差し込む月光に照らされげんそう的な色を放つ。


「な、なんでここにいるの! ジーク!」


 リリーの悲鳴にも似たさけびに、ソファーにこしけたままジークは肩を揺らして笑う。


「くくっ。いい反応だな」

「リリアンナ様。このお方は」

「侍女。いい、下がれ。そうすれば俺の訪問をすぐ告げなかったことは不問にしてやる」

「……かしこまりました。リリアンナ様のお茶を用意してまいります」

「え、あ、ちょっ」


 命令に従ったアメリアが一礼をして退室した。リリーは制止をしようと伸ばした手を彷徨さまよわせたが、諦めて握り込む。


(まただわ。ハイドもアメリアも、どうしてジークの命令に従うの? いいえ、そもそもここは私の部屋よ。どうして追い出されないの?)


 部屋の主はリリーのはずだが、我が物顔で座る彼に何も言えない。

 悶々と考えていたリリーだったが、ジークに声をかけられ我に返った。


「座ったらどうだ?」


 なおにジークの対面にあるソファーに腰掛け、質問を投げかける。


「どうしてグアルディアについて知っているの?」

「それを知ってどうする? 依頼したいのか?」


 試すような笑みにリリーは肩をすくめた。


「まさか。えんで人を殺すような真似はしないわ」

「そうか。やはりリリーはい女だな」

「そうやってすぐからかうの、どうかと思うわよ。軽すぎて本心かどうか分からないわ」

「心からの言葉なんだがな」


 ほおづえをついてリリーを見つめるジークの目は柔らかい。


「人の心には踏み込んでくるくせに自分の心は見せないの、ずるいと思わない?」

「人の話をちゃんと聞け。さっきから本心だと言ってるだろ」


 そでにされているというのに、ジークが満足そうに顔をほころばせる。その理由がリリー

には分からなかった。いや、本当は考えないようにしているだけかもしれない。


「まぁそんな所も可愛いが」


 さらりと言われ、リリーは言葉に詰まった。簡単に褒め言葉を口にするジークは顔色一つ変えていない。それがすごく気に食わない。


「恥じらいもない言葉、信じられないわ」

「そういう反応をされると期待してしまうな。思わせぶりなのはどっちなんだか」

「どういうこと……?」

「自覚なしか。まぁいい。なぁリリー。俺とけをしないか?」

 

 心の奥底を覗き込まれそうな表情に、リリーは背筋を伸ばした。


「賭け?」

「あぁ。そうだ。俺が賭けに勝ったら、リリーは俺と手を組んで俺に守られてくれ。もしリリーが勝ったらその時は、ピアスを返し二度とリリーの前に姿を現さないと誓おう」

「……そう。賭けの内容は?」

「巻き戻るか、巻き戻らないか、だ。俺は〝再び今日に巻き戻ってくる〞方に賭ける」


 いつになく真剣な声色に、リリーは心を刺す痛みに気がつかないフリをした。


「私はもう死ぬつもりなんてないわよ」

「あぁ。知ってる。俺だって死んでほしくない。それに今夜死ななければ、夜会で目に物見せるだけだろ。まぁその時、隣に俺はいないんだろうが」

「……そうね。ジークの手は借りないわ」

「本当強情だな。で、どうする? 賭けに乗るか?」


 巻き戻るということは、リリーがまた運命を変えられなかったということだ。

 リリーが自ら動けば動くほど、死の気配は近づいてくる。夜会後であったはずの死が、今は夜会の前日にズレているのだから。しかし、すでに冬空に満月一歩手前の月が輝いているため、明日の夜会を乗り越えれば死ぬ可能性は限りなく低い。


「いいわ。賭けに乗ってあげる。私はもう巻き戻らないもの」


 ジークも気がついているはずだ。リリーの勝利が目前にあることを。

 リリーの勝利――それは、死を回避した先での、巻き戻りの終わりを意味する。


「こんな賭けをしなくてもリリーが守らせてくれたらいいんだが」

「嫌よ」

「だろうな。がんなリリーを納得させるために巻き戻る方へ賭けるが、さっきも言った通り俺は二度とリリーに死んでほしくないんだ。それだけは分かってくれ」


 痛みをこらえるような切ない顔で言われてしまい、リリーは頷くしかない。

 きんちょうしていたのか、ジークがほっと肩の力を抜いた。

 静寂が部屋に降りたが、ノック音が響いたため長くは続かなかった。


「入っていいわよ」


 リリーの部屋に出入りする侍女は一人しかいない。アメリアだろうとりょうしょうすれば、扉がえんりょがちに開かれる。


(アメリアかと思ったけれど、違うみたいね)


 リリーの予想通り、入室したのは灰色の長い髪を下ろしたメイドだ。赤色の瞳を泳がせながら彼女はおずおずとほくろのある口元を動かした。


「スペンツァー様からこちらをお持ちするように仰せつかってまいりました」


 メイドの口から出た名前に、リリーとジークの眉が寄る。

 メイドが持っているのはカクテルだろう。グラスに薄いピンクの液体と氷が入っている。


「そこのサイドテーブルに運んでちょうだい」


 寝台の横まで進んだメイドが、水の入ったグラスの横にカクテルを置いた。彼女は震える手を隠すように早足で扉の前まで戻り、頭を下げる。

 メイドは頭を上げた際に初めてジークに気がついたようだが何も言わず退室した。

 彼女の足音が聞こえなくなった頃、リリーはため息を零す。


「私のていが明日には広まってそうね」

「心配ない」

「そう言われても……」

「それが理由でこんやくされたらちゃんとめとってやる。安心しろ」

「は、はぁ!? なんであなたとはんりょにならないといけないのよ!!」


 思わず立ち上がってしまい、なんとなく決まりの悪いような心持ちで落ち着かない。

 リリーを追うように立ち上がったジークが距離を詰めてくる。

 一歩引いたリリーの手を摑んだジークが自信たっぷりに笑った。


「俺はいちで、尽くす男だぞ?」

「……意味が分からないわ」


 熱をはらんだアイスブルーの瞳が、リリーを捉えて離さない。

 その瞳にられてしまったからか、リリーの胸が高鳴った。まるで木の橋を走り抜ける馬のひづめのように大きな音を立てる。


「リリー」


 とろけそうな甘い声に、リリーは肩が強ばった。


「もっと早く出会えればよかったんだがな。そうすれば囲い込めた」

「怖いこと言わないで」

「はぁ。伝わらないのももどかしいな」

「?」


 リリーの手を離したジークが、サイドテーブルへ目を向ける。


「あのカクテルは飲むなよ」

「えぇ。分かっているわ。手を震わせてしまうなんて人選ミスね」

「毒を盛られる側は、分かりやすくて助かるけどな」


 ジークと目が合い、どちらからともなく笑い合う。

 かろやかな気持ちで笑ったのはいつぶりだろうか。


「それじゃあ私は湯浴みの準備をするから」

「あぁ」


 ジークから一歩離れるが、彼は一向に動く素振りを見せない。

 着替えをしなければならないと暗に伝えたつもりだったが、通じなかったようだ。


「出て行ってくれないかしら?」

「なぜ?」

「……あなた、分かってて言ってるわね?」

「ちっ。バレたか」

「今舌打ちしたわね!?」

「ふっ。冗談はこのぐらいにしておこうか。これ以上いると平手が飛んできそうだ」


 楽しそうなジークに、リリーはじとりと目を向ける。


「何度も言うが、カクテルは飲むなよ。それじゃ、おやすみ」


 黒髪が視界を遮り、頰に生温かな感触がした。

 頰に口づけをされたと気がついたのは可愛らしいリップ音がした後だ。


「!?!?!??!?!?」


 リリーをからかって満足したのか、ジークは早々に扉から出て行ってしまった。

 一人残されたリリーは、静まり返った部屋でぽつりと呟く。


「……熱いわ」


 口づけをされた頰がっている。

 なんとか冷静さを取り戻そうとサイドテーブルまで移動し、置かれた水を呷る。


「尽くす男、だなんて必死になって……」


 ジークの言葉を思い出しながら、リリーはグラスを置いた。


「……十分伝わっているわ。気づかないわけ、ないじゃない」


 誰に聞かせるわけでもなくリリーは本心をする。


「私だって、殿下よりも先に会いたかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る