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*****



 スペンツァーの執務室に足を踏み入れたリリーは、あまりのきたなさにたじろいだ。

 足の踏み場がなく、廊下から続いているはずの大理石の床は見えない。

 書類や書物は床に散乱し、ほんだなにはほこりが積もっている。

 元は来客用にと用意されたであろうローテーブルやソファーもすでに物置と化していた。

 ローテーブルにはやりかけのチェスやトランプ。何年も前の決議書が放置されている。

 ソファーも同様で、ぎっぱなしの服や、何に使ったのか分からないような黄ばんだタオルなどが放置されていた。おそる恐る執務机まで足を進める。

 開いた窓から陽光に照らされたじゅうこうな執務机はもはや仕事ができる状態ではなかった。

 書類や書物が雑に積まれ、机に置くことがはっしょくだいも置かれている。

 スペンツァーが執務を行っていないのは明白だ。しかしさんの燭台には最近使用されたけいせきがあり、リリーはいぶかしげにそれを見た。


「まったく。こんな所でろうそくを使うなんて危ないじゃない」


 呆れながら机の上に目をやり、リリーは絶句した。


うそ。まさか、まだ……?」


 机の上には幼児向けのがんちんしていた。記憶に残っていた物と全く同じそれに、リリーはぞっとしてしまう。


「十八にもなってまだ一人遊びを……? 国王陛下がほうぎょされたらこの国は……」


 もしリリーがおうとなったとしても、リリーだけではスペンツァーをかばいきれない。むしろ、スペンツァーがリリーの言うことを聞かずに好き勝手する可能性が高い。

 その時いさめてくれる従者でもいればいいが、今もスペンツァーが思うままに動いているということは従者にも期待できないだろう。


「これがぞくに言うどろぶねってやつかしら。……この中から嘆願書を探し出すのは至難のわざね。はあ。仕方ない手当たりだい探すしかないわ」


 不敬罪にもなりかねない言葉をこぼしながら、リリーはほうもない量にげんなりしつつ、執務机の上にある書類一枚一枚に目を通していく。

 半分ほど目を通したころピタリと手を止めた。


「ラングレー領付近のかいどう整備案にラングレー川のぼうてい改修工事案、ねぇ」


 次々と出てきたのはラングレー領に関するそうあんだ。草案が一案だけであれば何もしんに思わなかった。しかし、ラングレー領はミアの生家が統治している。疑うのは当然だろう。

 冬になると人の高さまで雪が降り積もるラングレー領は決して豊かな土地ではない。

 作物が育たぬ土地ゆえに、家の中でできる仕事が主で金属の加工や装飾品の加工、刺繍などが税収を支えている。だがおとずれる人も少なく、年々住む人々も減り続けている土地に街道整備は不要だ。


「まったく……」


 さっと目を通した可決済みの書類に思わず笑ってしまう。

 王都への通行税および王都通行時の検問めんじょ。金銀銅などのさいくつ許可。酒類の税免除。

 一見ラングレー領に関係のあるものばかりだが、リリーは違和感を覚えた。


「採掘は問題ないとして、色々免除されているのはどういうことかしら? 免除しなければならないほどこんきゅうしているようには見えなかったけれど」


 先刻会ったミアは困窮している人間の顔ではなかった。

 つやのある髪や肌、あかぎれのない指先はむしろめぐまれているしょうだ。

 有名な針子のドレスにいたっては、オーダーで作るとなると金貨百枚はくだらない。


しんせいが通るほどに困窮しているなら、ドレスも装飾品も真っ先に売るでしょう」


 机の上を確認し終わり、リリーは引き出しに手を伸ばす。

 一つ一つ開けていくが、引き出しの中には何一つ書類が入っていなかった。

 散らかりきった部屋と空っぽの引き出しのアンバランスさに、リリーは首をかしげる。


「……こういう物にはたいていけが……っと」


 開けた引き出しの底を一つずつ叩けば、一番下の引き出しの音が明らかに違った。底の端を押せば、簡単に底が開く。

 隠された底には、ていねいに整えられた書類の山と、ひもくくられた手紙の束が鎮座していた。


「不用心ねぇ。二重底に隠すってわるは働くのに、バレないようにカムフラージュすることは思いつかないなんて。バカなのか、用心深いのか……。ん?」


 呆れながらも、リリーは引き出しから書類と手紙を全て取り出す。

 その際に指先に硬い物が当たった気がしたリリーは、それを拾い上げた。


「なぜ旧モントこうがここに……?」


 手に取ったそれは、たか紋様のモント金貨だ。


「旧硬貨は全部回収したってジークが言っていたのに……。まさか…… !? 」


 嫌な予感に息をらすように見つめた後、金貨を窓の外にかざす。


「――っ!?」


 開けっ放しの窓からナイフを振り上げた赤い侍女服のアメリアがせまる。

 見覚えのあるナイフを持つ彼女に、リリーは一瞬反応が遅れた。

 かんいっぱつのところでけたリリーだったが、体勢をくずして床に転がってしまう。あっと思った時にはおそく、旧モント金貨が手から滑り落ち、どこかに転がってしまった。


(焼け落ちるカジノで私達を襲ったのは……)


 リリーの視界で真っ赤なスカートが揺れる。それはかすれた視界で見たものと同じだった。

 積み上げられた書物をなぎ倒してしまい、頭を庇ったうでや背中が痛む。しかし、泣き言を言っている場合ではない。

 今、この時、一秒のすきも許されないとリリーは立ち上がった。


じゃない。殿下の執務室でものを振り回しちゃ」


 むちった体から悲鳴が聞こえる。だが、悟られないように普段通りの声色で話しかけた。

 感情の読めない灰色の瞳がリリーを見つめる。


「ここがたいとう禁止区域なのは知っているでしょう? しょばつが望みなら別だけれど?」

「……関係ありません。私がしいのは、リリアンナ様のお命ですから。おかくを」

「今まで襲ってこなかったのにどうして今なの? ……なんて聞く気はないわ。当ててあげましょうか? 二重底に気がついたから、でしょう?」


 リリーの言葉を合図に、アメリアが飛びかかってくる。

 ただやみくもに突っ込んでくるだけ。ずいぶんとリリーはめられているようだ。


「あらあら。図星かしら? それと、あまり見くびらないでほしいわね!」


 刀身の短いナイフは小回りがくだけでリーチはない。それを逆手に取り、迫ってきたナイフをり上げた。痛みにひるんだ彼女の横をすり抜け、距離を取る。


(ナイフを落とさないどころか表情すら変わらないなんて、流石は暗殺者ね)


 アメリアは眉一つ動かさず、侍女服の中から新しいけんを取り出した。

 その際にどこかへ忍ばせたのだろう。彼女の手にはすでにナイフはにぎられていない。

 アメリアが一振りすればちょうけんに早変わりした。


(小回りの利くナイフを捨ててリーチのある長剣に変えた。絶対に逃がさないつもりね)


 ナイフであれば余裕のあった間合いが覆された。数歩詰めれば間合いに入ってしまう。

 リリーはさらに距離を取るためあと退ずさる。だが、すぐに執務机にかかとが当たった。


「っ!」


 あしもとに気を取られた一瞬で距離を詰められ、長剣が眼前に迫る。

 とっに手近な物を摑み、自身と長剣の間にそれを滑り込ませれば、ガキンッと金属同士がぶつかる音が部屋に響いた。


「なっ!?」

「私に防がれたのがそんなに意外?」


 ざんげきを受け止めたのは三叉の燭台だ。

 勝ちほこった顔をするリリーにいらちを隠せないのか、アメリアがき捨てる。


ざかしいをっ!」

やみちが本分の暗殺者あなたには言われたくないわ」


 つばり合いになる前に距離を取ろうとしたリリーだが、アメリアにられてしまった。

 力をかけられ、燭台がみしっと嫌な音を立てる。蝋燭が刺さったままの燭台は武器にするにはこころもとない。力をかけ続けられると簡単に折れてしまう。

 重心をずらし、アメリアの体勢がわずかにかたむいたしゅんかん、彼女の横を抜ける。

 横ぎがリリーを追ったが、それは拳一つ分届かない。しかし、素早い動きについて来られなかった蝋燭が一本床に転がった。蝋燭を固定するための細長い金属が姿を現す。


「私を殺せって命令したのは殿下かしら?」

「知ったところで、ここで死ぬのですから意味がありませんよ」

「そうとも限らないわよ?」


 強気に笑ったリリーは、一度離れた間合いを一足飛びに詰める。勢いをそのままに突きを繰り出すが、簡単に避けられてしまう。

 トリッキーなリリーのすじは、アメリアをほんろうするには十分だった。だが二人の得物がしょうとつを繰り返し、ついにごとりと二本目の蝋燭が落ちた。


(もう少しで武器が使えなくなると思ってから、太刀筋が単調になってきたわね。そうよ、もっとあせりなさい。早く決めようと焦るほど剣筋が単純で分かりやすくなるわ)


 時間がかかればかかるほどリリーにとって都合がいい。

 数度やいばを交え、最後の蝋燭が折れた。

 好機とばかりに足下から長剣が迫る。リリーはすんでのところでのけぞって避けるが、ミルキーホワイトの髪がはらりと散った。気にもとめず、そのままバク宙で距離を取る。


「もうおしまい?」


 余裕の表情を作り、リリーは笑う。ハッタリも、せいも、どれだけでも張ってみせる。

 せんとうにおいて駆け引きは一つの戦略でしかない。


「ちょこまかとっ……!! 逃げ回っているだけのくせに」

「敬語が外れているわよ。気をつけなさい」


 わざとアメリアをあおるような言葉を選べば、彼女はちょくに飛びかかってきた。

 長剣を受け止めたリリーは初めて鍔迫り合いに応じた。力加減を調整しきんこうを保つ。

 素早く足下を確認し、均衡を崩すようにリリーはこんしんの力を込めて押し返した。

 一度も押し返されなかったアメリアは油断していたのかほんの少しだけよろめく。


(今!!)


 燭台に刃を滑らせ、鍔迫り合いから抜け出した。長剣が顔の横を掠める。

 目を見開いたアメリアに、リリーは燭台を突き出した。

 アメリアに触れる寸前。長剣の平部分フラーで防がれてしまう。

 勝ち誇った顔で笑ったアメリアが一歩踏み出す。


「残念でし――っ!?」


 転がる蝋燭に足を取られたアメリアはバランスを崩し、目に見えた隙をさらした。

 長剣をはじき飛ばし、彼女の首元に切っ先を突きつければ、め付ける灰色と目が合う。


「観念なさい」

「っ、誰が!」


 アメリアは最後のていこうと言わんばかりにそでぐちからナイフを取り出した。

 せきずい反射のごとく彼女の手を踏みつけ、無力化する。


(私を二度も死に追いやったのは、あなただったのね。アメリア)


 王国に来た時から、ずっといっしょだった。かみなりの日は一緒にしんしょくを共にしたこともある。

 気の置けない仲だとリリーは勝手に思っていた。スペンツァーが見つけてきた侍女だと知ってもその気持ちは変わらなかった。行動がスペンツァーにつつけだったとしても、当然だと受け入れ、大きく感情が揺さぶられることはなかった。


(なのに今、私はとってもおこっているわ)


 おのれの心に渦巻く激情に、リリーは驚いていた。ふつふつとき上がってきた胸の苦痛をそのままアメリアにぶつけられたら、どれだけよかっただろう。

 しかしリリーが長年受けてきた淑女としての教育が直情的な行動を止めていた。


(私を裏切ったことは、この際どうでもいいわ。だけど無関係のジークを巻き込んで、あまつさえ殺したこと、とうてい許せるはずがないわ)


 抵抗のないアメリアへと視線を落とせば、彼女はじっとリリーを見つめていた。

 出会った頃から何一つ変わらない彼女の表情に、逆立っていた感情が少し落ち着く。


(アメリアは、まだ私もジークも殺していない。私の怒りを今のアメリアに向けるのは、違う気がするわ。そうよ。今のアメリアの罪は私を襲おうとしたことだけ)


 小さく息を吐けば、ぐちゃぐちゃにかき乱された心にせいじゃくが戻ってくる。いだ心で考えれば、すぐに結論が出た。


「あなたには二つのせんたくがあるわ。一つはろうごくしょけいおびえながら暮らすこと。もう一つは、今この場で私に忠誠をちかうこと」

「……は? 正気ですか? わたしはリリアンナ様を殺そうとしたんですよ?」

「私がだまっていれば誰にも知られないわ。それにあなたの力を失うのは惜しいもの」


 アメリアの瞳がこんわくに染まる。


「どうしてそこまで……」

「……きっとまいのように育ってきた侍女に、情でもいたんだわ」

「おひとし」

「さっきも言われたわ」


 目を泳がせるアメリアに、とっておきの言葉をかける。


「お給金は今の倍出すわよ。決して悪い条件ではないと思うのだけれど?」

「! 分かりました。スペンツァー殿下のことは忘れ、リリアンナ様に忠誠を誓います」


 食い気味に頷いたアメリアに、リリーはしょうを零す。


「決まりね」


 アメリアに突きつけていた燭台を下ろす。念のため弾き飛ばした長剣を拾い、見よう見まねでたたんだ。小さくなった長剣をドレスの中へと隠す。

 立ち上がったアメリアに、もうひとししておこうと声をかける。


「前金としてこのネックレスと指輪を渡すわ」


 身に着けていた装飾品を外してアメリアに渡せば、彼女はにんまりと笑った。


「これほどの品ならディア金貨五百枚はくだらないですね。約束通り、リリアンナ様に誠心誠意くさせていただきます。お金は裏切らないですから」

「今後のお給金についてはまた話しましょう。いいかしら?」

「もちろんです」


 リリーが部屋へ視線を戻せば、二人が暴れたえいきょうで足の踏み場もなくなっていた。


「私はもう少し探し物をするから、この部屋を元の状態に戻してちょうだい。あと誘拐事件被害者の会からの嘆願書があれば私に持ってきて」

ぎょ


 しんちょうに執務机に戻ったリリーは、せき的に無事だったじょうの書類に目を通す。

 二重底から取り出した書類は全てラングレー領に関する物だ。それだけでスペンツァーのしゅうちゃくが見て取れる。ただならぬしゅうしんにリリーはすでに背筋がこおりそうだ。


(ってことはこの手紙の山は、やっぱりラングレー令嬢とのこいぶみよね……)


 手紙の山に手を伸ばし、束ねている紐を解く。


(あらあら? このふうとうは私が使っている物と同じものじゃない。それにもんなし?)


 本来であれば手紙のふうろうには家紋のいんを押す。


(差出人は……。やっぱり無記名だわ。中を確認したいところだけれど、他人の手紙をぬすみ見るしゅはないし……。でも私が使っている封筒ってところが気になるのよね)


 手紙を見つめ、どうすべきかと頭を悩ませる。

 リリーの愛用するレターセットは公国でのみはんばいしているものだ。リリーは取り寄せているが、王国内から入手するのは困難だろう。


(わざわざ取り寄せてまで同じ物を使うなんて……やましいことがありそうじゃない?)


 封筒はすでに開けられているため、リリーが中身を見たとバレないだろう。

 つばを飲み込み、覚悟を決める。

 便びんせんを取り出せば、バラの香りが広がる。便箋にこうすいをかけているのだろう。

 たったそれだけで、リリーは差出人が誰なのか理解した。


「……ソフィアお姉様」


 公国の第一公女であり、リリーの姉であるソフィアが愛用している香水のにおいだ。

 この香水は、母の名をかんしたバラを使ったゆいいつの物だ。


(特注品で使用者はソフィアお姉様だけだとまんしていたわね)


 ソフィアとは母がぼっした時から夜会以外で顔を合わせることはなかった。

 姉妹仲は良くないだろう。しかし、たった一度だけソフィアから手紙をもらったことがある。それはソフィアが王国に近い辺境の領主になったという内容だった。返事をしたが、文通が続くことはなかった。最初で最後の姉妹の手紙をリリーは今でも大切にとってある。


(どうしてソフィアお姉様と殿下が手紙のやり取りを? ラングレー令嬢ではなく?)


 二つ折りに畳まれた便箋を広げる。

 二枚にわたってつづられていたのは、身をがすほどのれんだ。

 言の葉に乗せた愛があふれ出んばかりのポエムに、リリーの頰が引きった。

 一文字のかんかくが開いているが、見た人間がずかしくなるような文面を考えながら書いているとしたらなっとくだ。


(まさかソフィアお姉様の恋文だったなんて。もしこの手紙が見つかっても、無記名なら私が出した物だと思うでしょうし……)


 リリーの眉間に皺が寄る。

 自身の愛用するレターセットが姉のこいごころの隠れみのとして利用されるとは想定外だった。


(用意しゅうとうだわ。そんなに殿下をおもっているの? 妹のこんやく者よ? 噓でしょ?)


 リリーにはスペンツァーのりょくが分からなかった。しかし、ミアに続きソフィアまでもがしんすいしている。これほどちがいであってほしいと思ったことはない。


「リリアンナ様」

「きゃあ!?」


 真横で聞こえた声に、リリーの肩が大きくねる。ソフィアのよこれんまどうリリーは、声をかけられるまでアメリアの接近に気がつかなかった。

 声がした方を向けば、呆れた顔のアメリアが手に書類を持ってたたずんでいた。

 彼女の言いたいことは分かる。先ほどまで命のやり取りをしていたのだ。けいかいしなくてもいいのかと灰色の瞳が言っている。

 もちろんリリーは手紙を読む前までは警戒をしていた。しかし、ソフィアの手紙は警戒を忘れるほどの衝撃だった。


「こちらを」

「これは……嘆願書!! おがらよ、アメリア」


 差し出された書類を受け取るため、そっと手紙を元に戻す。リリーはじっれんあい事情を知りたかったわけでも、ましてや秘めた想いを暴きたかったわけでもない。


執務室ここに来た目的は嘆願書だもの。これ以上この手紙を読む必要はないわ)


 探していた嘆願書を受け取れば、その他の書類も重なっていた。

 書類をめくり、目を通したリリーは言葉を失った。

 有名な針子からのこうにゅう証明書だ。せいきゅう先はスペンツァー。届け先はミアとなっている。

 脳裏に浮かぶのは、純白のドレスを着たミアだ。


うらやましいとは思わないけれど……)


 アメリアが心底嫌そうな顔で大きなため息をついた。


「こんなにお金があるならもう少しお給金を上げてくれてもいいのに」


 彼女らしい物言いに、リリーは思わず口元が緩む。


「そうね、たった一人にこんな大金を使うよりも……」


 書面に書かれた金額を改めて確認し、目をいた。


「ちょっと待って。こんな金額、殿下の私財でもまかないきれないわよ。殿下の予算だって使い切る悪いクセのせいで少ないし……。絶対足りないわ!」


 幼い頃から計画性のないスペンツァーにあたえられる予算は年々少なくなっていた。

 直接スペンツァーに渡される予算はじゅう達が必要な予算を引いた残りだ。


「いったいどこから、こんな大金が……?」


 小国であれば財政が傾いてしまうほどの金額を、スペンツァーはミアにぎ込んでいる。世が世なら彼女はけいこくおとと呼ばれたことだろう。


「あ、こちらも落ちていましたよ」


 手渡されたのは一枚の旧モント金貨だ。リリーが金貨を受け取ると、アメリアはまた作業に戻っていく。

 その様子を横目で見ながら、しゅうげきにより確認しそびれた紋様を改めて確認した。

 足下から上ってくる寒気が背筋に張り付く。

 そんなまさか、という感情と、納得する感情が交じり合い、胸中を渦巻いた。


(私財では賄えないドレスの金額に、贋金。それにジークのあの言葉……)


『旧モント硬貨は全て回収済みでな。国際社会では使えない。だというのに、まだ手元にある旧モント硬貨で取引したいと言っている国が一つあった』


 ジークを疑っていたわけではないが、このような形で彼が正しいと理解することになるとは、リリーは想像もしていなかった。


(もし殿下が主犯なら全て説明がつく。あら? 贋金を使っているのはカジノも……)


 もやがかかっていた思考が晴れるような、つじつまがようやく合ったような感覚だ。

 思考が口から零れ落ちる。


ていこくかんかれたから燃やした……? 私に全部擦り付けるために……?」


 一度目の生で告げられた罪は、全てをリリーに押しつけるためだったのかもしれない。

 嫌われている自覚はあったが、まさか自らの罪を擦り付けるほどだったとは。


「そう。私ってそんなに都合のいい女だったってわけ。じょうだんじゃないわ」


 怒りにも似た気持ちが心の一角に燃え上がる。

 リリーはこうぎょくのような瞳を強気に光らせて、不敵に笑った。


「上等じゃない。絶対に思い通りになんてさせないんだから!」


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