第二章
2-1
(いまのは……?)
リリーはがばりと起き上がり、自身の胸を
まさかと思い左耳に
「また付けてる……。これもピアスの力なの……?」
じくじくと頭の
何度も見る夢に、何の意味があるのだろうか。
リリーはサイドテーブル側に座り直し、グラスを持ち上げた。
水がなみなみに注がれたグラスに目を落とし――手からグラスが
グラスが派手な音を立てて割れるが、
「……え?」
「―― ない」
両耳で
「どういうこと? ピアスを外した覚えなんて……」
(ジークに
リリーは自身に起きている現象を理解できなかった。
混乱する頭のまま
彼は
絵画のように美しい光景に、リリーは
「こっちに来ないのか?」
少し
彼の元へ足を向け数歩進むが、旧知の仲であるかのような口調に
しかしそれ以上に喜びと苦しみが混ざった気持ちで、彼に近づくことすらままならない。
(どうして、ジークがここにいるの)
向けられた瞳と重なるように、生気のない目を思い出してしまう。
「おい。
「ちょ、ちょっと、あなた、ここがどこか分かっていて……っ」
ずんずんと近づいてくる彼は、リリーの声など聞こえないと言わんばかりだ。
「分かっている。ここが
わざとらしく言葉を区切ったジークが、リリーの前に
彼の両手が、リリーの両手を包み込んだ。
「いてもたってもいられなかったんだ。心からの感謝を伝えたくて」
「……感謝?」
「リリーがやり直す機会をくれたから、今、俺はここにいる」
「や、やり直す、って」
頭を
寒気が体を支配し、リリーの体が
そんなリリーを安心させるように、ジークが
「一度死んだ俺をリリーが救った。だから今度は俺にリリーを護らせてくれないか?」
「死、んだ……?」
》きつけられて、脳が理解を
「俺は死んだだろう? カジノで襲われて
「そんな」
「リリーがくれたこのピアスのおかげで、こうしてここにいる」
ジークが横髪を
(ピアスを渡したのは夢じゃ……? 夢じゃないなんてこと、あるはずない。だって、夢じゃなかったら、あれは、あの感覚は、本当の、死……?)
立っているはずがぐるぐると回っている感覚。呼吸が満足にできず喉から変な音がする。
「っ!? リリー!」
あまりにも受け入れがたい話に、リリーは現実から
*****
再びリリーが目を覚ましたのは、
見慣れた
「お目覚めですか? リリアンナ様」
起き上がったリリーはカーテンを開けるアメリアに目を向ける。
開いた窓から入る寒風が
リリーの背がざわりと
(あれは……!?)
見覚えのある赤を
「リリアンナ様。いつグラスを割られたのですか?」
「……え?」
アメリアの視線を追い目に付いたのは、床に散らばるガラス
(ジークの言うことが本当なら、私は二度死んだってこと? その度に時間が巻き
心臓の音がうるさい。冷や汗が止まらず、リリーは
(私が死ぬ定めなら、ジークはただ巻き込まれただけ……)
安直なリリーの行動のせいで、関係のないジークを巻き込んだことになる。
リリーが死ぬことは、予定調和というものだろう。どれだけ
だからこそ、人はそれを運命と呼ぶ。
(っ、気持ち悪い)
みぞおちから何かが込み上がってくる。寸前のところで飲み込み、口を手で
アメリアがリリーの顔を
「あまり顔色がよくありませんね。……確か今日の
聞き覚えのある言葉は、同じ時を
リリーは
「だ、大丈夫よ。問題ないわ」
「そうですか? では本日は予定通りお過ごしください。スペンツァー様からは移動をする時は手早く。執務室から出ないようにと
「えぇ。わかったわ。申し訳ないけど新しい飲み物を持ってきてちょうだい」
頭を下げ退室したアメリアを見て、リリーは
城の一番
一人きりになったリリーは、自分を
「本当に、時間が巻き戻っているとでも言うの? だとしたら、
脳裏に
「これ以上、ジークに何を求めるっていうのよ。また巻き込んでしまうわ」
「誰に何を求めるって?」
いきなり聞こえてきた声に、リリーはばっと顔を上げる。
声が聞こえた方向を向けば、気の抜けた
「元気そうで安心した。いきなり
「あなたね……。本当にここがどこだか分かっているの? 見つかれば
リリーが
「知ってる。だから見つからないよう侍女が退室するまで待ってたんだろ」
「私には見つかってもいいの?」
「リリーは俺を突き出したりしないだろ? それに
暗に部屋の周りに警備がいないと
(厳重な警備を抜けてくるなんて……。それだけジークが
力量差を正しく判断したリリーは
「ピアスを返してくれたら、
「なぜ?」
「なぜって、それはあなたの物じゃないでしょ」
リリーの言葉が意外だったのか、ジークは
同じソファーに座り、当たり前のように
「いいや、
「もう助かったでしょう? だから返して」
「やだね」
楽しげに言われ、リリーはむっと眉を
「私に関わらなければあなたは死ななかったのよ?」
「俺の目的は言ったはずだ。
「っ、ただの
「まぁな。だが手放すには
左耳のピアスを
「クロノス様の加護……? どうして分かったの?」
「ん? あぁ。ピアスの奥で今も不自然に光っているだろう? クロノスの
ピアスを外したリリーがアレキサンドライトを覗けば、本来の輝きとは違う色でクロノス神を表す紋様が光っていた。
ふと初めて巻き戻った際、ピアスがいつもと違うと違和感を抱いていたことを思す。だがリリーは追求しようとしなかった。
「こういう類いの物には何か発動条件があるはずだ。心当たりはないか?」
「……そうね。このピアスを母から受け
この現象が少しでも解明できればと、母から聞いた話をかいつまんで説明する。
語り終わると同時に、ジークはなるほどと
「発動条件はリリーの願いだろうな。おそらく紋様が浮かんでいる間は願いが果たされていないとみなされて、巻き戻るんじゃないか?」
「私の、願い……?」
「あぁ。リリーの願いは何だ?」
初めて体験した死を思い出し、リリーはぶるりと震える。
心の奥底を
「……私の手で幸せを摑んでやるって思ったわ」
「ふっ。リリーらしい願いだな。幸せにしてほしいんじゃなく、自らの手で幸せを摑むと。リリーはやはり俺の予想を上回ってくる」
「な、なによ、
意味ありげな
不意にジークの手が
「貸せ。付けてやる。動くなよ」
「あっ」
ジークの手が耳に触れ、
「なぁ。リリーを幸せにするまで俺は文字通り死んでも死にきれないわけだが」
「ピアスを返せばいいだけじゃない」
「なんで俺にピアスを渡したんだ? 渡さなければいけないと思ったんじゃないのか?」
「っ」
「リリーが俺を選んだ。それには意味があるはずだ。同じ時を過ごせる理由が」
「それは……」
耳からジークの手が
「今度こそ守ってみせる。二度と
差し出された手は、リリーの意思を問うものだろう。
(きっと、ジークの手を取れば、とっても
リリーは差し出された手を
「お断りよ」
叩かれるとは思ってもみなかったのかジークは少し口を開けて驚いていた。しかし、数秒もかからず我に返ったジークが肩を震わせ笑い始める。
初めて見るあどけない少年のような笑みに、リリーは顔が熱くなるのを感じた。
「くくっ。リリー、やっぱあんた最高だな」
「笑ってないで早くピアスを――」
リリーの声を
思わず固まってしまったリリーの手をジークが取る。彼は流れるような仕草でリリーの手のひらへ口づけを落とし、自身の顔を
「!!!???!??!」
されたことのないスキンシップにリリーの全身から
ジークはいたずらが成功した子どものような顔でにやりと笑った。
「
そう言い残してジークは窓の外へと姿を消してしまう。
放心状態のリリーが我に返ったのは、
*****
アメリアが持ってきた水で喉を
リリーが向かうのは、スペンツァーの執務室だ。
(巻き戻っているのが本当なら、
「あれ、
「そうか? 一ヶ月前からあの調子だろ。問題ないと思うが……」
「どうしたの?」
「リリアンナ様!」
体を
窓の外へ目をやり彼らに問いかけた。
「……あの人達って
「いえ。自分達は何も……」
「そう。ありがとう」
「いえ! では私達は見回りに戻りますので、
騎士二人が遠ざかる足音を聞きながら、リリーは改めて窓から城門を見下ろした。
集まった民衆の真ん中で、門番に
必死に
(ジークは贋金と誘拐事件は関連性があるって言っていたけれど、こういう形で調べているのね。嘆願書を出すことで、国家ぐるみかどうかを
リリーがレヴェリーから目を離そうとした、その時。レヴェリーの目がリリーを捉えた。
「今、目が……合った……?」
あまりにも
リリーは前回、城門前で一度見ているからレヴェリーだと確信しているにすぎない。そのため、たまたまだと結論づけて執務室へと足を進めた。
(というか、内政
げんなりとした心を隠し近づく。するとリリーに気がついた護衛が慌て始めた。
(護衛に責はないのだから、そんなに青ざめなくても)
スペンツァーが貴族のお忍びといった服装でミアの肩を抱いている。
有名な針子独特の
至近距離にいるリリーに気づかない彼らに声をかけた。
「殿下。ここがどこかお忘れですか?」
「な、リリアンナ!? なぜここに!?」
肩を
「殿下。私に隠していることがあるでしょう?」
「は、な、なんの話だ」
少しぎこちない動きで
「初めまして。リリアンナ様。ミア・フォン・ラングレーと申します」
リリーが
「リリー様はスペン様を信じていないんですか!? スペン様が
「ミア……!」
スペンツァーが感動したように
「あなたに
リリーは厳しい目をミアに向けた。それだけで肩を震わせる彼女は、
(ほんっと、私とは正反対な方ね)
リリーはため息をついて、スペンツァーへと向き直る。
「殿下。誘拐事件の被害者家族から嘆願書が届いていると聞きました」
「僕はなにも隠し事なんて……。は?」
「ですから、嘆願書です」
「……な、なんだ、そのことか」
ほっとした様子に、リリーは嘆願書以外にも隠していることがあると
「どこにあるのですか? 私が処理します」
「……いいだろう。僕の執務室だ」
「ありがとうございます。あともう一つ。その方を
リリーの直球な言葉にスペンツァーはみるみる顔を真っ赤に染め、
「ミアが側妃だと……! お前が
「私が正妃になるのはすでに決まっていることです。いまさら
返す言葉もなかったのだろう。スペンツァーは白色の瞳を吊り上げ
「お前のそういうところが
生まれ持った容姿に文句を言われたところで変えようもない。
リリーが呆れていると、スペンツァーがミアの手を摑んだ。
「行くぞ、ミア。予約時間に遅れてしまう」
ミアの手を引いたスペンツァーはリリーの横を通り過ぎていく。
リリーは二人の背中を見ながら、先ほどのスペンツァーの態度に疑問を抱いた。
(逆ギレするのはいつものことだけれど、口を滑らせることもなかったわね)
疑問が
(もしかしてまだ私を殺すことは決まっていない? それとも私を殺そうとしているのは、殿下ではないの……? 私が死んで得をするのは殿下とラングレー
誰もいなくなった廊下で、リリーは何とも言えない
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