第一章

1-1


 ディアマント王国。その王都にある王宮内でせいだいな夜会が開かれていた。

 けのてんじょうからるされたシャンデリア。光を反射するみがき抜かれた大理石のゆか

 ホールの奥にはぎょくが設けられており、夜会のしゅさい者であるディアマント国王夫妻が目の前でおどれいじょう達に目を向けていた。音楽家がかなでる音楽にあわせて色とりどりの花々がくるくるとほこる様子は、招待客の目も楽しませてくれることだろう。

 王家主催時にのみ許された純白のテーブルクロスには銀の食器が並べられ、一口大のケーキやみずみずしい果物が盛られている。

 使用人が配るワインも銀のグラスに注がれており、食器という食器は全て銀製の物が使われているのが一目でも分かった。

 毒が混入すると色が変わる銀は、とうとい身分であればあるほど重宝する物だ。だからこそ

よいの夜会では使われている。

 なぜならこの夜会は、モントシュタインていこくの新こうていを招いたものだからだ。


(でも私は新皇帝の容姿もねんれいも何も知らされていないのよね)


 ディアマント王国第一王子のこんやく者である、リリアンナ・フォン・リュビアンは使い慣れない銀食器を手に周りをわたす。しかし、皇帝らしい人はまだ見当たらなかった。

 代わりに目に入ったのは、母と同じマルベリー色のかみだ。

 いっしゅん姉――ソフィアと目が合ったが、彼女は独特なバラの香りをただよわせて招待客にまぎれてしまった。


(相変わらずね。……あ、食事をしているからかしら?)


 だれも手を付けない食べ物を手にするリリーは明らかにいている。実の姉であれど、ぽつんとたたずむリリーに声をかけたいとは思わないだろう。

 フォークを口に運んだしゅんかんに、遠巻きでくすくすと笑う声が聞こえた。


流石さすがばんぞくひめだわ。いやしいったら……」

「あんな野蛮人が次代のおうだなんて……。ねぇ?」

「そうそうバルコしゃくも蛮族をめとっていたわ。社交界に出てこない娘も赤い目だとか」


 いやねぇと笑う声に、リリーはまゆを寄せた。


(卑しいのはどっちよ。リュビアンのたみを蛮族だなんて馬鹿にして)


 口から出しそうになった言葉を食事といっしょみ込む。

 それはリュビアン公国に住む人々のべっしょうだ。

 公国に住む民は、男女問わず一人歩きを始める一さいごろから乗馬をたしなみ、二歳頃にはけんじゅつと戦術を学ぶ。一度戦火を交えたことのある国は口をそろえて『いっぱん市民までもが軍略を骨のずいまでみつかせたせんとう民族』と評する。

 第四こうじょであるリリーも例外ではない。

 ゆえに、馬術や剣術は男性がするもので、女性はつつましくおだやかに、という価値観の根強い王国民とはあいれないのだ。


(私がひとじちでなければ、今すぐにでも泣かせてやるのに)


 王国と公国でわされた和平条約によって、リリーは王国へと差し出された。

 表向きは第一王子の婚約者という立場をあたえられたが、人質は人質。政略と打算に満ち

た婚約に愛などない。

 貴族達がべつ的な言動を取るのも、彼から見向きもされていないと理解しているからだ。


(でも私がはんこうして戦争が起こってしまったら……?)


 想像しただけで背筋にひやりとしたかんが走る。


(私が殺されるだけならまだマシよ。でも、私の死が戦争につながってしまう。そうなって

しまったら、私はリュビアンの民に顔向けできない。たとえ公主のむすめと認めてもらえなく

ても、一国の姫として責任を持たなくては)


 第四公女であるリリーだが、公国ではいないも同然のあつかいを受けていた。

 公国の統治者一族は、髪とひとみの両方に赤色のしきさいを宿す。だというのに、リリーは色素のうすいミルキーホワイトの髪を持って生まれてしまった。瞳は父ゆずりのいろであったが、髪に赤が宿らない時点で存在価値はない。

 不義理の子だと三日三晩食事を与えられないことや、授業中少しちがえただけでせっかんされるなどの行き過ぎた制裁が日常的に行われた。

 はじめは誰にも気づかれぬようコッソリと。しだいに過激になっていったそれは、リュビアン公の耳に入るほどになったが、父がとがめることは一度もなかった。

 むしろ、父が見て見ぬフリをしたことではくしゃがかかったとも言える。

 リリーには同腹の姉がいたが、たいぐうして変わらない。いな、リリーが生まれるまでは何不自由なく生活していた分、使用人や父の手のひら返しにまどったことだろう。

 髪と瞳に赤を宿して生まれたソフィアは、リリーが生まれるその日まではさげすまれること

なく温かな食事を囲み、家族と笑い合っていたのだから。

 公主の娘としてじることのない容姿を持ち、幸せな日々を送っていたソフィアを何度うらやんだか分からない。

 だからこそ、リリーは人質としてのよめりを受け入れた。

 婚約相手が自身を見てくれることを願って。


(まぁ、そんな望みも打ちくだかれたのだけれど。今はただ、このまま私が王妃になるまで

何事も起きなければそれでいいわ。王妃になれば簡単には手出しできなくなるもの)

 婚約により公国から抜け出したリリーは、王国の待遇に多少の不満はあれど、表だって不満をらそうとは思わなかった。

 たとえ婚約者から一度もおくり物がなくても、流行おくれのドレスしか与えられなくても、王族にあるまじき質素な食事を出されても、全て飲み込んできた。かつての母のように。

 母の形見であるアレキサンドライトのピアスは、今もリリーの耳元でかがやきを放っている。


(ピアスが幸せを教えてくれるなんて、本当かしら?)


 内心ため息をこぼしながらリリーは自身のドレスに目を落とす。

 流行が過ぎたオレンジのドレスには、フリルやレースがふんだんにあしらわれていた。

 誰がどう見ても、身長が小さくわいらしい令嬢に相応ふさわしいドレスだろう。一般女性よりも身長の高いリリーには似合うはずがない。

 せめてもと高さをひかえめにしたヒールをいてしてみても、焼け石に水だった。


(純白のドレスだったら、いいえ。私が認められていれば……)


 王族に連なる者のみ着ることを許されたきんじき。それが純白だ。

 リリーに純白をまとうことが許されていれば、うれう必要もなかった。


(たとえ認められていなくても正式に私が殿下とけっこんすれば、きっと純白を着られる。そうすれば私を蔑む目も少なくなるはずよ。結婚まであと数年じゃない)


 今の待遇をかんがみれば、結婚しても待遇がよくなるとは考えにくい。大切な夜会でも、婚約者からエスコートされない現状を見れば、火を見るよりも明らかだろう。

 だが、リリーの居場所は婚約者のとなりしかないのだ。どれだけ軽視されようとも、不満を

漏らさず逆らわない公女であるのが、リュビアンの民のためになるのだから。


(さて、エスコートも満足にできない未来のだん様はいったいどこにいるのかしら?)


 食器を使用人にわたしたリリーは、国王夫妻へと目を向ける。

 するといつものやさしげな目元はり上がり、厳しい視線を返されてしまった。


(あらあら? 私、何かしたかしら?)


 だんであれば国王はリリーをづかい、婚約者をたしなめてくれる。窘めたところで変わりはしないが、国王がリリーとの婚約の意味を正しく理解していることの証明でもあった。

 いつもとはちがふんの国王に首をかしげていれば、二階の踊り場に婚約者の姿が見えた。


(やっと来たわね。今からでもちゃんとエスコートしてもらわないと)


 当然のようにリリーは婚約者の元へと足を運ぶ。その足取りに迷いはない。

 婚約者がコツコツと階段を降りて来たかと思うと、彼はいかりのままにさけんだ。


「リリー!! お前との婚約はする!!」


 一瞬にして演奏が止まり、令嬢はダンスをやめ、みなの視線が婚約者に集まった。

 きらびやかなそうしょくいろどるホールで婚約者――スペンツァー・フォン・ディアマントが視線の中心でふんぞり返る。

 自信に満ちた彼を彩るように、光に照らされたきんぱつがきらめき、王族の証ロイヤルカラーである白色の瞳がリリーをにらみつけた。

 婚約破棄よりもリリーにしょうげきを与えたのは、スペンツァーの隣にいる少女だ。

 ラングレーだんしゃく一人ひとり娘である彼女とは視察の際に出会ったのだろう。男爵領は公国と王国を繫ぐゆいいつかいどうを持つため、定期訪問は欠かせなかった。

 スペンツァーにこしかれほほむ彼女はまさに、今夜の主役だ。


(純白の、ドレス)


 少女が着ている白色のドレスから目がはなせない。

 スペンツァーが望めば純白のドレスが着られたのだと、心臓が嫌な音を立てている。

 純白のドレスさえ着られたなら、と抱いていたわずかな希望さえ打ち砕かれてしまった。

 しかし、リリーは内心のどうようさとられないよう背筋をばす。

 口を開かないリリーにいらったのか、スペンツァーが新たなばくだんを投下した。


こくとなるのは、ミアだ」


 観衆の目にさらされた色の髪をした少女――ミアは嫌がる様子もなく、スペンツァーにう。ち誇ったと言わんばかりの榛色ヘーゼルの大きな瞳がまた可愛らしい。


(国母? 今、国母って言った……?)


 ミアを側室にとしんされればリリーも快くうなずいた。しかし、国母となれば話は別だ。

 男爵令嬢であるミアでは明らかに地位が足りない。

 スペンツァーの後ろだてになれるような、政治的しゅわんがあるわけでもない。

 ないないくしの二人では、国の統治すらあやうく、どう転んでもおお火傷やけどだ。


(あぁもう。どうして今なの? いえ、悲しんでいるひまなんてないわよ)


 衝撃からもどった頭は悲しみに暮れることなく、冷静にじょうきょうあくしようと動き出す。

 リリーはゆったりと首を傾げ、困ったがおを作った。


「まぁ。そんなことができると本当にお思いですか?」

「できるさ」


 胸を張るスペンツァーはみょうに自信満々だ。

(そうだった。こういう時の殿下に何を言ってもだったわ。大事な外交の場でこんなことして、問題になるとは思わなかったのかしら)

 スペンツァーは国内貴族や各国の要人が集まるこの場で婚約破棄を宣言してしまった。

 そのかつすぎる言動は、自ら政治にうとけいそつなのだと諸外国に知らしめるようなものだ。


(まぁ殿下の無能っぷりは今に始まったことじゃないけれど……)


 リリーが十、スペンツァーが十二歳のころ。一度だけ彼のしつ室に足を運んだことがある。

 そこは足のみ場もないほど物が散乱しており、がくぜんとしたことを覚えている。

 部屋のかたすみにはほこりかぶった勉強道具が放り出されており、使ったけいせきすらなかった。

 その代わりに使用感があったのは大量に散らばる幼児向けのがんだ。

 簡単な公務の代わりに玩具で遊んでいたのだ。頭が痛くなるのも当然だろう。

 その上、気分で予算を使い切るあくへきは、こんにちに至るまで改善するきざしはなかった。

 努力ぎらい。しつ嫌い。ろう家。顔だけ王子。無能王子とささやかれても、王国は唯一の王位けいしょう者を失うわけにはいかなかった。だいたいとしてしらの矢が立ったのがリリーだ。

 想定外の事態が起こった時の対処法から、あなどられない仕草まで、リリーはまるで|乾《

かわ》いた地面が水を吸収するかのように知識をたくわえていった。


(和平のためにずっとまんして、休む間もなく努力し続けた結果がこれ?)


 リリーが似合いもしない流行遅れのドレスを着るのも、王宮のすみに追いやられ警備が手薄でも、不満一つ漏らさないのも、戦争を起こさせないためだ。


(私が婚約破棄されたら、公国に条約はんだとる口実を与えてしまうわ)


 ため息が出そうになる口から言葉をしぼり出す。


「国母となるのは私のはず。それに私との婚約破棄にはそれ相応の理由が必要ですよ」

「理由だと? しらばっくれるな! この罪人め! しょうもある」

「罪人……?」


 こんわくするリリーをよそに、スペンツァーが高らかに声を張った。


えいへい! 罪人をらえよ!」


 ホールのじゅうこうとびらが開き、衛兵が流れ込んでくる。

 兵が動くのは罪が確定した相手にだけ。つまり、リリーばくを陛下も認めたということ。


(だから今日は殿下をいさめなかったのね)


 リリーが罪をおかしたとなれば、公国から宣戦布告はできない。それどころか公女がそうをしたと問われるのは公国の方だ。

 衛兵にうでつかまれそうになり、制止の声をかける。


「無礼ですよ。あわてなくても私はげもかくれもしません」

「なにをしている! 早く連れて行け!」

「殿下。最後に一つだけ答えていただけますか? 私の罪状は?」

「は? 罪状……?」


 スペンツァーがあせったように視線を泳がせる。

 助けぶねを出すように、後ろに控えていたじゅうが彼の耳にひそひそと耳打ちをした。


(罪状も覚えていないのによく断罪しようと思ったわね)


 あまりにもおまつだが、リリーは彼らのやり取りが終わのをじっと待つ。

 侍従の金の腕時計をぼんやりとながめていれば、スペンツァーが侍従から書類を手渡され

た。得意げな顔のスペンツァーが書類をき出し、ふんぞり返る。


ばくじょうかいちょう図とざいおうりょうざいだ!! お前はしょけいではなく修道院送りとなる。せめてもの温情だ。僕に感謝するんだな!! 」


 何に対して感謝をすればいいのか。あきれて物も言えないリリーを都合のいようにかいしゃくしたのか、スペンツァーが勝ち誇ったみで言い放った。


「城の外に馬車を用意してある。分かったらとっとと出て行け!」

「……わかりました」


 リリーはすっと足を引き、お手本のようなカーテシーを行う。


しんしゅくじょみなさまがた。今日というらしい日に水を差してしまったこと、心よりおび申し上げます」


 顔を上げ、にっこりと笑顔を浮かべた。

 これはもう意地だ。なっとくも、理解もしていないが、決定された罪状をくつがえす手札はもっていない。ならばせめて最後までだかい公女でありたかった。


「それでは皆様。ごめんあそばせ」


 そして、現在。

 リリーは真っ暗な森の中を全速力でけていた。うっそうしげる木々に月明かりはさえぎられ足元すら見えない。地面にせり出した木の根やこけに足を取られそうになりながらも力走する。

 いくするどとがった木の枝がドレスにさり、布地にえんりょなく穴を開けては引きく。

 そんなまつ事よりもリリーの頭の中はこの状況を打開する策を練ることでいっぱいだ。


(あぁもう! よりによってとうぞくだなんて婚約破棄よりもやっかいだわ!)


 もとより和平のための政略結婚だ。正直、ちょうあいする側室でも娶ればいいと思っていた。

 リリーが正妻であれば、戦争が起きない。それだけで満足だったというのに――


(今私が死ねば戦争が起きてしまうわ!)


 馬車が森の中へ入ったたん、リリー達は盗賊におそわれた。


ゆく不明だと発表される前に帰らないと! あぁ馬さえいればなんとかなったのに!)


 馬車が襲われた際、ぎょしゃは馬を使って早々にとうそうしてしまった。

 動かなくなった馬車の中で、襲われると理解しながらあらがわない理由はない。


(あの子はちゃんと逃げられたかしら?)


 かんだとおんぼろの馬車へと一緒に乗り込んだじょを逃がすのに手間取り時間を食った。

 人一人が通れる小さな窓から侍女を逃がしたものの、同じように逃げ出した時に見つかってしまったのだ。その後散り散りになってしまったため、侍女の安否は分からない。


(ただ私ばかりしつように追ってきているのよね。というか、あんなボロボロの馬車をどうして襲おうと思ったの? 金目の物なんて期待できないでしょうに。……ちょっと待って)


 月明かりの届かぬ深い森はリリーの姿を隠してくれるが、少しでも速度を落とせばつか

ってしまうかもしれない。しかし辿たどり着いた結論に、一瞬速度が落ちる。


(もし盗賊の仕業に見せかけて私を殺すのが目的だったら? だとすれば、侍女を追わない理由も、馬車の中をかくにんせずに私を追ってきたことも説明がつくわ)


 夜の森の寒さとは違う薄ら寒さがリリーを包む。


じょうだんじゃない! 誰の差し金が知らないけど、ここで死ぬわけにはいかないのよ!!)


 なんとしても逃げ切らなければならない。リュビアンの民のために。


「まだそう遠くには行ってないはずだ!!」


 背後からごうが飛ぶ。思っていた以上に近くにいた盗賊に、リリーは足を止めた。

 息をひそめ、様子をうかがう。誰の差し金か、はかることができるかもしれない。


なまりのないしゃべり方もあやしく感じてしまうわ)


 盗賊の動向にばかり気を取られていたからだろう。少し離れようと身を引いた瞬間、木の枝にぶつかってしまった。せいじゃくの包む森の中では、その音は嫌に大きく聞こえた。


「いたぞ! こっちだ!!」


 しまった、と思う間もなく反射的にくつぎ捨てる。同時にドレスのすそを引き裂いた。


(これなら走りやすいわ)


 すでに見つかっているのならと音も気にせずリリーは駆ける。

 視界のはしに見えた街道へとおどり出た。その勢いのままもつれそうになる足を動かす。

 森を抜けた先にある団のちゅうとん所に駆け込めば、助かるかもしれない。



(馬車を襲ったのは九人。足音の数からして全員ついてきているわね。……あら?)


 視界に森の奥に小さな光が見えた気がして目をらす。


(まさか新手?)


 じょうするかげが二つ。づなにぎかっちゅうらしき影がランタンを持っていることしか分からないが、新手であれば厄介だ。どういても馬のきゃくりょくに人間は勝てない。


(動く気配はないけれど、けいかいしておかないといけないわね)


 視界にを入れながら走っていたが、それがいけなかった。

 リリーの死角から飛び出してきた盗賊の手がリリーの髪を摑んだ。


めやがって!! 捕まえたぞ!!」

「痛っ。離しなさい!!」


 力任せに引き寄せられ、髪が悲鳴を上げる。ぶちぶちと髪の切れる音が聞こえたのは気のせいではないだろう。視界の端でミルキーホワイトの髪が地面に落ちていく。

 こうぎょくのような目になみだが浮かんだ。


「手間かけさせやがって。ったく。大人しくしろよ? 殺されたくなければな」


 き捨てるように言う盗賊の後ろから仲間が集まってくる。

 森の中といえど、街道までは枝が伸びていない。月明かりのおかげで周りがよく見える。

 リリーはこのきゅうだっきゃくするため視線をすべらせた。悟られないよう口を動かしながら。


「お決まりの台詞せりふね。そう言われて生きていた人間がいるのかしら?」

「はっ、違いねぇ」


 目を動かし騎乗していた二人組の場所をぬすみ見る。だがすでに誰もいなくなっていた。


(ああもう! 目を離すんじゃなかったわ! どこに行ったの!?)


 もし今騎馬が襲いかかればリリーはひとたまりもない。彼らが敵だった場合、ていこうする間もなく殺されてしまう。


(いえ、そもそもすぐ加勢しない時点で敵でも味方でもない可能性が高いわ)


 何のためにいるのか、答えはすぐに浮かんだ。


(私の死を確認するために? ならまずは盗賊をなんとかすべきね)


 騎馬よりも先に盗賊をどうにかしなければならないと結論づけ、リリーは問いかけた。


「それで? 私は殺されるだけですむのかしら?」


 リリーの問いに顔を見合わせた盗賊達はいっせいにぎゃははと笑い出す。


「そりゃあ、楽しませてもらった後で殺すに決まってんだろ?」


 抵抗するとは思われていないのか、油断とすきまみれの盗賊は容易に観察できた。


(九人全員、同じ服装にちょうけんだわ。かざふさまで同じだなんてずいぶん手が込んでいるのね。なら私の後ろの男も同じ格好のはず。敵がはっきりしているのはありがたいわ)


 彼らの立ち位置を把握し、リリーは口角を釣り上げる。



「なら私が大人しくする必要もないわよね」


 リリーは髪を摑む盗賊の腰から剣を勢いよく抜き――

 ――勢いのまま、長い髪を切り落とした。

 地面にミルキーホワイトの髪が散らばる。

 令嬢の命であるちょうはつを切り捨てたリリーは、り返りざまに盗賊をりつけた。


「ぐわっ!?」


 すぐさま自身をこうそくしていた盗賊からきょを取る。燃え上がるほのおのような瞳で彼らをえ、慣れた様子で剣を握る姿はもはや令嬢のそれではない。


「ぅ、のろう!!

 これだから蛮族は嫌いなんだ!」


 仲間にかれた盗賊は口を閉ざしたが、めいな蔑称をリリーは聞きのがさなかった。


「私がリュビアンの民だとなぜ知っているの?」


 一般的に赤色の髪を持つ者をリュビアンの民と呼ぶ。しかし、リリーは赤色の髪を持たない公女だ。一目で公国出身だと分かる者はいない。

 その蔑称はリリーが公女だと知っていなければ出てこないはずだ。


「あら、だんまり? でも少し詰めが甘いんじゃない? 侍女を追わないだなんて」


 わざと笑顔であおれば、しんけんな顔つきになった盗賊が一斉に襲いかかってくる。

 合図もなしにとうそつの取れた動きをする様は、やはり盗賊らしくない。

 休む間もないこうげきおうしゅうに、先ほどまでは手加減されていたのだと悟った。

 単純な力ではかなわないリリーは、盗賊の攻撃をけ同士ちをさせ、確実に数を減らす。

 振り下ろされた剣を受け止める。剣身を滑らせていなせば、地面にせる盗賊が一人、ま

た一人と増えていき、盗賊の数が瞬く間に減っていく。


(あと五人。あと少しなのに、もう油断して斬りかかって来てはくれないわね)


 かたで息をするリリーから十分な距離を取り隙を窺う盗賊は、苛立ちを隠しきれていない。

 そうほうが睨み合っていると、ぞくりと背中に殺気を感じた。

 反射的に身をひねり、かい行動を取る。しかし、僅かにおそかったらしくほおに痛みが走る。


(今、後ろから何が飛んで……!?)


 視線だけ動かしよく見れば小さなナイフが地面に刺さっていた。

 ナイフが飛んできた方向を確認しようとするが、めい的な隙を盗賊は見逃さない。


「しまっ―― ぅぐっ」


 途端、つらぬかれる胸。ごぼりと口から血があふれ出し、胸から生えた剣からはせんけつしたたる。

 ゆっくりと剣が抜かれ、ぐらりと視界がゆがんだ。


(あ、れ……? 私……。なんで月が……?)


 リリーは糸の切れたあやつり人形のようにたおれ込む。景色が一変し、満月が見えた。

 真っ赤なぬかるみに包まれた背中は生温かく、鉄くさい。


「ぅ、あ」


 口から零れたのは、叫び声ではなく命の源だ。頭から足先まで感覚がない。

 満月をおおい隠すように盗賊がリリーをのぞき込んだ。途端、自身の身に何が起こったのか理解した。一度理解してしまえば、痛みはぞうふくして襲いかかってくる。

 体中が脈打つような、臓器の底からえぐられるような痛みの合間に母の声が聞こえた。


『いい? もしリリーが心の底から助けてほしいと思った時はピアスにお願いするのよ』

(私の、願い……)

『そう。お願いするのよ。そうすればきっとクロノス様が助けてくれるわ』


 重い腕を動かし、夜会から付けっぱなしのピアスへとれた。


(っ、私は、こんな所で終われない! この手で幸せを摑むまでは……!!)


 リリーが動いたことにおどろいたのか、焦った盗賊が剣を振り上げ、赤い飾り房がねる。

 それがリリーの見た、さいの光景だった。

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