阿仁間ナオ、⬛︎⬛︎。

 「はっ」


 台地は目覚めた。


 時刻は朝七時。枕の横に充電コードを挿したまま置いていた、スマートフォンのアラームが鳴っている。

 アラームを止め、寝ぼけまなこに起き上がるも… なんだか変な気持ちだ。



 ――夢を、見なかった… それに、こんな朝まで眠ったの、久々かもしれない。



 そう。台地といえば、その異常なほどの眠りの浅さと、悪夢をよく見る体質にある。

 だが昨夜はよく眠れたようだ。目の疲れもさほど感じない。恐らくこの町にきてから、初めての例かもしれない。自分でも信じられない目覚めであった。


 ――何が、ここまで俺を変えたのだろう? 昨日は相当疲れていたのか、それとも…


 「だいちー、ご飯よー」

 キッチンがある方向から、母・梨絵の声が響いてきた。


 あの梶原達の暴行以来、梨絵には今日までにその事はばれていない。いや、実はもう既に気づいているのかもしれないが、昨今の問題もあり、下手に息子を責められないのだろう。

 一つ確実に言えるのは、あの学園長があんな大掛かりにも教職員らを並べ、台地に自主退学を促してきた事が梨絵に共有されていない事だ。義務教育ではないとはいえ、保護者の許可なく未成年の生徒だけに自主退学を提案するとは、甚だ異常だと思える。




 「先生! あの話が本当か、阿仁間さんのご家族に電話して確認した方がいいかな!?」

 「ちょっとなぁ。本当なら忙しい所まずい気がするけど、どうしたものか」


 登校後、問題となったのは休み時間。職員室が、妙にざわついていた。

 この始終を耳にした生徒は、何人くらいいるのだろう? いずれにせよ、教員らの口から出てきた名前を知る者が聞いたら、台地達の所へ話が流れてくるのも時間の問題だった。


 「はぁ…! はぁ…! ねぇ噓でしょう!?」


 昼休み。昼食を終えた序で、部室の様子を確認するために台地が向かっていた先へ、ラムが涙ぐんだ目で走ってきた。

 ラムの両手が、震えている。台地が振り向いて疑問視すると、ラムは叫んだ。


 「部長が… 飲み物に、青酸カリがって…! あの人のお母様の… ぐすっ 友人の、NPO法人の方から、部長が、死んだって…!!」


 「…え!?」




 台地は耳を疑った。視界が、遠のいた。


 あのナオが、死んだだと?

 夢ではなく、本当に??




 「あっ… あぁ……」




 台地の視界が、次第にぼやけてくる。



 まるで全身が、水で溶かされていくかのように。



 「ウソ、だろ? ちょ、ちょっとまてよ! なんで… ぶ、部長に、れ、連絡したか!?」

 「ま、まだ… うぅぅ。ぜったい、あの時の… 私のせい… ぐすっ、私のせいだ…!」

 「やめろ、まだ分からないだろ。落ち着け、俺が確認する! 頼む、嘘であってくれ…!」


 そういって、台地はすぐにスマートフォンを取り出し、ナオの個人チャットにフリック入力を入れた。

 挨拶でも、「声がききたい」でもなんでもいいから文字を入れ、ナオの安否を問うた。



 「はぁ… はぁ…」



 しばらく待った。でもナオからの既読がつかない。


 しまいにはメッセージではなく、直通で電話を入れてみる… だけど、反応がないのだ。杯斗の時と、全く同じ流れであった、


 「なぁ… やめてくれよ… こんな時に、冗談はよしてくれよ…! 俺、まだ部長に… 彼女に、言えなかった事が…!!」


 台地は涙を流した。同じく泣き崩れていたラムが今の発言を聞き、「え?」と顔を上げる。

 するとそこへ、


 「いた! 台地! それに、ラムさんも」


 誠司の声だ。ナオが死んだという話は、生徒会にも届いているらしい。

 台地もラムも、泣きじゃくりながら誠司をみた。きたのは会長の一人だけだが、彼も不安な表情を浮かべながら、わざわざ職員会館から駆けつけてきたのだ。


 「二人は、無事みたいだな。台地、その顔のアザは…」

 「あっ… その、大丈夫です… あの! 部長の話は、本当なんですか!? 彼女は…」

 「まだ分からない。俺もさっき、東間さんからその話をきいたんだよ。だから心配になって、台地たちの様子を見に来たんだが」

 「東間さんが?」

 「うぅ…! や、やっぱり、そうなんだ! このままだと、わ、私…!!」

 「くっ、だからやめろって! 自分を責めんじゃねぇ! え、縁起でもない事を、いうな」

 「!?」


 台地が、咄嗟の泣きながらの“制止”だ。ラムは肩をピクリと上げ、口を止めた。

 彼女は泣きながら、ずっと何かの恐怖に怯えているのだろう、自らの両腕を抱き締めているように固まっている。まさか、自分が警察に捕まると思っているのだろうか。


 台地にしては珍しく、自分から指揮っていた。それだけ、もう今までのようには振る舞えなくなっている証拠だ。パニック寸前に陥っている、というか。

 誠司もその姿を見て、少しばかり目が泳いだ。「昔」の台地の姿を、思い出したのだろう。


 「せい兄… じゃなかった、会長…! 俺、一体どうすれば!? もう、こんなの嫌なんですよ! ここばっかり、人が死んで、次は自分じゃないかって、怯えるの! うぅ」

 「あぁ… 怖いよな、二人とも。俺だって嫌だよ。ここまできて、流石に偶然とは思えないからな」

 「あの…! 東間さん、たち、生徒会の人達は? 会長がいなくて、だ、大丈夫ですか?」

 「あぁ大丈夫。今は白石さんに代理を任せている。東間さんも公衆電話がある所へいって、ご家族と話をしたらすぐ戻るっていってた。俺もじきに戻るよ。二人とも、立てるか?」


 誠司は台地とラムを慰めながら、二人をその場から立たせるため支えに入った。

 台地たちは依然、涙をポロポロと流しているが、生徒会長にこれ以上迷惑はかけられないという意識は共通しているのだろう。続けてその場をゆっくり立ち上がる。が、


 「あれ? まだ部室の掃除終わっていないのか。それにおおとりまで。そこで何を?」



 そんな、少しばかり老いを感じる男声が響いてきた。

 先日、ナオ達が同好会廃止を言い渡された時にいた、あの事勿れ主義の中年教員が偵察しにきたのだ。なので、ここは誠司が冷めた顔で背を向けたままこうきいた。


 「あぁ、あの時の先生ですか… 阿仁間が亡くなったという話は、ご存じですか?」

 「ん? あぁ、聞いているが」

 「なら、今のこの状況をみて分かりませんかね? その様子だと片づけを急ぐよう来たんでしょうけど、今は休止させてあげて下さい。彼らは今、それ所ではないんです」

 「しかし、その話だって本当かどうか分からないだろう。こっちは期限が迫っていてな…」

 「あなたたちは、そんなに自分達の保身の方が大事なんですか!? ここまで騒ぎになっているのに、あなたたちには人の『心』というものがないのか!?」



 台地とラムは目を大きくした。生徒会長が初めて見せる激怒だ。

 教員も、まさかその手の反応がくると思っていなかったのだろう。わずかに肩をすぼませながら、なお相手を落ち着かせるような仕草を見せながらこう答えた。


 「お、落ち着くんだ鳳! 気持ちは分かるが、こっちにだって事情があるんだよ。ほら、君は教師を目指しているらしいが、いつか本当に教師になった時にきっと分かる! と、とにかく今回は見なかった事にしてやるから、そこにいる二人。今日はもう帰った方がいいんじゃないか? その状態では部活できそうにないだろ?」


 と、姑息な言い訳を述べる教員。台地はもはや怒りを通り越し、呆れさえ覚えた。


 ここまで来たら、ナオの死を悼んで泣いている場合ではなくなる。

 すると教員はすぐその場から踵を返した。誠司はその背姿を睨み、小声でこう言い放った。



 「教師だろうが、言い方というものがあるだろうがよ。クソ野郎」


(つづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る