「約束」

 台地が辿り着いたのは、住宅街の中でも一際目立つデザイナーズマンション。

 黒を基調とした壁に、自動ドアの横にカードリーダーが設置されている辺り、それなりの経済力をもった世帯が住む建物である事がうかがえる。


 そこに、ナオは鞄のジップを少し開けてから、台地へと目を向けて先の話を続けた。


 「あの子の詳しいプライベートについては私も良く知らないけど、あの親子関係なら家事・料理・洗濯は分担してやらなきゃ、とてもじゃないけど間に合わない。ましてや贅沢できるお金がないなら、お弁当は母親が無理ならラム自身が作っているはずよ」


 「…なるほど?」


 「でもあの子は搬送される前にこういっていた。『騙された』と。

 そこから私はこう仮説を立てた。恐らくラムが今日食べたお弁当は、自分でも母親でもない、別の“誰か”が作ってくれたものではないか。とね」


 「そうか! 言われてみれば、自分で作ったかもしれないものを態々『騙された』といって吐き出すのはおかしいですね」


 「でしょ? だから私、あの子が診察を受けている合間をみて、お弁当を作った人が誰なのかきいてみたの。でもあの子、ずっと身を震わせながら『知らない!』『何も答えたくない!』って。


 でも、代わりに収穫はあった」


 「?」


 「あの子のスケッチブック、更新されてたの。けさ、園田くんが見たという夢――」


 「!」


 台地は気まずくなった。あの夢の内容は、今も覚えている。

 その辺り、ラムに上手くぼかしてほしいと思いNINEを送ったのだが… 台地は、心の内から一気に湧き上がってきた羞恥心を隠す様に、自身の後頭部をかいた。

 「えーと、その! 俺じゃないです。悪いのは、夢です! 俺は何も疚しい事は…!」

 なんて、自分でもおかしな事を言っている。ナオが、ゆっくりこちらへ歩いてきた。


 「園田くん。実はその事で、私なりに色々考えたんだけどね。あなたに伝えたい事が」

 「え」

 「耳をかして。声を出さないで、落ち着いて聞いて」



 ナオの顔が、台地の右頬にあと数センチで触れる所にまで近づいてきた。

 そして台地の耳元で、小さく囁きはじめる。


 台地は固まった。これまで経験した事がないような、大きな胸の鼓動に襲われた。

 ナオから告げられたのは―― 今はまだ答えは出せないけれど、それは極端にいえば二人の人生に大きく関わるような、ナオからの「決意」ともとれるものであった。


 生ぬるい風が、頬をかすめていった。その間、実に一分弱だろうか。



 「…という事だから。ごめんね、急にこんな話をしちゃって」


 ナオはそういって、漸く台地の耳元から離れた。

 気丈に振る舞っているが、僅かに不安な表情を浮かべている。本当は、怖い・・のだろう。


 肝心の、耳打ちの内容は何だったのか。現時点では台地とナオの二人しか知らないが、それだけ他者には伝えられない「デリケート」なものであった。

 あとは台地の行動次第、といったところか。


 「今日話した事は、他の誰にも教えたりしないでね。それじゃあ」


 ナオはそういって、鞄から取り出したカードを通し、開いた自動ドアの奥へ進んだ。

 彼女とは、この自宅マンション前でお別れだ。続きはまた次の登校日。


 「…」


 台地の顔は、不安交じりの赤面が収まらない。

 恐らくないだろうが、もしこのまま帰宅したら、顔が赤くなっている息子を見た母親から余計な詮索をされるだろう。ただでさえ帰りが遅いのだから、尚更である。


 しかし、


 ドン!

 「うわ」


 きびすを返した、刹那。横から誰かが台地の肩を掴んだのだ。

 台地はそのまま抵抗する暇もなく、近くの建物の壁に叩きつけられる。台地には一瞬何が起きたのか分からず、自衛のため咄嗟に自身の鞄を握りしめた。


 壁に強引に叩き付けられた前方、見るとそこには自分と同じか、もしくは少しだけ背が高い若者三人が立っていた。

 自分と同じ学校の制服… しかも全員、台地が見覚えのある顔の男子だった。


 「よう! 転校生。お前、こんな所へ何しにきたワケ?」

 「久しぶりじゃーん。なに、あの阿仁間と仲良くデートですかぁ?」

 「あの時のこと、忘れてねーからな? よくも俺達をコケにしやがって。あ!?」


 学校の駐輪場で屯していた、あの三年の先輩達だ。確か一人は梶原という名前の。

 前回はナオの助けがあったお陰で難を逃れたが、今回ばかりはそうもいかない。人目の付きにくい裏通りへ叩きつけられ、助けてくれそうな人は近くに誰もいないのだ。

 台地はその瞬間、自分は確実にやられるのだと悟った。


 ガンッ!


 突然、横から鈍痛と、視界が一瞬だけ真っ白に染まる感覚を覚えた。

 脳がグラっと揺れ、平衡感覚を失い地面へと倒れる。


 痛い。頭が、ズキズキする。

 ああそうか。今、自分は横から蹴られたのだな。と、台地は判断した。が、


 「あの時のお返しだ! クソが、なめてんじゃねーぞ!」

 「しねぇ!」「バーカ!」


 ボカッ! バキッ!


 鞄を持ったまま地面に倒れた台地に、殴る蹴るの暴行を加える。

 パンへ買いに行くのを拒まれ、ナオの助太刀が入られた事が、そんなに許せないのか。台地はなぜ、自分がここまでされなきゃならないのか理解に苦しんだ。


 手指にできるあかぎれ、頬への痣、そして抜け毛が出来るほど引っ張られた頭髪。

 声に出して叫びたくても、できなかった。そこまで出来るほど、冷静に頭が回らなかったからだ。ただ「痛い」「苦しい」という感覚だけが、台地を襲う。


 「はぁ、はぁ。オイこら、金だせや」


 しまいにはカツアゲか。結局はそれが目的だったのだろう、と台地は思ったが、ケガだらけで息を切らしている彼に、そこまで俊敏に動ける力はない。

 一人が、台地のポケットから勝手にスマートフォンを取り上げ、こう脅した。


 「うぇーいスマホゲットー。なぁ、早く財布ださないとこのスマホ、今すぐ知り合いの外人にパス開けさせてお前の個人情報ぜんぶネットにばらまくぞー? 親のことも、阿仁間のことも! さぁどうするのかなー?」

 「オラ、早く答えろや。こっちには親が市議やってる金持ちの女がいるんだからな。警察と先公どもが俺らに手ぇ出せない理由、知りもしねーくせに、調子に乗るなよ!?」



 ――親が市議の金持ちの女? そんなの初耳だ。


 台地は一瞬、ナオの事が脳裏によぎったがそれはない・・・・・と思った。なぜなら彼女の親は臨床心理士であり、市議ではないから。

 だけどここはナオとの“約束”を果たすためにも、スマートフォンが持ち去られるのだけは絶対に避けたい。辛いが、ここは大人しく財布の金を奪わせた方が得策。台地は鼻血だらけの顔で、鞄から財布を出し、それを地面に置いた。


 「あ? チッ。これだけかよ」


 梶原たちが早速その財布を手に取り、中から紙幣と硬貨を抜き出す。

 現金、二千円弱。小銭は少しだけ。彼らはそれらを奪って立ち上がり、踵を返した。


 「つまんねーなぁ! おい、行くぞみんな」

 「うぃー」

 「あーあ、服切りたかったなー。学校来れないようにさぁ」

 「シッ、いうなよそんなこと…!」

 「え、お前もってないの?」

 「あー教室おいてきちゃった」

 「は? バカじゃん」




 ――。


 台地は、金さえ手に入れば後は悪態つくだけついてそのまま帰っていった梶原達を、ただ遠目で見つめていた。


 台地は泣きたくなった。同時に、男としての約束を果たしたのだ。

 ナオとの“約束”を果たしたこと。被害を現金だけに留め、個人情報を守ったこと。


 台地はゆっくり立ち上がり、顔中に出来たキズを隠す様に、投げ捨てられた財布をもって鞄で顔を隠しながら帰路へついたのだった。


(つづく)

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