母子家庭

 ――わるい、帰り遅くなる! 部活のメンバーを、病院へ送らなきゃいけなかったから…


 総合病院の待合室。台地はNINEで母の梨絵に、上記メッセージを送った。

 時刻は午後六時半。本当ならとうに夕食の時間だが、予想外の事態が起こったため家では一人遅く食べる事になる。その旨を母親に伝えたのであった。


 院内は思ったほど来院者が少ない。いるとしても高齢者ばかり。

 ナオはラムの付き添い、かつ問題とされる弁当の中身を調べてもらう為に同伴しているからまだしも、台地は先の通報だけし、あとは先に自分だけ帰ってもいいはずだった。が、敢えて一緒についてきたのだ。

 なんとなく、その方がいいと思ったから。


 「え? 何も異常はなかったんですか?」

 「えぇ。成分表を見ても、毒や腐敗した食材が混入された形跡はありません。食べ合わせのよくないものは特に含まれていないし、きっと本人が何かを切欠にパニックを起こし、戻しちゃったのでしょう」

 「そうでしたか。わかりました。では、私はこれで」


 ナオと、その向かいでラムの症状を伝えている看護師の姿だ。

 その会話内容は、台地の耳にも入った。つまりラムは命に別状はなく、弁当に毒が盛られている訳でもなく、ふとした切欠で吐き気を催しただけ。という事が分かったのだ。台地は安堵と同時に、僅かな落胆の表情を浮かべた。

 最近の件もあり、自分とナオがこれだけ心配してきたのに、まさかの拍子抜けするような診断結果に苛立ちさえ覚える。もちろん、ラムが元気である事に越した事はないのだが。


 ナオは看護師と別れてすぐ、待合室の端で静かに座っている台地へと声をかけた。

 表面上は、いつもの穏やかな顔だ。


 「おまたせ、園田くん。この後、ラムのご家族が迎えに来るって」

 「そう、ですか… よかったです」

 「あぁ。もしかして、今の話きこえてた?」

 「…はい。一応は」


 するとナオが気配を察知したのか、外来受付窓口へと顔を向けた。

 台地も気がついたので振り向くと、数メートル先にあるその窓口にて、一人のふくよかな壮年女性が片腕で松葉杖をつき、受付に何か話をしている様子が見えたのだ。

 成人女性の平均より大柄だからか、院内でもかなり目立っている気がする。服もよれよれで、いかにも生活に困窮しているものと思われた。

 「あの人よ。ラムのお母さん」

 「えっ」

 台地は驚いた。遠目でなくても、ラムとは顔がとても似つかわない。言われなければ、まったくといっていいほど親子関係とは思えない風貌の女性であった。

 その人は何かを告げた後、先程までナオが立ち入っていた診察室へと入っていった。


 松葉杖をついて歩いている姿が、二歩進めるごとにガクンガクンと体が揺れていて、少し危なっかしい。ナオが静かに説明した。


 「前に教えなかったっけ? ラムの家が、母子家庭だってこと」

 「あっ… そういえば、聞いた気がします」

 ラムが先日、ご近所さん達から突然手土産を渡されたというあれだ。ナオは続けた。

 「見ての通り、母親が半身不随という障害もちでね。ラム本人は隠し切っているつもりなんだけど、あの親子… 生活保護を受けているのよ」

 「そうなんですか?」

 「うん。それに対する世間の偏見や差別が根強い事もラムは自覚しているみたいで、だからずっと友達も作らず一人ぼっち。普段は絵を描く事を、生きがいとしている」

 「はぁ… でもああして母親を心配させるくらい、ラムが毒を盛られたかのような素振りをするのはちょっと、おかしいと思います。せっかく、親が作ってくれたものを」


 そういうと、ナオはゆっくり台地を見下ろす様に目を向けた。

 その目からは、これまでにない部員への「怒り」が、ひしひしと感じられる。


 「ねぇ園田くん。酷な事をきくけど、あの母親みたいに片手しか動かせられない人が、毎日あれだけ娘に綺麗な服とお弁当を用意できると思う?」

 「!?」


 台地は僅かに身を引いた。ラムは一見すると陰湿なオタク系女子かもしれないが、言われてみれば日々の身だしなみはしっかりしている。風呂をキャンセルしている様子もない。生活保護受給者でありながら、それだけ文化的な生活ができているという事は…

 「場所を変えましょう。保護者の迎えも来た事だし、帰りの途中でも続きを話すわ」

 そういって、ナオが出口へと歩き出した。台地もここは場の空気を読み、続けて立ち上がったのであった。




 「その… 頼まれて欲しい事があるの」


 病院を出た後は、そのまま帰路へ向かうのみ。

 幸いにも搬送先が自宅まで徒歩で帰れる距離なので、二人とも公共機関は使わず、トボトボとネオン街を歩く。そんな中、ナオから出た意外な言葉を台地は反芻した。

 そして、


 「無理なら、いいんだけど… 私の家の前まで、ついてきてほしいの。ダメかな?」


 ――えぇぇ!?


 台地は意表を突かれた。

 まさかの、今日まで部活でしか交流のない女子から、付き添いの提案である。こんなの、台地からすればデート以外に考えられないシチュエーションの一つであった。

 家の前までなので、このまま自宅デートに発展するとは考えられにくいが、だからといって今はそういうムードではない事くらい、承知の上である。だけど、今日は特段何か大事な用がある訳でもないし…


 先頭を歩いていたナオがふと足を止め、儚い表情で台地を見つめる。


 果たして彼女の自宅前までいくか否か。台地は数秒間考え、その「答え」を出した。


(つづく)

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