人身事故
※残酷なシーンが含まれています。閲覧の際はご注意下さい。
電車のホーム。通勤・通学ラッシュ。
一人の女子高生が、ちょっぴり嬉しそうな表情でスマホをいじりながら、ホームの最前列に立って鼻歌を歌っていた。
「ふんふん、ふ~ん」
ピンクブラウンから、ダークブラウンにトーンダウンしたゆるふわヘア。
スカートをわざと巻いて丈を短くした、いかにもギャルな風貌の、鷹野莉々…
ではなく、天津杏子だ。
実は昨夜、天津は大胆なイメチェンと称し、サロンで鷹野と色違いのヘアスタイルに変えてもらったのである。もちろん、今日までこのヘアスタイルにした事は部員には内緒だ。
――莉々、きっと喜ぶだろうなぁ。前から「ゆるふわにしてみたら?」って私に勧めてきてたし、やっとだよー。ついでに、化粧も身だしなみも莉々っぽくしてみたんだー!
なんて、早く今の自分の姿を鷹野達に見せたくて仕方がないのだろう。
今の天津は髪色以外、鷹野と瓜二つである。仲の良い友達同士だからこそ出来る格好だ。
――ナオもどんな顔をするのか、楽しみだなー。あ、もうすぐ電車がくるじゃん。
線路の地平線から、これから乗る予定の電車が見えてきた。
停車位置が大分先なので、かなりスピードが出ている。天津はスマホを仕舞おうとした。
その時だった。
ドン!
「ひゃ…!」
天津の背中が、強く押された。
体が前へ傾き、線路へ投げ出された。宙に浮いているような感覚を覚える。
悲鳴を上げる余裕すらなかった。
プーーーッ!!
大きなクラクションが鳴り響く。
天津は、自分の身に何が起こっているのか、理解が追いつかなかった。体が線路の下へ落ちていく途中、クラクションが鳴った先へ振り向く。
その視界の先には、電車の「顔」。
猛スピードで進む、大きくて四角い、鉄の塊。天津の、すぐ目と鼻の先にあった。
天津の視線が、遠のく。
心が「もうダメだ」と叫んだ。そして――。
…。
台地とナオたち、夢占い同好会のメンバーにこの事が知られるのは、それから二時限目に入った頃であった。
「天津が電車に
通勤・通学ラッシュに発生した人身事故。
これにより上下線ともに6時間以上の運転見合わせ。つまり、それだけ電車に
当然、即死であった。
「ねぇ、嘘でしょ…? 噓だって言ってよ! どうして杏子が、こんなことに!」
台地には、涙を流すナオたちにかけてあげられる言葉が見つからない。
この部活に入ってから、まだ日は浅いのだ。天津の事は良く知らない。だけど、今は悲しみに暮れるメンバーのそばにいてあげるべきだと、自分に言い聞かせた。
ホームの奥はブルーシートで遮られているけど、周囲の声を聞けば聞くほど、天津の死が現実のものであると突きつけられる。
目撃者の証言では、ホームの最前列に立っていた天津を突然、何者かが横入りして後ろから突き飛ばした。後ろに並んでいた人はその突然の出来事に、頭が真っ白になったという。背中を押した犯人の顔や特徴を目で追う前に、天津が目の前で電車に轢かれたのだ。あまりにも急な肉片飛散の瞬間を目の当たりにし、犯人を追いかける余裕などなかったそうだ。
現在、その目撃者は心的ケアのため、医療機関に運ばれているとのこと。
駅構内に設置された防犯カメラには、天津の背中を押した犯人の姿が映っていた。
だが、全身黒ずくめでマスクに帽子という、顔も年齢も特定できない恰好であり、現在も逃走中との情報だ。判明しているのは、中肉中背の男性という事だけ。
鷹野が
「杏子… 昨日、あれだけお披露目会を楽しみにしていたのに… 犯人のせいで、それも全部メチャクチャにされて… あんまりだよ。こんなの」
「はぁ、はぁ…! 夢のせいだ…! 夢のせいだ、夢のせいだ! 昨日、凶夢が出てたのに私達がもっと警戒しなかったから、こんな、こんな事に…! はぁ、はぁ、はぁ!」
ラムが、そういっていつぞやの様な過呼吸を起こし、肩を震わせている。
その声を聞いた杯斗が、同じく荒れた呼吸で瞳孔を開かせながら、ゆっくり立ち上がった。
「なぁ… いい加減にしろよ。ラム」
「!?」
「天津が… 人が、死んでるんだぞ? なのに、まだそうやって『夢占い』『夢占い』って、なんでも夢のせいにしてんじゃねぇよ!!」
「ひっ!」
「やめて! 二人とも!」
杯斗が怒りの形相で、ラムの胸倉を掴もうとした所を、ナオが間に入って制止した。
ナオの目からも、大粒の涙が流れている。初めて見た嗚咽を上げる部長の姿に、台地はどうしたらいいか分からず、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
――俺のせい、なのか? …これって。
台地は、陰でそう自分を責め始めた。ナオたちは気づいていない。
――俺が… 天津の夢を、黄信号、踏切、ケロイドの事までちゃんと皆に言わなかったから、バチが当たったのか? 悪い運気を、ため込んだから、こうなったって言うのか??
――分からない。でも、そんな。夢占いなんて、所詮はフィクションだと思いたいのに。
――なぁ。これって「夢」だよな? どうか、「夢」であってくれよ。なぁ、頼むよ!
台地の手は、恐怖で震えていた。
…。
「――もちろんだよ。駅で、あんな悲しい事があったんだ。休部願はこちらで受理し、教員一同に情報を共有する。今は心身ともに落ち着くまで、みんな、ゆっくり休んでくれ」
放課後。生徒会室。
ナオは台地たち部員全員を連れて、会長の誠司に1枚の書類を提出した。天津の死後3日間は喪に伏し、のちの葬儀に参加する事も踏まえ、開庁1週間分の休部を申し出たのだ。
誠司は即、その願を受け入れた。彼も生徒の一人として、天津の死を
犯人は、現在も逃走中である。
その動機が分からない以上、今度は自分達がいつ、犯人に目を付けられるか分からない。そんな状況で、悠長に部活動に参加などできないのだ。
台地もあれから少しは落ち着いたものの、当分、バイト探しの気分にはなれなかった。
「こんなの… お悩み相談でも、聞いた事がない… 初めてだよ。こんなに、辛いの」
生徒会室を出た後のナオが、再び、肩を震わせながら泣いた。
幼馴染が、死んだ。その現実が受け入れられなくて… これには同じく悲壮の表情を浮かべている鷹野も、ナオの肩をもって静かに慰める。
杯斗もラムも、あれからすっかり憔悴しきっていた。台地も、他の事に頭が回らない。
時間だけが、残酷に過ぎていった。
(第三章 転 につづく)
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