悪夢

※残酷なシーンが含まれています。閲覧の際はご注意下さい。




 「い、いや… たす、けて…」


 ときは深夜。

 人が寝静まっている丑三つ時。台地の母・梨絵の顔は、ひどく青ざめていた。


 「やっと、お前たちを見つけた… よくも、俺の顔に泥を塗ってくれたな…!」


 梨絵の目の前にいるのは、黒ずくめの大柄な男。

 男の手には、刃渡り数センチの鋭利な刃物が握られている。男の顔は、月夜の逆光のせいでよく見えない。

 「お、お願いだから、こないで…!」

 梨絵は、今にも殺されるんじゃないかという思いで、涙を流している。


 ゆっくり歩み寄る男。黒く光る刃物。

 早く「逃げたい」という心理が先走り過ぎて、梨絵の足が、思う様に動かない。


 「俺は、お前を絶対に許さない… 今の俺は、もう、失うものなど何もない!」


 男は、俗に言う「無敵」の立場であった。

 なぜ、ここまで梨絵を探し当て、強い殺意を抱いているのか?

 それまで、男は一体何をしていたのか? ――分からない。

 だからこそ、その“分からない部分”が、梨絵にこの上ない恐怖心を煽るのであった。


 「梨絵… お前を、殺してやる…! 死ね!!」

 「いやあぁあぁぁ!!」

 男の握る刃物が、梨絵に向かって、勢いよく振り上げられた。




 梨絵の叫び声が、部屋中に響き渡る。


 現場に、刃物が振り下ろされた事による“血しぶき”が起こった。

 その血しぶきは、赤いバラのように咲き乱れ、床を赤く染めていった。


 その血しぶきは―― 梨絵ではなく、男の脇腹から噴き出していた。


 「テメェこのやろう!! 何処から来やがったんだ!! ぶっ殺してやる!!!」




 行動に移したのはそう、台地だ。

 梨絵は間一髪、男の殺意から救われたのだ。

 梨絵が涙ながら、恐る恐る目を開けると、そこには男が倒れ込む光景があった。


 だが、その光景は、決して喜べるものではなかった。


 自身が産んだ息子である台地が、家に侵入してきた男を、刃物で刺しているのである。


 「このやろう…!! このやろうー!!!」


 ザク! ザク! ザク!

 肉体を刃物で刺す音とともに、何かが破裂するような音と、グチャグチャと気持ち悪い音が、同時に室内に鳴り響く。

 それでも、台地はその手を止める理性を、失っていた。


 たとえ、大量の返り血を浴び続けても…

 自分でもおかしいと思うほど、とうに倒れた男の体を、何度もメッタ刺しにしている。


 「ひ、ひぃ…!!」

 梨絵は、その地獄絵図を前に、吐き気を催すように両手で自身の口をふさいだ。

 そして、少しずつ台地から後ずさりしていく。

 台地は、母親のそんな行動ですら、眼中に入っていなかった。


 「ふん! ふん!!」


 ザク! ザク!


 怒りの感情に任せ、包丁で男の全身を刺し続ける台地。

 血の匂いや、生ぬるさ、べたつきなど、もうそんなのは関係がなかった。

 とにかく、母を謎の男から守るために必死で――。


 「はぁ… はぁ…」


 男はもう、立ち上がる様子すらない。

 全身が血まみれで、息をしていなかった。とっくに死んでいる。

 全身が、赤く染まりすぎて、もはや誰なのかすら判別が付かなくなっていた。


 台地は、頭が真っ白になった。


 ――自分は、何をしているんだ?


 という不明瞭な感情が、自身の両手の震えを助長している。




 やってしまった、のか…?




 そんな感情が、台地を我に返らせる要因となった。


 梨絵が、尻餅をついて泣いていた場所へ、静かに目を向ける。

 そこに、もう梨絵の姿はなかった。




 「うそ」


 台地は、最悪の展開を予感した。

 もしかして梨絵は―― 息子の愚行を、警察に通報しにいったのだろうか?




 ――終わった。


 台地は絶望した。

 こんなこと、本当はしたくなかったのに。

 自分の犯した過ちに、漸く気がついた瞬間であった。


 全身が、ひどく震える。涙が止まらない。

 きっと、警察に事情を説明しても過剰防衛だと見なされ、現行犯逮捕される事だろう。


 ――何をすれば、正しかった?

 ――どうすれば、こんな事をせずに済んだ?


 そんな絶望が、台地の死んだ目に、何度も空を泳ぐ魚の様に行き来し続ける――。


 ――――――――――


 「はっ」


 台地の夢は、そこで終わった。


 「なんだ、夢か… はぁー」


 台地は、先の気持ち悪さを吐き出さないよう喉元を押さえながら、大きく安堵した。

 信じられないくらい、リアルな夢だった。


 目が覚めると、少しだけ見慣れてきた部屋の天井。

 ピカピカに磨かれたフローリングの上に、直で布団を敷き、その上で寝ていた。

 時刻は、朝七時。枕の横に充電コードを挿したまま置いていた、スマートフォンのアラームが鳴ったことで、台地はそれに起こされたのであった。


 「だいちー、ご飯よー」


 母・梨絵の、いつもの穏やかな呼び声が、聞こえる。


 台地は確信した。あれは「夢」なのだと。

 よかった。本当によかった。自分があんな残酷な事をしたのが、現実世界でなくて。


 「はーい!」

 台地はすぐに起き上がった。

 いつもより、なぜか目覚めが良い。きっと、悪夢から醒めた安心感からだろう。

 スマートフォンの充電コードを抜き、それをもって、キッチンへと歩いていく。




 「いってきます」

 こうして朝食を終え、身支度をした台地は、いつものように家を後にした。

 徒歩で比較的すぐに辿り着ける、虹渡学園までの道を、とぼとぼと歩く。


 ――ちょっと、調べてみるか。


 ふと、台地はゆうべ見た夢の事が気になって、スマートフォンでネット検索をする。

 検索はもちろん、夢占いサイトの一つ。そこに、台地にとって信じられないような運勢が記されていた。


 ――ん? 「死」の夢は、「再生」を意味する吉夢…?

 ――知らない人を殺し、血を浴びる夢は、エネルギーと金運の上昇。

 ――母親がいなくなる夢は、環境の変化を表す吉夢… え!? 全体運は「大吉」!?


 そんなバカな。

 というのが、台地の率直な感想であった。


 なぜあんな、人を何度も刃物で刺して殺す夢が「吉夢」だと言えるのか?

 別に占い師の仕事を否定するつもりはないが、そんな結果を出すような占い界隈には甚だ疑問かつ、「彼らの思考回路にはついていけない」というのが、台地の真理である。


 「調べた俺がバカだった」


 台地はそう独り言をもらし、溜め息まじりスマートフォンを仕舞う。

 ほんの興味本位で調べたものの、所詮はただの「占い」。これで、本当に吉夢になるわけがないだろう、と思っていた。


(つづく)

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