第39話 「ここにいてはいけない」
私は貰ったペットボトルに、インスタントコーヒーの粉を素手で二掴み分入れて蓋を締める。そうして勢いよくジャカジャカと――まるでバーデンダーを思わせるかのようにぶん回した。
一般的なコーヒー一杯分に対して、粉は一体何倍入れただろうか。常温の水にそれだけの粉が溶けるはずもなく、塊のままぐるぐると回っていく。黒い水が出来上がったところで手を止めると、表面には塊のままの粉が浮いていた。
「まさかですけど、それを飲むんですか?」
「うん。なんか急に飲みたくなってね」
「にしても多くないですか? 特に、粉が。いくら大雑把で気にしないからといって、流石にその量は……」
ドン引きしているレモネードを横目に、私は作ったコーヒーを一気飲みした。
もはや泥とも言える、濃厚な黒い液体には強烈な酸味と受け入れがたい苦みがずっしりとのしかかっている。舌の上を通るたびにザラザラとした嫌な感触が残り、その粒子がまたコーヒー特有の風味と後味を残していくのだが。これに似た感触を思い出す。そうだ、砂だ。
「最高に不味いね。こんなもの飲めたもんじゃない」
ペットボトルの底には水と混ざり合って固まってしまった粉がこびりついている。しかし、液体の部分は飲み切った。
くしゃくしゃと丸めて、レジの横にあるコーヒーメーカーの付近にあるゴミ箱に投げ入れる。ゴミ箱の中にどうやったら入ると思ったのだろう。残念なことに届かず、地面に転がり落ちた。
「本当に飲んだ……んですね。どうしてそんな奇行を?」
「これでいいんだよ」
「答えになっていませんが」
「あとでトパースに聞いてごらんよ。きっと答えを教えてくれるさ」
レモネードは少し寂しそうな口調になって、こう言った。
「ワタシは、ヨミさんの口から答えを聞きたいのです」
私はペットボトルのゴミを拾い直し、ちゃんとゴミ箱の中へ入れる。
「苦しいのは一瞬でいいってこと」
「……相当、思い詰めているのですね」
何か不思議な誤解をされたような気がするが、それもそれで事実であるためあえて否定せずにいた。
「そろそろ図書館へ向かいましょうか」
「ああ、わかった」
私たちはコンビニを出て、なるべく足音を立てずにゆっくりと移動を始めた。
「エンパスを組んですぐのとき、こうやって二人で戦場に行ったことありましたよね」
「まだ仲良くなってないころだよね。覚えてる覚えてる。何ならさ、よく一緒に戦場に行ってた相手は誰かって聞かれたら、間違いなくレモネードだよ」
「それはそれは有難い限りです。ワタシも同じですよ」
「だからどの回のことを言っているかはわからないんだけどさ。なんか、うまくお互いの凹凸がハマってたっていうか、歯車が合ってたよね。居心地が良かった。なんならもっと、背中を完全に預けられた」
「今も、預けてくださいますか」
私が返事をするより先に、レモネードが銃をあらぬ方向へと向けた。その意図を問う前に彼は引き金を引き、辺りに銃声が響く。私の反射神経も劣ったものだ。
「……なあ、君には一体何が見えてたんだ?」
「敵ですよ。そういえば……昔からこうでしたよね」
二人で目を合わせて、順番に言い合う。
「『早撃ちのレモネード』」
「『蘇生のヨミ』」
妙な間が開いたあと、私が先に口を開いた。
「……待って、そんなんだったっけ。私」
「そんなんとは何ですか。ワタシの中では蘇生のイメージが強かったので」
「ふーん」
「何度も救われましたからね」
「……そうだっけか」
「まさかヨミさん、あなた自分が活躍したシーンだけ忘れているなんてことないですよね」
こればかりは、と口に出しそうになったがあえてそうしなかった。
よくよく考えてみれば、私が取得しているスキルはほぼすべて「治療」に関するものと「アイテム制作」に関するものだった。妙に手に馴染んだ治療アイテム、特に意識しなくてもつつがなく完了する蘇生……。
蘇生を得意としていたって、何らおかしくない。
「本当のことを言うよ。君の言うとおりだ。あんまり覚えてない」
「人間は記憶を自動的にごみ箱フォルダに入れるのだとか。それで? どれぐらい覚えてるんです?」
「自分でもよくわかってない。記憶喪失とかいう大層なものでは無いと思っているけれど。……どうしても、あの事件に結びついてしまう気がして、それ以上思い出すことを勝手にやめちゃうみたいだ」
それがまた「ここにいてはいけない」を色濃く映し出す。
遠く離れた場所で銃声が響く。複数の、違う種類の銃声がいくつも。レモネードが銃を構えなかったということは、彼のサーチ範囲に敵はいないということだ。
「もっと、ヨミさんは迷っても良いと思うんです」
「というと?」
「今のヨミさんは、というより昔からですが。白か黒かしかないような人がヨミさんなんです」
「1を取るか0を取るか、勝つか負けるか、生きるか死ぬか……みたいなね」
「中途半端な状態を避けようとする、真ん中にいることを許さない、そういう気難しくて面倒臭い人間であることを、あなた自身が許さない。どうです? 心当たりは」
この論理ロボめ。口達者なロボットからスピーカーを無理やり奪いたいぐらいには、突かれたくない内心を語られてしまった。
「ほどほどに刺さってるからやめてもらっていいかな?」
「いいえやめません。ヨミさんが中途半端であることを嫌うことはよくわかりました。……なので、ワタシたちはここに来たのです」
レモネードが立ち止まった場所は、図書館と高い柵の隙間にある小さな庭のような場所だった。
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