第34話 認識から生まれた害

 静かに私の心を蝕んでいった心無い言葉は、いつの間にか深い深い傷を作り出していた。

 自分では気づいていなくとも、無視をしていたとしても、いつかはどこかに歪みが生まれる。


 心や体の異常があらわになったのは、丁度この頃だった。


「……なんか、寝られないな」


 人間であるからには睡眠の重要性を理解しているつもりだった。ゲーム三昧の日々でも眠くなるのは眠くなるし、時間がちょっと昼間であるだけで、しっかりと睡眠をとっていたはずだ。


 だから、この日のこの時間にはもう眠くなっていてもおかしくないとわかっていた。わかっていたのに眠れない。


 眠れない夜だってあるだろう。


「そういえば、お腹が空かない」


 不健康ビンゴに穴が開いていく。まだリーチにすらなっていない。


 一応この頃は自炊もしていた。料理を作ることと食べること、そのどちらも好きだったし、手間だと思っていなかったから。炊き立てのご飯は美味しいし、作りたての鶏肉のトマト煮なんかが最高だと感じていた。


 私はなんとなく冷蔵庫を開ける。昨日の晩御飯の残りである、ラップが掛けられた野菜ポン酢炒めが目に入った。それと同時に、市販の漬物や食材のにおいが――私に吐き気を届けてきた。


「……おえっ」


 なぜだかわからない。どうやら私はにおいに対して敏感になっているようだ。慌てて冷蔵庫を閉める。これじゃ食事どころの話ではない。


 もう今日は食事を諦めて寝てしまおう。ああ、寝られない。寝たい。寝られない。

 ベッドの上で横になって目をつぶるも、頭の中でぐるぐると心無き言葉が永遠と私を責めてくる。


 気にしなければいい。そんなことはとっくにわかってる。わかっていても気にしてしまうのが私という人間で、生きづらさになる原因なのだ。


 せめて渦中のエンパス以外の人に相談できたらまだマシだったのかもしれない。しかし、現状のヨミは親と縁を切っている状態で連絡先も知らず、他の交友関係もほぼ無いため、孤立してしまっていた。


 自業自得の果てに得た孤独である。


 信頼できるのは『エンパス』だけであり、ある種の人間不信にも悩まされることになった。

 これで、心身共に不健康ビンゴが二列ほど揃ったのだ。




 その後しばらくして、エンパスの皆で集まって会議をすることになった。


 会議と言ってもLPTの中でやるもの。隠れ家のリビングに集まって、皆それぞれの椅子に座る。


 私は深緑色の一人用ソファに、神成と雪柳と鍵穴天覗と鼠氏はぎゅうぎゅうになりながら灰色のL字型ソファに、トパースはお気に入りのロッキングチェアに。

 木製の丸椅子には誰も座らなかった。ここはレモネードの席で、この時期は受験を理由に休止していたから、彼の席は空席のままなのだ。


「今後の在り方を、どうするか。やな? 今日の議題は」


 神成が先手を切った。暗い空気のまま進むのはきっと嫌だったのだろう。


「お、おれはいつも通り続けたい、とは思ってる。でもそれはおれ一人でもできることだから、全体の向くべき方には合わせるよ」


 雪柳が率先して自分の意見を言った。このことによって、他の皆も胸の内を明かしやすくなる。


「世間の流れ的にはもう表立って活動はできへんのちゃう? まぁしばらくは活動してないように見せておくってのは大事やと、俺は思う」


「……次の公式大会は出られないのかな。あはは、まぁあたしは合わせるよ。リベンジ優勝取りたかったけど、今は仕方ないし」


 トパースは悔しそうに、どこか儚げな表情でロッキングチェアをゆらゆら揺らす。


「オレもなー、結構最近の配信荒れ気味で正味キツいわ。これを機にエンパスでオフシーズンに入って、それぞれのやりたかったことに力を入れるのはアリじゃない? オレも配信に力入れたいし」


「荒れてるのに配信やるの?」


 鼠氏が問うと、鍵穴天覗はニヤリと笑った。


「そりゃそうよ。炎上に巻き込まれたVtuberなんて、ネットの馬鹿どもがやいのやいのって見に来るに決まってる! 今のうちにオレの魅力をアピールして固定ファンを増やすのさ。最高だろ?」


「無敵のメンタルは……羨ましいかも」


 私がそう暗いトーンでコメントすると、鍵穴天覗は稀に見る優しい目で私を見つめてきた。


「それはそうと黄泉。結構酷い言葉書かれてたけど大丈夫そ?」


「うーん、気にしてないつもりではあるけど、どうにも最近体調が悪くて」


 鼠氏が割り込むように発言した。


「だったら休んだ方がいいかもねー。もうしばらくの間はエンパス休む! っていう方針で良くない?」


 最終的に、私たちは「エンパスとしての公の場に立つような活動を休止する」という方向に落ち着いた。しかし、これは個人の活動を縛るものではなく、やりたいことをやればいい、というリアル優先な思考に基づいて決められたものだ。


「でも、だいたいいつ復帰するとか、表に立つとか、決めた方が良くない?」


 雪柳の問いに対して、一度は静まり返ったが、トパースが答えた。


「じゃあ次のシーズンはどう? つい最近シーズン3が始まったばかりだし、大体半年後? ……あ、でも黄泉の体調次第だからね。そのころにはきっとレモネードも帰ってきてると思うし、ちょうどいい時期なんじゃない?」


「ふーん、レモネードそれぐらいの時期に帰ってくるんだ。ほぼ冬? 今夏だけど」


「冬に集まろう。どれだけリアルで活動してても、引きこもりたくなる時期に」


 具体的な日付は決めず、季節とゲームのアップデートだけを定めたざっくりとした決め方に、ある意味私は救われた。この日までに、と焦る必要が無かったから(結果として焦らされているのは目を瞑ろう。全部私のためだから)。


「そんじゃそれで決定やな。ほなまた今度、次は冬に。っつっても、俺は明日もログインするけどねー」

「おれもおれもー!」


 和気あいあいとしたエンパスらしい空気に戻り、その日は解散した。




 ――これ以降、私はLPTにログインしていない。




 しかし、約束通り冬に復帰を果たすことになる。


 あの日は、一日目は、本当に調子が良かったのだ。

 再会に気まずさを感じながらも、心の中では泣いて喜べるほどに。


 人は、嘘をつきたくなくても嘘をついてしまう時がある。

 それもまた、私が見せたい私とそうでない私の差異から生まれるもののようである。

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