第28話 死の苦痛とはどんなものか?
私は度々考える。死の苦痛、とはどんなものか。
耐えられないほどの痛み?
男性であれば股間を蹴られたとき、もしくは尿路結石になったときが最大の痛みであるとよく語られているのを見る。女性であれば生理痛、出産の痛みだろうか。(女性でも尿路結石になることはある)。
私――ヨミという人間は生物学上、女性に分類される。そして生憎のことだが、出産は経験していない。ここ数年生理も来ていないことから、現実に体験し得る痛みというものから遠ざけられた生活をしてきたわけだ。
それでも私が痛みを忘れられなかったのは、LPTの存在が大きい。
仮想空間で体験する現実と同じような痛みが、私の生活と切って切り離せないものだった。
本題に戻ろう。死の苦痛、とはどんなものか。
「わからない。わからないから……激痛の果てに見えるのだと、勝手に思っている」
この世界に生きている気がするから。リアリティのため。臨場感を味わうため。
――ワンチャン向こう岸に行けないかなー、なんて。思ってる。
死にたくはないのにね。
堂々病みガールの復活である。
私は隠れ家の自室のベッドの上で横になっている状態で目覚めた。
変なことを考えた気がする。
目を向けたくない人間の心の内、どろどろとした不安と自責の血液が膝丈まで溜まってしまって、どう動くにも血で汚れるのは免れない。そんな気分の悪いことに、触れた気がする。
あれを私は心の海と呼んでいる。今日はたまたま心の膿だったわけだが、取り除きたくても取り除くことはできないのだから大体合っているはずだ。
あんなものに目を向ける時間があるなら、早く現実を見た方が良い。
ああ、現実も見るもんじゃない。ならば、仮想現実を。
「……私はどこ現実を見て生きてるんだろうな」
もはや強がりの皮も剝がれてしまった。
「トパースに、会いに行こう」
私には「楽に生きる」方法は向いていないらしい。
ふと、もう既に腐ってしまったコーヒーが目につく。そういえば、しばらく前に部屋に置いてそのままにしていたのだ。もはや正常な時間の感覚を持ち合わせていないが……仮に腐ってなくても、私は腐っていると判断して絶対に口をつけない。
トパースの例えを借りるなら、このトラウマは生もの。常温保存は腐る。腐ったら飲めない。
腐ってると私が思ってしまったら、その時点でもう飲めない。
――つまり、私がもう無理だと挫けた時点で一生向き合えない。
「ある意味短期戦か……」
今日は二日目である。ゲームを始めたのは12時を確実に過ぎていた頃、丸一日と半日も残ってない。消費期限が近づいている。
リビングへ行かなければ。このトラウマが食えるうちに。
「……死んだんだ?」
薄紫色のショートヘアを揺らし、白と薄緑のフリルいっぱいのワンピースをばっちり着こなしていた。そう、麗しき女性、トパース。
「今日も可愛いね」
「いつも通りよ。ナンパ?」
「いいや。褒めてるだけ」
トパースは私の前に立ち、そっと手を私の頬に触れさせる。
「すべすべ」
「……ナンパ?」
「思ってることを言っただけよ」
気まぐれにやりかえされても。
「クラフト場、行かない?」
「何でまた」
「色んなものを作りたいの。ボディアーマーとか必要でしょ?」
言われたままについていく。リビングの奥、建付けの悪い扉を開けた先にクラフト場がある。
クラフト場はリビングよりも広く、様々なアイテムを作るための施設がいくつも設置されていた。その中でもよく使うのはワークベンチと呼ばれるエリアだった。
「ヨミちゃん、あんた天覗に何言われたの」
「……そうね、ちょっと強めの言葉で『向き合え』ってさ」
「向き合え、ね……。そのまま忘れてしまうのも一つの手じゃない? 人間に備わる忘却の機能は『自分』を守るためにあって、その機能が正常に働いてるのならいっそのこと身を委ねるのも悪くないと思う。アタシはね」
トパースは、私に茨の道を歩かせたくないようだ。
「きっと、ヨミちゃんが苦しんでるのは誹謗中傷……人による悪意のせいでしょう?」
「……まあ、そんなところもある」
「心無い言葉を浴びせる人たちは全員バカなの。浅はかで、愚かで、彼らは真に人のことを思ったことが無い。ましてや、他人が抱く感情を気にかけたことが無いの。彼らはもったいない。人間の良さとか美しさに触れてないから、とっても愚か」
「中々言うね」
「当たり前。奴らはね、愚かさにも気づかないほどの愚かさを持ってるから」
「見下すような目線には立ちたくない。でも、考え方の一つとしては尊敬する。それだけ割り切れるっていうのはトパースの、トパースらしさが出てて、きっと良いと思う。でもそれは私のやり方じゃないんだ」
ワークベンチの前で二人は横並びになって立ちながら、それぞれが作りたいものを作り始める。傍にある素材ボックスから布、鉄、ステンレス、そのほか様々な素材アイテムを取り、加工を始めた。
トパースは宣言通りボディアーマーを作っていた。私も同じものを作り始める。
「自分のやり方を見つけたかの言い方……、もしかして、もう向き合ったりした?」
「いや、まだ。興味深くトパースの意見を聞いてる。でもそれは私には合ってないな、って思いながら聞いてる。私にはできない、じゃないけど。もう向き合うことを決めたから。逃げたくないんだ」
「だったら、やり返すのはどう? 誹謗中傷なら開示請求とか――」
「それは鍵穴天覗にも言われた。でも、そうじゃないなって。私は見逃すこともできないし、忘れることもしたくないし、やり返したくもない。ただ、あの日と向き合いたいだけで」
「……だったら余計、理解に苦しむわ。どうして?」
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