第22話 痛みと冷たさの再演

 壁に取り付けられた四つの液晶には何も映っていない。その横には何が起こるかわからない謎のボタンがいくつか並んで取り付けられている。かつて何かが書いてあったであろう文字もかすれて読めなくなっていて、本格的にこの部屋の謎が深まった。


「ヨミちゃん、何をじっと見て……ああ、画面?」

「そう。何の部屋だろうって思って。事務所って工場の中に作るかなぁって」


「監視カメラとかがあったのかもね。緊急停止ボタンとか、何かあったときの管理者がここにいたのかも」

「ああ、それなら納得」


 私の横でトパースがアイテムを漁り始めた。銃のパーツや治療アイテム、資材になりそうなものなどを集めていく。その後ろで私は少しだけ待って、トパースが漁り終えた場所で残ったアイテムを拾っていく。


「ヨミちゃん……本当にゴミ拾いするんだね」

「せっかく戦場に行ったのに空っぽのリュックで帰るのは嫌だから」


「なんか、乞食じゃないけど……それは、どうなの?」

「魅力的なゴミとそうでないゴミがある。これはそうでないゴミ」


「ゴミの信条まで作っちゃって……。アタシは余計にヨミのことが心配になったわ」

「全部大事なんだよ。全部、全部。ここにあるものだってかつては誰かの大切だったんだから」


 トパースの目にどう映ってるかなんて、今更関係ない。

 ただ「トラウマに心を弱らせている人」のように見えていなかったら、それだけでいいのだ。

 強がりな自分に嫌気が刺す。でも、これでいい。本当にこれでいいのだ。


「ん? あれは……」


 薄暗い部屋というのもあって、うつ伏せのまま動かなくなっている人の姿に気づけなかった。


 おそらく、トパースがドアを蹴飛ばした際に吹っ飛んだ可哀想な死体だろう。この部屋のドアが開かなかったのは、元の建付けの悪さと、あの死体がおもりになっていたということだ。


 私はトパースよりも早く死体の元へと行く。すぐにしゃがみ、死体の持つアイテムを上から下へと流し見る。お目当てのゴミ――ドッグタグを見つけるとすぐに奪い取り、何事も無かったかのように、トパースの方を向いた。


「大丈夫、死体だ。漁っていいよ」

「あ、ああ。本当にいいの? ヨミちゃんが先に触れたんだし、別に――」


「欲しいものはもう取ったから」

「そ、そう? なら漁ろうかな」


 トパースの表情には困惑の色がそのまま出ていた。


 何か無意識のうちに良くないことをやってしまったか、そうはいってもやってしまったことは変えられない。ここは一度考えるのをやめて、しばらくトパースの様子を見てみることにする。


「うーん? これ、アイテムがそのまま残ってるのは一体……」


 そう言いながら死体を漁るトパースを横目に、先ほど回収したドッグタグを丁寧にリュックの中へ入れた。


「CPUか。それにしても……ヨミちゃん、この死体の違和感に気づいた?」

「違和感? その姿勢以外は何も変じゃないと思うけど」


「この姿勢はまぁ、よくあるやつよ」


 トパース本人も、蹴りが原因であることはわかってそうだった。


「そうじゃなくて、この死体、めちゃめちゃアイテムを持ってるの」

「ラッキーだったね」


「果たして本当にラッキーで済ませられるかって話」

「と、言いますと?」


 トパースは銃を構えて、私の方を振り返るように見てきた。


「新鮮な死体……いや、おかしい。誰かが殺したことは明白なのに、この死体からはアイテムが奪われてない」


「逃げた先で失血死、の線は?」


「だったら血だまりができてるはず。でもここには無い。それどころか、ドアやその床にそんな痕跡が無い」


 全く意識していなかったことに気づき、少しばかり恥ずかしくなる。


「アタシのクエストどころじゃないかもしれない。これは……誰かが意図して作った状況」

「罠、と」

「そう考えるのが自然かもしれない。でも問題はその誰かが――」



 パァンッ……。



 乾いた銃声と辺りに響く余韻。私の右肩を確かに貫き、激痛に顔を歪めるしかできない。


「くっ……」

「誰だっ!」



 バララララララララッ――。



 咄嗟にトパースがドアの方へ銃を乱射する。跳弾も何も気にせず、ただ敵を威嚇し遠ざけるための雑な乱射だった。


 静まり返る。足音はおろか、少しの物音もせず、私たちの呼吸の音だけを聞き取る。


 じんわりと右肩が熱を帯びる。半年ぶりに感じた痛みというものは熱であった。傷口を手で押さえると、生温かい血液がべったりとつく。


「いっ……」


 思わず歯を食いしばる。口で息を吸う。ひんやりとした空気が肺一杯に流れ込む。金属臭さを誤魔化そうとしたが、どうにもそんな便利なアイテムは無かった。それどころか自分を治す手段すら無いのだ。


「……ヨミは、相当強めに設定してたんだ? 痛み」

「大丈夫、私は……治療アイテムは無いけど、全然急所じゃない。死にはしないよ」


「ドMなのか何なのか。まあいいわ、信じるわよ。その言葉」

「もちろん。そんなに弱くなったつもりはない」


 袋小路。私たちが入ってきたドア以外では出入りができず、完全に追い詰められた状態。

 しかし、このまま居続ける訳にもいかなかった。こちらの居場所は敵に知られているのだから、先ほどのようにチマチマ撃たれては体力を削られる……そんな戦法を取られて負けてしまう。


「逃げよう。アタシが先に行く。ヨミちゃんは少し間を開けてついてきて」

「……オーケイ」


 トパースが先陣を切って部屋から出た。


 しかし、それ以上に音はしなかった。トパースがドアの隙間の向こうで私に手を招くような合図をする。その動作をそのまま受け取り、私も静かに部屋を出た。


 なるべく静かに、なるべく早く、あの部屋から離れようと、金属の床の上を走る。カンカンカンカン……という音を小さく小さくなるように、振り返らずに、前を向いて、進んだ。より一層金属臭さが増していく気がした。


 死体をだしに敵をおびき寄せるという戦法は確かにあるが、成功率が低いとか、得られるものがあんまりないだとかで、実際にやっている人を見ることは無かった。


 結局敵は私たちを逃がしているのだから失敗したんだろう。


 次の一歩を踏み出した。走るのだから至極当然のことだった。しかし、そこに何かを踏んだ感触は無い。


「あ」


 崩れかけの足場の耐久値はもう限界に近かったのだろう。


「ヨミちゃんっ⁉」


 ふわりとそのまま下の工場部分に落ちていく。大丈夫、これぐらいの高さならダメージを受けるだけで、死ぬことは無いだろう。


「あだっ……、痛ぇ。でも軽傷レベルか。トパース、こっちなら大丈――」


 冷たい金属が首元に触れる。



「逃げてばっかで楽しい?」



 そう、真後ろで呟かれた。


 私は彼の声を知っている。

 ダウナー系、ちょっと低く、若干枯れたような声。その枯れはきっと現実世界の煙草せい。

 私よりも背が高く、ゴツゴツとした指がチラリと視界に入る。よく見る成人男性型モデル。

 首にふんわりと彼の髪が触れた。紅色の、やわらかなそして長い、この髪の持ち主は――。


「鍵穴天覗……どうしてここに?」

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