第20話 ネ友のリアルに興味を抱くか否か

 気が付けば私は眠りについていた。ふと時計を見ると午後の二時を示していた。ヘッドスペースギアを被ったまま寝たというのもあり、変な頭痛を抱えながらのそのそと起き上がる。ヘッドスペースギアを外し、改めて昨日、といっても今日の午前の出来事をぼんやりと思い出してみる。


 ここ半年の中で一番濃い一日だった。あまりにも刺激的で、脳の働きが促されたような気がする。それはそれは、何もしない日に比べたら充実していたと言える。


「……行こうかな。いや、でも。あんまり、行かない方が、でも……」


 鍵穴天覗の言葉で気づいた。


 エンパスは優しい。優しすぎるのだ。甘えてばかりじゃいられない。今の私はエンパスの優しさに甘えている状態であり、その上で好き勝手に行動をしている。


 そんな中で、自分の抱える苦しさを前面に出したら。ただの悲劇のヒロインだ。そんな綺麗なものじゃないと分かっていても、被害者気取りのウザイ小娘。向き合おうにもナヨナヨしていれば、その態度は空気に染み渡って、他の仲間に伝わってしまう。


 そんなことはわかっている。


 これらが引き起こる原因は「トラウマを抱えて傷付いているヨミ」を見せてしまっているからだ。


「なら、見せなければ……」


 もう自分は乗り越えた。乗り越えたからLPTに復帰できたんだ。

 私は傷ついてなんかない。私は傷ついてなんかない。私は傷ついてなんかない。

 もう、大丈夫。もう、弱り切った私はいない。さあ、もう一度。




 ――Log:// Phantom Triggerへ、ようこそ。


『全ての価値は空にある。空から離れれば虚しさしか残らない』


 これは、今のLPTのキャッチコピーである。

 地に立ち戦う兵士たちの、価値が無いと言っているようなもので、私はこれが……嫌いだ。




 ログインすると、私はリビングに立っていた。すぐ傍にいつも座るソファがあり、何も考えずにそっと座った。


 その様子を見ていた女性がいる。その視線に気づいてはいたが、あえて目を合わせなかった。


「ヨミちゃん、おはよ」


 薄紫のショートヘア、赤みがかったピンクの瞳が黒縁メガネの奥に見える。そう、トパースだ。

 今日のロリータ服は赤とピンクで、ボリューミーなスカートが目立つもの。薄ピンクのレースカチューシャがロリータ服と合っていて、より一層可愛さを増していた。


「おはよう、今何してた?」

「……、さっき鼠氏と神成と雪柳と、アタシの四人で戦ってきたよ」


「鼠氏が起きてたの?」

「うん。でもね、すぐ寝ちゃった」

「タイミングが合わなかったかー、ま、仕方ないか」


 どうだろう、うまく苦しさを隠せているだろうか。


 先ほどから妙な間が生まれがちだが、トパースは気づいているのかもしれない。


 でも私は知っている。トパースは個人の選択を優先するような人物だと。そして、トパースなら……私の変化も「個人の選択」だと受け取ってくれると。


「あれ、神成と雪柳は? また一緒に戦場へ?」

「んーん。神成は大学の友達と遊びに行くっていってログアウトした」


「ここ以外に交流できるコミュニティがあるっていいよね。それはすごく羨ましいと思う」

「作ればいいじゃん」


「そういう訳でもないんだよね。大学とか、行ってないし」

「高卒?」


「そうそう。お金なかったからさ」


 トパースはお気に入りのロッキングチェアに腰掛けて、ちょっと申し訳なさそうな顔をしていた。


「別に気にしてないよ。それも私の選択だから」

「ああ、そう?」


「私たち、別にリアルの話を避けてるわけじゃないし。もう二年も一緒にいるんだから、ちょっとくらい現実の事知ってもいいと思う。結構知ってるって思ってても、案外知らないなんて最近になって気づかされるんだから」


「まぁネットなんてそんなもんじゃない? ってアタシは思うけど、きっとヨミはそこで止まりたくないんだ?」


「知りたい、とは思う。全部は知れなくてもさ、ある程度は」


 そうは言っているが、リアルの話に踏み切るほどの勇気が無い。

 苦しさを隠すとか、トラウマと向き合うとか、そういうのとはまた別次元の難易度だ。


 人の中身に足を踏み入れるということは、自分の中身にも足を踏み入れられるということ。他者のトラウマという名の地雷を踏み抜く恐怖を抱えている。相互作用を起こしてしまうのが怖いのだ。



「アタシ、歌い手してるよ」



「へ?」

「ニッコリ動画、知ってるでしょ? 一昔前の動画配信サイト」


 日本発祥の動画配信サイトで、どちらかというとアンダーグラウンド寄りな治安悪めのところ、という偏見混じりのイメージしかない。アンチが多そう、民度が低そう、でも意外と良い奴らがいる、みたいなイメージ。コメントが上から下に流れていく斬新なスタイルが流行ったとか、流行ってないとか。


 自分でもあまり利用することは無い。それでも昔は一世を風靡したサイトであったことは知っている。


「うん、知ってるよ。あんまり良いイメージ無いけど……」

「あそこで歌ってみた動画あげてる。こう見えても人気あるからね。意外だった?」


「いや……すごいイメージ通り。声良いもん」

「えへへっ。ありがとっ!」


「活動名はトパースだったりする?」

「ううん、全然違う。そこまでは教えない」

「なんだそりゃ……まぁ、トパースらしいか」


 元々目立ちがちであったトパースが、人の注目を集める趣味をしていてもおかしくはなかった。

 いつか探してみようか、と思っていると、トパースがいきなり立ち上がった。


「ヨミ、戦場に行こう」

「え? いきなりじゃない?」

「絶対に守る。雪柳ほどじゃないけど」


「そこまで疑っては無いし、別に死んだっていいんだけれど」

「外の空気吸いに行こ? 一旦さ」


 恐らく、トパースの中で確信に変わったのだろう。


 心なしか赤みがかったピンクの目がきりっとしていた。覚悟が決まったというよりも、ただ「何かを掴み取った」ような、自信交じりの瞳だった。


「ほら、立って。準備してよね」


 別に断る理由もない。意味もなく戦場に行ったっていい。


「わかった。一緒に行くよ」


 トパースの手を取って立ち上がり、戦場へ向かう準備を始めた。

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