第17話 光はベッドの上にだけ存在する
「おえぇっ……」
不快な体調は仮想現実の中だけで起こったものではなかった。
現実に戻された今も、吐くほどでもないえずきが私を襲う。頭はぼんやりとしていて重く、働かそうにも働かない。
いつの間にか泣いていたようで、目の周りはやけに潤っていた。目ヤニが固まっていて、涙を流した後が渇いて何とも最悪なコンディションだった。
「はぁ……」
私はそっとヘッドスペースギアを頭から外した。
ヘッドスペースギアは優秀だ。元は医療用の器具というのもあり、使用者の体調をしっかりと管理してくれる。
それが、私にとって最悪のことだとしても、優秀以外の言葉をつけられないだろう。本当に優秀なんだから。
もう一度私はヘッドスペースギアを装着するも赤文字で「体調不良を感知しました。三十分以上の休憩を取ってください」と表示される始末。少なくとも三十分は現実に縛り付けられる羽目になった。最悪以外の言葉がでない。
私はゆっくりと体を起こした。
部屋は暗く、ヘッドスペースギアが放つ光くらいしか光源がない。それもそのはず、カーテンは閉め切っているし、照明だって切りっぱなしにしている。典型的な引きこもりの部屋かもしれない。まぁ、他の引きこもりがどんな部屋に住んでるかなんて微塵も興味はないのだけれど。
ベッドの上はまだ綺麗な方だった。ヘッドスペースギア以外は何も置いていない。毛布は蹴飛ばされてフローリングの床に落ちている。枕はなぜか足元にある。寝相が悪いのか、そもそもどこに何があろうと興味が無いのか。きっとその両方だ。
ベッドの他にはデスクトップパソコンを置いてある机とその椅子がある。しかし、もう長い間電源をつけていないのもあって埃をかぶってしまっている。それどころか、届いた郵便物や通販の段ボールを放置するような場所になってしまって、今じゃひとつの要塞ができあがっている。
クローゼットは空きっぱなし。畳まれていない衣類がでろんとそのまま出てしまっている。一度着た服を洗濯する気にもなれず、上へ上へと重ねていったら衣類の山ができていた。これも放置したまま手を付けていない。別に、汚してないから臭くもならないし、いいんだけど。
足の踏み場もない床の上を歩き、トイレの方まで歩く。紙やら布やらコードやらを踏みつけ転びそうになるが、なんとか耐えることができた。
「トイレ……」
もう何も考えることはできない。考えたら影が迫ってくる。私を責めてくる。
排泄を済ませた後、台所にある段ボールの一つに手を突っ込んだ。手のひらよりも少し大きいくらいの箱を掴む。
完全栄養食グレイトメイト。パサパサとして口の中が乾燥するが、それでも栄養を補給できる質素で優秀なご飯。もはやビスケットなのかパンなのかよくわからないが、腹にたまるから何でもいい。
今日はチョコレート味。おもむろに口の中へ放り込み、顎を動かす。口の中が渇いてきたら、水道水を口に含んで胃の中へ送り込む。もはや作業になった食事。そこに温もりも何もない。
ふと風呂場の方に目がいく。もう長い間お風呂に入っていなければ、シャワーも浴びていないことを思い出す。面倒なのだ。気力は奪われるし、やったとて誰とも会わないから入り損になる。これを風呂キャンセル界隈なんて呼ぶらしい。
「げほっ、げほっ。粉が……みず、みず」
水道水で流し込む。嚥下の力も弱まってきたのだろうか。そもそも筋力が落ちてきているのもあって、免疫力も低下している。もう人間としての身体はボロボロだ。元気なのはゲームの中だけ。
「スマホ……どこやったっけ」
私と外を繋げる手段はヘッドスペースギアだけで、スマホもほとんど使っていない。それでもやはりインターネット無しじゃいきられない引きこもりという生き物なので、無意識にスマホを求めるゾンビになる。
ああ、でも探すほどの体力が無い。台所のシンク下にある戸棚にもたれかかって、そのまま座り込む。
全身から力が抜けて、自然と俯く姿勢になってしまう。
死にたい。消えてしまいたい。どうせ私なんて生きていてもどうしようもない。
頭に隙を作ると、ぽつりぽつりと自責の言葉や自殺願望が湧いてくる。それを囁く黒い影のようなものを見え始める。これはまずいとわかっていても、逃避先に「来るな」と言われてしまっている。逃げられない。現実は、私を放っておいてくれない。
私は床の上を這いつくばるように動き、ベッドの上までたどり着く。食べかけのグレイトメイトをモソモソと食べながら、ベッドで横になる。
少し寝よう。少し寝たらまたLPTに入ろう。そうでもしないと、変えたい自分を変えられない。
「ごめんなさい……」
誰に向けたものかもわからない謝罪を口にして、そっと眠りについた。
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