第16話 ひとりになるな

「神成! これはどういうこと⁉」


 雪柳が怒りに任せて問うと、それに共鳴するように大きな声で神成が返事をした。


「どうもこうもあらへんわ……。寝る前にリンゴジュース飲もうとしたらごぼしてもうて――」


 私の推理と大差ないことを言ってくれた。


「ね? 大体合ってたでしょ」

「ヨミの推理力すごいね。本当に神成はドジだった」


 神成はリビングに入って、手に持っていた白いタオルで床を拭き始めた。

 私たちもそれを眺めるわけにはいかず、神成の手から残りのタオルを奪い取って同じように掃除を手伝った。


「神成は何で電気まで消してたの? かなり暗くて困っちゃったんだけど」

「いやぁ、なんかもう焦ってもうて、感電せんようにって慌てて全部消してった」

「……バカ?」


 雪柳が呆れたように呟いた。


「否定はせんわ」

「現実でこんなアホなことはしないでね」

「現実でするかぁっ! ゲームやから仕様がわからんで手当たり次第消していっただけや!」


 そう、神成は時々とんでもないバカを発揮する。それでいて不運なところがあるのだから、それらが嚙み合ったときは変な混乱を生む。基本的には優しいのだが、エンパスのやらかし担当といえば神成であるため、どうもその優しさが十分に発揮されないのだ。可哀想に。


 三人で床を拭くとあっという間に終わった。まだカーペットは湿っているが、それはもう自然乾燥に任せるしかないと判断して、ローテーブルの上に「カーペット濡れてる! 注意!」という注意書きを置いた。


「にしても、どこにタオルなんてあったんだ?」

「クラフト場で慌てて作ってん。無かったから」


 こういった生活用品も作れるのがクラフト場の魅力でもある。それができなかったら、ログトレードを使って購入するしかない。


「とりあえずこれで掃除は大丈夫かな」

「うん、おれら頑張った」

「……今度こそ俺は寝るわ。おやすみ」

「「おやすみー」」


 そう言って神成の身体はシュンッと消えた。本当にログアウトしたのだ。


「じゃあ私は荷物を置いてくるね、部屋に」

「うん、おれも置いてくるー!」


 リビングで解散し、自室に戻った。


 今日集めたドッグタグをまたコルクボードに飾る。それ以外の荷物は全部まとめて箱の中にぶち込んだ。


 なぜこんなにもドッグタグに惹かれるのかはわからないが、厨二病的な何かが働いているのだろうか。鬱になったり病んだりすると、感性が大きく変化するなんて話もどこかで聞いた気がした。ソースはない。記憶の海に落ちていた。


「……ふぅ」


 小さなため息をついた。雪柳にトラウマについて聞かれたときから、ずっと緊張していたのだ。緊張というよりも身構えていた、と言った方が近いのだが、どちらにせよカチコチには変わりない。


 そりゃあ半年も休んでいた仲間が戻ってきたら、その原因になることくらい聞くよ。わかってる。


 わかっていたのに、それでもまだ、心臓がバクバクと何かを訴えてきてる。


 心臓の病は患っていない。血圧だって問題はない。身体的なものではない。


 心理的なものだ。


 恐怖。恐怖。恐怖。私の中で渦巻いている恐怖が私に汗を流させる。


 それらの正体が一体何であるか。考えたらきっとわかる。思い出せる。向き合える。しかし、混沌とした恐怖をひとつひとつ紐解くにはまだ早い。受け止められない、そんな気がする。 


 それでも思考は止まらない。


 自分自身に対する恐怖。殺すことへの恐怖。殺されることへの恐怖。命に対する恐怖。悪意に対する恐怖。


 仲間から向けられる、得体のしれない冷たい視線に対する恐怖。


「……っ」


 自分がいざ殺されたら私はどうなる。いくら軽減されたといえ、調整されたといえ、死の痛みを感じたら私はどうなる。

 どこからともなく吐き気が湧いてきた。


「おえっ……」


 えずく。吐くものは何もない。


 ぐらりと世界が歪む。ぐっと押さえつけられるような頭の痛みを感じる。


 気分が一気に悪くなる。



『身体異常を検知しました。身体異常を検知しました』



 真っ赤な文字で目の前にそう表示される。人工的な音声が耳元で流れる。



『緊急離脱システムを作動します。緊急離脱システムを作動します』



 いずれこうなるとわかっていた。それにしても早かった。


 ――私は、現実に引き戻されたのだ。

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