第11話 宝石のような人

 隠れ家で一人残された私はキッチンへ向かった。


 なんとなく口が寂しいというか、あの事件に関わることを語ろうとすると口が渇く。それはただの喋りすぎか、焦りか、口が開いたまま塞がらないのか、ストレスか。それ以前に、ゲームの中の渇きなのかどうかもわからない。


 キッチンスペースはかなり狭い。二口コンロ、小さなシンク、シンクと同じくらいの調理台。その横に取り付けられたカウンターテーブル、その上には煙草の吸殻が入ったジャムの瓶が置かれている。上のほうでは小さな換気扇がブンブン回っている。煙草のにおいがかすかに残っていた。


 この隠れ家には一応電気が通っているため、一人暮らし用くらいのサイズの冷蔵庫も設置してはいる。してはいるがコンセントは繋いていない。なぜなら冷蔵品を持ち帰ることはまずなく、そもそも冷蔵品がこの世界に無いことが理由だ。


 アニメの荒廃した世界ではよく缶詰やレーションを食べているのをよく見る。乾燥していて、日持ちがするものばかりを食べるのは、その世界にそれしか食べられるものが残っていないことを示す。


「もはや冷蔵庫もただの棚だよね」


 私は常温の冷蔵庫を開けて、中からインスタントコーヒーが入った袋を取り出す。神成がどこかしらで買ってきた大容量の袋だ。


 空の350mlのペットボトルに飲料水を入れ、さらにスプーン二杯分のインスタントコーヒーを入れる。作り方も水の量も何も合っていないが、味のついた水ならなんでもいいところではある。そのままペットボトルに蓋をして、ジャカジャカ振りながらリビングに戻った。


「あれ?」


 白と黒、フリルやリボンが余すことなくつけられた可愛らしい乙女の服――いわゆる、ロリータ服を身に纏った成人女性型モデルの人物が、ロッキングチェアに座って揺られていた。


「連絡一つくれないんだから、もうちょっとアタシのこと気にしてくれてもいいんだけどねっ。そこんところどう思ってるの? ヨミちゃん」


 薄紫色のショートヘア、赤みがかったピンクの瞳。度なしの黒縁メガネを愛用し、隠れ家での衣装は全てロリータ服で過ごす、圧倒的カワイイの権化。


 エンパス設立のきっかけを作ったクレイジーガール、トパース。


「誰にも送ってないからみんな同じだよ。トパースにだけ送ってないとかないし」

「仲間外れにされたなんて最初から思ってないけどね!」


 ペットボトルの中のインスタントコーヒーは混ざりきっていた。私は自分のソファに座り、ペットボトルに口をつけた。うん、苦い。不味っ。口の渇きどころの話じゃない。不味い。


「ぷっ……」

「な、何」

「いや、不味いんだろうなぁって。ふっふふふっ……」


 どうやら顔にも出てたらしい。作り方くらいは守った方がいいだろうと学習した。この経験を次回に生かすかどうかは次回の私次第である。


「トパースは最近忙しいんじゃなかったの? なんか前から仕事がどうとか」

「ああ、あれはいいのよ。最近起きてなかったのは引っ越ししてたからよ」

「それはそれはお疲れ様です」


「どーもっ。仕事もひと段落したし、引っ越しも終わったし、まぁしばらくはLPTに起きられると思うわ。ヨミっていう最高の仲間も起きてきたしね。近々……レモネードも起きるだろうし」


 トパースはLPTにログインすることを「起きる」と表現する。まるでLPTが現実であるかのような表現に関心したが、社会不適合者であることを暗に示しているのと同義だった。別に悪い気はしない。だって事実だから。


「調子はどう? その感じを見るに、一回は戦場に行ったんでしょ?」

「行ったけど、神成が死にかけて……パニックを起こしたから休憩中」

「へぇー。ちゃんと自分の事、客観視できてるんじゃん? マシになったんだね」


 その視点は無かった。むしろ客観視できていないと思っていたが、トパースの目にはそう見えるらしい。自己認識と真逆のことを知ると、また妙な気持ちになる。そういう見方もあるのかという新鮮さと、自分の知らない自分に対する気味悪さ。


「てか、なんでその黒い水……インスタントコーヒー飲んでるの? 不味いって顔するのに、なんで飲むのよ」


「うーん。今の気分というか、なんか飲むならこれかなって。苦みが……不味いんだけどさ。不味いんだけど、飲むなら……これ」


「変な理由。砂糖とかミルクとか入れたらいいのに」


「どっちも貴重だから使わない。いつかの誰かのためにって思うと使えないんだよね」


 いつの間にかトパースが私を見る目が「愛おしいものを見る目」に変わっていた。私はトパースをそのように見たことは無いが、頼れる人、姉のような存在だと思ったことがある。その逆で言うなら、私は妹のように思われているのかもしれない。


「これからどうするのかとかは聞かないことにしておくわ。どうせ他の人に話して飽きてきたところでしょ」


「それでいいの?」


「良くはないよ。でも、なんとなくあんたの考えることがわかるのよ」


「トパースはいつから超能力者になったの?」


「なってないわよ。でもヨミのことだから……ちゃんと整理をつけに来たのかな? って」


「よくわかるね。一応そのつもり」


 トパースはふぅんとだけ呟いて立ち上がり、キッチンの方へと行ってしまった。そうして少し待つうちに戻ってきたトパースの手にはガムシロップが二つ握られていた。



「例え話をしよっか」



 トパースはガムシロップの蓋を開ける。


「ヨミの苦しみをそのコーヒーだとしたら」


 私の手からペットボトルを奪い、ガムシロップを二つ分開けて注いだ。


「あたしがガムシロップの役割になってあげる」


 どこからともなく赤と白のプラスチックストローを出して、先っぽを曲げてから差し込む。

 くるくると回して、ガムシロップを全体に広げる。


「ストローは他の仲間。飲みきるまでの時間は『あの日』と向き合う時間」


 私にペットボトルが手渡され、戻ってきた。


「ヨミはヨミ。ガムシロップで多少マシになったコーヒーを飲む役目がある」



「トパース劇場、久々に聞くと優雅だね」

「どう解釈するもヨミちゃんの自由、感じ方も自由。じゃ、あたしは戦場に行ってくるね~」


 私がコーヒーを飲むよりも先に、自分の部屋へ戻って行ってしまった。


 そっとストローに口をつける。甘い、甘いが、酸味が強い。しかし、苦みは幾分かマシになっている。不自然な甘さではあるが、誤魔化しが効いているように思える。

 十分、飲める代物にはなっていた。


「現実も、これほど楽な話だったらよかったのに」

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