第7話 檸檬水に灰を溶かす訳にはいかない
「……私のトラウマに関して君がとやかく言う資格はないんじゃない? それは私の問題で、君が不満を抱えているのはわかる。十分にわかる。でも、でも、神成だって」
「そりゃ俺やって色々と抱えてるよ、人間やし。口出されたくないんもわかる」
「……向き合うことは確かに大事だし、そうしたいよ。そうしたいけど、三日っていうのはいくらなんでも短すぎるよ」
私は銃口だけを見つめていた。その奥に見える神成の顔を、目を見ることができなかったから。
「あー、それは俺も思った。でもちょうどええかなって」
「何がちょうどいいの」
神成の軽い態度に苛つき、それが声にまで乗る。神成の態度はヘラヘラとしている訳ではないが、どこか他人事のように話すせいで変な軽さが生まれているのだ。
神成は引き金から指を離し、そのまま銃を下ろした。
「レモネードが三日後に復帰すんねん」
一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。しかし、すぐに点と点が繋がる。
「え、ええ⁉ レモネードが⁉」
レモネードは『エンパス』のメンバーのひとりであり、最年少かつ受験生でもあった。高校三年生になった少し後くらいからLPTの活動をやめ、受験勉強に取り組む真面目な人でもある。
レモネード以外のメンバーは全員二十歳越えであるため、年下の弟か従兄弟かのように可愛がっていた。そんなレモネードが戻ってくるのだと言うのだ。
「おん、だって大学受験の……センター試験、今名前変わってたんやっけ? まぁそのなんたら試験が三日後にあるらしいからな。それが終わったらすぐに来るって前に言っとったからな」
「も、もうそんな時期なんだ」
LPTをやり始めてから外に出ない引きこもり生活を続けていたのもあって、季節感が完全になくなっていた。
あの炎上事件は夏に起きたはずだ。そして大学入学共通テストの時期は一月の中旬ほどにあった気がする。冷静に考えてみれば確かにそれぐらいの時間は経っていたのだ。
「あの事件が起きたときレモネードは既に休止してたやん。そもそも知ってるのかどうかも知らんけどさ」
「あ……確かに、そうだね」
「レモネードは人の顔色を窺いすぎるから、あいつが今のエンパスに来たら初っ端から苦労ばっかさせちゃいそうやん。気遣いができすぎるっていうか、優しすぎるというか」
レモネードが帰ってきてくれることは確かに嬉しかった。神成の言う通り、真面目で優しすぎることから無理をさせやすい環境は良くないのは確かにわかる。
それでも心のどこかには引っかかっていた。これではレモネードのためにトラウマを克服しろと言われているようなもので、私のためではないと明言しているも同義だったから。
「まぁ、言いたいことはわかるけど……」
「ヨミは知らんと思うけど、残った俺らもそれなりに変化してるもんやねん」
その言葉にハッとする。事件と呼ぶくらいの大事が起きたのだ。皆それぞれ抱えていることだってあるのが当たり前なのに、どうして自分だけが苦しんでいると思っていたのだろう。皆だってきっと苦しんでいたのに。
「自分を騙すも、優しさに触れるも、楽な方に流れるも、強い言葉を浴びるも、状況を整理するも、なんだっていい。ただ逃げんなって意味を込めて、三日って言っただけ。逃げずに向き合おうとする期間なんて短ければ短いほどええやん。だってめっちゃ苦しいんやから」
神成にしてはちゃんとした理由の優しさだった。神成の純粋な善意に胸の内がぽっと温かくなる。
「ちょっとした目標よ。達成できたら万々歳、できなくても得られるもんは絶対ある。そんなら踏ん切りつくやろ?」
このとき、私はようやく神成と目を合わせられた。純粋な黒色の瞳が私を見下ろしている。使用しているモデルの身長差もあって、頼りがいのある大人のような、または兄のようにも思えた。
「神成は本当に無茶を言うよね」
「そうか? ヨミならいけると思うけど」
「うん? それは神成の直感? それとも
パンッッ……。
それが一体何の音であるか、思い出すのに時間がかかる。知っている、この音を知っている。
どう考えてもこれは私が一番望んでいて、私が一番忌避している音。
「っ……! 長居しすぎなんはわかってたけど、こんなとこに来る敵も敵やろっ!」
銃声、つまりは敵襲だ。
神成は私の腕をがっと掴み、先ほど探索した半壊した建物に放り投げられた。
「へっ⁉」
「屈んで隠れとけって!」
まあそれもそうか。いくら仲間でも、武器を持っていないお荷物さんには変わりない。
基本的に建物の壁は遮蔽物として扱われる。あっちやこっちから飛んでくる銃弾から身を守れるメリットがあるからだ。しかし、壁は壁といっても爆弾や爆撃を食らえば二階のように崩壊は免れない。そんな武器をもって歩いている敵はいないと信じたいが、可能性は少なからずある。
外側の壁から離れて、ローカウンターや椅子の陰に隠れる。出入口や窓が見られるような場所を確保し、息を潜めた。
「これでいいのかな。撃たないことも逃げることと一緒なのかな……」
少し離れたところでいくつかの銃声が響いた。互いに警告し合うかのように、数発撃った後に数発撃たれる、を繰り返している。
神成の銃の腕は信頼できるが、如何せん本人が不憫であったり不運であったりするせいで負けることも多々ある。
今の神成のHPは半分程度しかないため耐久戦に持ち込まれると負けるだろう。治療アイテムもほとんど使ってしまったし、それこそ即断即決で挑まなければ――。
「終わったでぇ~。どこにおるんや~? かくれんぼか~? 付き合わんでぇ~?」
神成の気の抜けた声を聞いて、私はそっと立ち上がりながら改めて実感した。
うん、やっぱり神成はれっきとした「エンパス」だ。ちょっとやそっとの戦闘で負けるような奴じゃない、と。
「早かったね」
「そりゃまぁね。ここらを漁るのは初心者か、その初心者を狩るバットマナーボーイよ」
「どっちだった?」
「ん~、動き的にバットマナーボーイ。中級か上級者くらいの動きしてたから容赦なく殺ったんだよ」
よくよく考えてみれば、私たちも十分初心者を狩るバットマナーボーイ&ガールになりかねない。復帰勢の免罪符がどこまで通用するかは被害者次第でもある。目立つ行動はしない方が良いだろう。
「漁る? あっちにあるし」
「うん。収穫イマイチだからもうちょっとほしいと思ってたところ」
二人で半壊した建物を出て、その死体のところへと向かった。
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