第6話 触れたくなんて無かった

 地上に戻ると、神成が大の字で横たわりながら声にもならない呻き声をあげていた。


「うっ……」


 今の私に顔を見る勇気は無かった。別の人の顔と重なってしまいそうで、いや、きっともう既に重なって見えていたんだと思う。だから目を逸らした。治すべきは肉体だと判断した、という理由を作って。


 大量の血が地面に飛び散り、今もその血の淵は広がり続けている。力なくだらんとした腕がゆっくりと地面に垂れて、足は変な方向に捻じ曲がっていた。


 誰がここまでグロくしようなんて思ったのだろう。リアルなグロ描写は画面の向こうで起きているからこそ「それは現実まで干渉してこない」という一線を引けて楽しめるのに。これじゃ、まるで、ただの胸糞だ。


 これがゲームで無ければ、私は絶対に吐いていた。死んで時間が経過した死体ならよく見るから慣れているが、流石に瀕死の人を、それも仲間を目の前すると、こう、何かが込み上げてクるものがある。


 幸いにも、私の手元にはファーストエイドキットがある。神成が持てないと言って私に押し付けてきた貴重な治療アイテム。瀕死の人を助けられるかどうかはさておき、応急手当スキルも蘇生スキルも上限まで極めている。そう、助けられる可能性がある。


 両頬を叩く。神成のそばで屈み、覚悟を決めて目を見開く。



「『エンパス、ヨミの名に懸けて……黄泉帰らせてみせましょう』」



 今となっては恥ずかしく、プレイヤーネーム・ヨミとかけた不謹慎極まりない決め台詞。

 自信を持ちたいとき、自分を勇気付けたいとき、言い聞かせたいとき、誰かを救いたいとき。


 そんなときに使う魔法のセリフ。公式大会を前にして緊張していた私に神成が授けてくれた「めっちゃかっこいい常套句」。私からしたら「ちょっとイタい常套句」だが、これがまた、意外と効くのだ。


 特に、トラウマと目の前の現実が重なって見るべきものが見られなくなった今には。


「それ……久々に聞いたわ」


 神成は苦しそうに笑った。


 口から血を吐いたあとが残っていた。それを正しく認識できたということは、嫌なトラウマの幻影を取り去ることができたということである。ただの言葉が、少しだけ私を軽くした。


 ファーストエイドキットを開封した。回復の手順が示される。必要な消毒液や止血剤、包帯を選び取り、指示された通りの順番で処置していく。少しくらいミスっても、HPの回復量が少し下がるくらいで骨折くらいなら治る。もとより、完治なんて望んでいない。ただ歩けるようになれば、それだけでいいのだ。


 自分以外のプレイヤーのHPは見えないようにされている。それは同じチームメンバーであっても、敵であっても見えない。LPTの運営はこれを「緊張感ある体験のために排除した」と、どこかの雑誌のインタビューで語っていた。


 私はそれを、本当にその通りだと身を持って体験している。


「……間に合え、間に合え」


 出血状態だとHPが徐々に減っていく。いつ事切れてもおかしくない。その焦りからか、治療時間がやけに長く感じられた。


「よしっ、終わった。どうだ? 神成、まだ痛む? 神成、神成っ?」


 神成はむくっと体を起こして、即座にインベントリから包帯を取り出し、自分自身に使い始めた。


「あ~~! 痛かった……。マジでびっくりしたし、マジで痛かった……」


 LPTは痛みの再現もリアルを追及している。瀕死になるより死んだ方がマシ、と言われるくらい鬼畜だ。


 しかし、ある事件を機に痛みの度合いを調整できるようになった。


 それこそ痛みをゼロにすることだってできる。私は臨場感が欲しいから少し強めには設定している。それは神成も同じでそこそこ強めにしていると言っていた。具体的な設定値を教えてくれなかったからどちらが上かもわからないが、喋れなくなるくらいの痛みに設定しているようだった。


「鉄柵が外れるなんて誰も思わんやろ……」


 そんな「痛み」についての思考を巡らせながらも、内心はとても混乱していた。


 無駄な理論やゲームの仕様を言葉にして並べて、とめどなく溢れてくる不安と恐怖を押さえつける。感情に目を向けない、考えもしない、考えたくもない。だから蓋をする。


 行き所をなくした負の感情はどこへ行くか。身体に結果として現れる。


 緊張が緩む。表情筋が緩む。呼吸の頻度が増える。肩が上がり下がりを繰り返し、ふるい落とされる粒の流れを頬で感じている。


「泣いてんの? ふっ、ふふっ。俺が死にかけたくらいで? そーんな大したことちゃうのに」

「ちょっとしたパニックだよ……、多分」


 そう言っているうちに神成は包帯を巻き終え、すぐに動けるくらいにはなっていた。


「無理してんなー」

「そうかな? ……いや、わかってるよ。無理してるよ」

「珍しい、えらい素直やな。前のヨミやったら絶対に『そうかな? そんなことないと思うけど』って、言っとるのに」


 神成は立ち上がり、ズボンについた砂を払う。


「もう帰ろか、今ので確信できたわ」

「何を確信したの?」


 神成が差し出してきた手を取り、少し体重をかけて私も立ち上がる。


「今のヨミにとって、あの事件がとんでもなくトラウマになってるってことをな」

「あぁ……、そ、そう」



 神成は数歩進んでから、私に銃口を向けた。


 何とも言い難い気持ち悪さが湧いてくる。返答次第ではいつでも殺すと言っているようなものだった。


 気が付けば拳を強く握っていた。静かに震えているような気もしたが、この世界の私の身体は震えていない。もしかしたら、現実の身体が震えているのかもしれない。



「熱意も無い、やりたいこともない、肝心の殺し合いも忌避する――そんな面白くない奴は『エンパス』にいらん、って俺は思う。どう? ヨミは仲間に何を求めてる?」



「え、っと仲間には――」


「俺は『面白さ』を求めてる。『本人が楽しくやること』も求めてる」


 神成は引き金に指をかけた。




「三日で向き合え。今日が一日目や」




 耳を疑った。さっきまで考えていたことが全て飛んだ。


「半年前のあの事件について、いや、トラウマって言ってやったほうがええか?」


 三日、三日? 私が半年かけて何の答えも出なかったことをたったの三日で?


 答えを出せと、元に戻れと、成長しろと、留まるなと、無理に決まっているのに。神成は一番攻撃的な手法で、私に変化を求めた。最も残酷な要求だった。

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